「あっ」
浮かれていた足取りが不意に止まる。必然的にドットと寄り添うようにして歩いていたオーターも歩みを止めた。
「どうした」
酷く簡潔で素っ気ない問い。冷酷にも感じるが、これが彼の平常運転だと知っているドットはオーターの態度以外の理由で目を泳がせていた。
「えーっと、そのぉ……」
休日、しかも真昼のマーチェット通りのど真ん中となれば当たり前のように人でごった返している。そんな場所でうだうだしているのがはた迷惑なことくらい理解しているドットは、人波に飲まれないようにオーターを連れて道端に避けると諦めて事情を話すことにした。
「財布、忘れました……」
「何だそんなことか」
「財布はそんなこと扱いムズくないですか!?」
「私が全て出せば済む話では?」
流石は神覚者、デート代などはした金でしかないとばかりに言い放つ。実際その通りなわけだが。しかしお金持ちの彼氏に何もかも奢ってもらうなどあまりにも女々しいが過ぎるのではないか? ドットの男としてのプライドが反論を持ちかける。しかも学生である自分が社会人にタカるのはいわゆるパパ活と言っても過言ではないのでは? ドットの倫理的な部分まで疑問を投げかけてきた。勝負ありである。
「それは流石になんか色々ヤバい気がするので遠慮します」
「そういうものか」
ドットのキッパリとした断りにオーターは納得したらしく、いつの間にか取り出していた財布を服の中にしまった。しかし往来の人は一向に減らないのに時間は容赦無く減っていく。こうなれば取れる行動は一つだろうとオーターは一つの提案をした。
「寮はそれほど遠くないだろう。取りに戻ればいい」
「そう、ですね……」
やけに歯切れの悪いドットの返答にオーターは眉を寄せる。そも、やかましさがトレードマークと化しているドットがこうもしおらしいのは中々見ない光景である。久しぶりのデートゆえに緊張でもしているのだろうか。そう考えたら無性に可愛らしく思えたので、不意打ちで手を繋いでみたらみるみるうちに真っ赤になるものだから面白い。
「ちょっ、オーターさんここ往来っ!」
「それがどうした。認識阻害魔法はかけている。周りから見ても、私たちはごく普通の仲睦まじい恋人同士に見えるだけだろう?」
ハッキリと口にされた“恋人”の響きにドットはとうとう真っ赤なまま固まってしまう。そんな彼の手を引いて、オーターは最早行き慣れたイーストン校へ向かうことにした。
さて、ドットにも寮へ戻ることを渋る理由があった。一つは貴重な恋人との時間をできるだけ長く過ごしたいという可愛らしい理由だったが、もう一つは今自分の部屋にいるであろう人間への申し訳なさからだった。いや、ワンチャン留守かもしれねぇし……! そう一縷の望みを掛けてドアをノックしたところ、何やら二人分の声が聞こえたのでやっぱりかぁとドットはそっと自室の鍵を懐に戻そうとして、……オーターに奪われた。
「何してるんだ、お前の部屋だろう」
デリカシーの欠片もない言動だがオーターはそういうところがある。ドットの静止も聞かずに彼の部屋を開けた先、真っ先に目に飛び込んできたのはやけに距離が近い弟ともう一人の弟子だった。
「えっ、あっ、何でテメェが!?」
「……それはこちらの台詞だが」
「おいドット、お前今日はオーターさんが休みもぎ取れたから一日出かけるって……!」
「あっ、じゃあオレ忘れ物取ってきますんでごゆっくり……」
「この状況でどうごゆっくりしろと!?」
ワースの冴えたツッコミが部屋に響く。確かに家主の片方がいないからとろくに隠れもせず部屋で盛ろうとしていたのは迂闊だったかもしれないが、だからってなぜよりにもよって疎遠な実兄に目撃されなければいけないのか。ワースがパニックになりながら逃げ道を探していると、やはりデリカシーなど持ち合わせていないオーターがズカズカと接近してくるものだから頭が真っ白になったワースはランスにしがみついた。
しかしワースの焦りはすぐに収まった。オーターが目を向けていたのはワースではなく、恋人であるランスの方だったからだ。冷静さを取り戻すと同時に、心が急速に冷えていくのを感じる。やはり自分はマドルとしては出来損ないであり気に留める価値もない存在であると、両親のみならず兄にまでも突き付けられた思いだった。優秀な自分の弟子が不出来な弟に引っ掛かってそんなにご不満かお兄様? いつもの失望と諦観が襲ってきて、ワースは無意識にランスから身を放そうとする。
そんなワースの身を引っ張り再び密着させたランスは警戒の念を込めてオーターを見据えた。ランスは“神覚者オーター・マドル”のことを尊敬しているが、“ワースの兄としてのオーター”には正直懐疑的である。巨大かつ強固なワースのコンプレックス、不器用にもほどがあるオーターのコミュニケーション、その両方を間近で見てきたランスにしてみれば当たり前の反応であった。少しでも心無い発言が出たら同じ兄という立場の者として思いっきり反論してやろう。そう考えて身構える。
けれど、オーターは二人の予想をあっさり裏切った。
「弟をよろしく頼む」
オーターは真っ直ぐにランスを見つめて言う。そこに非難の色はなく、安心と信頼、そして祝福が込められていた。
「……! はいっ、わかりました!」
ぽかんと口を開けて固まったワースの横で、ランスが慌てて返事をする。先ほどの杞憂はどこへやらと誇らしげに胸を張るランスと、ついに目があった兄の柔らかな微笑みを見て、ゆっくりと今の状況を噛み砕いたワースは、いわゆる交際に許可を出す身内という少女漫画の中でしかお目にかからないようなシチュエーションに自分が取り込まれていると気づくと恥ずかしさやら嬉しさやらでわなわなと震えだした。そんな三人をじっと陰から見守っていたドットは、事の顛末に胸を撫で下ろすと急いでオーターの元へ駆け寄る。
「ああ、それから」
不意に、オーターはワースとランスの目の前でドットの頭を引き寄せる。それはほんの一瞬だったが、ワースを、ランスを、そしてドットさえも混乱させるには充分だった。
「私たちの方もよろしく頼む」
キスで真っ赤になった恋人の手を引き、呆気にとられたままの弟と弟子を置いてオーターは部屋から去った。直後「何なんだよアイツ!!」とワースの大きな叫び声が響いたのは言うまでもない。
∴不意討御挨拶