俺は『綺麗』を知らない。敵を切り、人を殺す道具である俺達に美しさなど必要ない。すぐに汚れ、すぐに錆びる俺達にわざわざ金と時間をかけて美しさを求める酔狂な奴に俺は一度も出会ったことはなかった。

 否、今までの話だが。

「そなたの瞳は綺麗だな、同田貫よ」
 涼しい顔をして三日月宗近を名乗る男は言う。天下五剣の中で最も美しいと評される刀は確かに女に好かれそうな顔をしていたが、俺からしてみれば数多ある刀の内の一振りにしか過ぎない。と、ついさっきまで思っていたのだ。
 名前通りの三日月を埋め込んだ瞳が俺の顔をじっと覗き込んていた。俺は目を逸らすことも出来ないで三日月を覗き返す。決して目を逸らすことを許さない恐ろしさが、この男には存在した。網膜に揺れる月は海面に反射したそれによく似ていて、擬似的に溺れたような苦しさを覚える。飲み込まれてしまうんじゃないか。背中を冷や汗が伝う。
「まるで望月のようだ。夜空で一際まばゆく輝いて俺の意識を支配する、美しい、満月」
 刀でありながら美しさを存在価値とするこの男は正しく酔狂な奴だった。気紛れだとかマイペースだとか、そんな言葉で片付けられないおかしな言動は滑稽よりも畏怖を撒き散らす。理解出来ないし、理解しようとも思えない。俺とは全く別の物質。この男は最早刀ですらない。俺のことを美しいと言うこの老人は化物だった。少なくとも、俺にはその表現が最も正しいように感じられた。
「……アンタに言われても皮肉にしか聞こえねえよ」
「おや、それは困るな。心からの賛美なのだが」
 そうして男の口元がゆるりと弧を描く。それはさながら三日月のようだった。
「同田貫よ」
 三つの三日月に睨まれて、俺はようやく悟ったのだ。何事も度を過ぎれば恐ろしさしか生まないということを。美しさも例外ではないということを。それはこの世で最も美しい刀だとうたわれる目の前の男が痛いほどに示してくれた。
「そなたの月は綺麗だな」
 俺の全身を恐怖だけが支配する。膝が笑って、文字通り体が動かなかった。やはり刀に美しさなど与えるべきじゃなかったのだ。こんな化物を生み出してしまうくらいなら。
 そんなことを露にも気に掛けない化物は言葉も発せずに震えている俺の頬に手を添える。涼しい顔を隠しもしない上、飽きもせず美しいと呟いて。俺はもう、恐ろしいほどに美しい三日月にただただ見入ることしか出来なかった。
「奪ってしまいたいほどに」


∴月が綺麗だったので


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