「私は、一度死んだ」
 午後八時。オレとオレ以外の神覚者の勤務時間が被る貴重な時間。故にこの時間は連絡事項の伝達及び情報共有の時間として他神覚者と話すことも多い。今日はオーターの担当だったらしく、確認書類やら直近で死んだ有力者の一覧やらを貰い、さて今日の仕事も頑張るかぁと伸びをしていたところ珍しく居残ったままのオーターに話しかけられた。コイツ、雑談とかいう概念持ってたのか。どう考えても雑談には適さない話題だけど。
「あー、無邪気な淵源からキノコ頭抱えて逃げてたときの話か?」
「……知ってるのか」
「お前の弟子があちこちでお前の武勇伝を語って聞かせてるからな」
「あいつら……」
 カチャリとオーターが眼鏡のレンズを押し上げる。コイツは眼鏡を直すときに口元も隠すからかなり分かりづらいが、若干口角が上がっている気がしないでもないのでどうやらまんざらでもなさそうだ。常に神経を張り詰めて、ちょっとでも瑕疵を見つければ砂で穴だらけにしていたような頃からは想像もつかないくらい丸くなったことにしみじみする。
「で、なんだって急に」
「お前を見ていたらあの時のことを思い出した」
「それ喧嘩売ってんのか?」
「そうじゃない。お前はよく死んでいるから、そういえば私も死んだことがあるなと思って」
「やっぱ喧嘩売ってねぇ?」
 無邪気な淵源は倒され世界に平和が訪れました、めでたしめでたし。……で、終わらないのが現実である。復興作業や制度改革に人は皆てんてこ舞いになり、特に国の中枢を担う魔法局は馬鹿みたいに多忙を極めていた。オレは無邪気な淵源の部下が掘り起こした魔導師の遺骸の把握や、巻き戻し地点より前に起きた無邪気な淵源に関わる殺人事件の被害者遺族への対応に連日追われているし、オーターに至っては魔法不全者に対する法改正議論という今魔法界で一番熱いドタバタの真っ只中にいる。てかよく見たら瓶底眼鏡の奥の隈が相当ヤバい。急に突拍子もないこと言い出したの寝不足が原因なんじゃねぇの?
「あの時はアドレナリンが出ていたから死ぬと分かっても恐怖は感じなかった」
 なぜオレは業務前にコイツのグロめの独白を聞いているのか。フィクションのスプラッタは好きだが現実には求めてない。リアルスプラッタ要員なんざオレ一人いれば充分だろう。大方仕事のし過ぎでハイにでもなっているんだろうが、一応定時は過ぎているお前と違ってこっちはこれから仕事である。勘弁してほしい。オーターが定時で上がってるところ見たことないけど。
 オレのイライラを余所にオーターはなおも話を続ける。
「ここで死んだとしても後悔はないと思った。あいつらによって世界が救われることに疑問も持たなかった。ただ……」
 オーターは一旦そこで口を止めた。そして大きく息を吸うと、珍しく表情筋を使って、眉を吊り上げ眉間に皺を寄せた、いわゆるしかめっ面をして言い放つ。
「クソムカついた」
「お前にクソとかムカつくとかいう語彙あったんだ……」
「普通に物凄く痛かった」
「そりゃそう」
 雑魚の攻撃だろうが当たれば痛いものは痛い。オレは慣れたが普通はホイホイ生き返れないから慣れる前に死ぬ。それはオーターとて例外ではない。
「だから、お前は凄かったんだなと」
「うん?」
 なぜか急に褒められた。前後の文脈の繋がりを読み取れなかったせいで嬉しさよりもなんで? という困惑がまさる。それがそのまま顔に出ていたんだろう。流石のオーターも言葉足らずに気づいたらしく、眼鏡のレンズを押し上げながら説明を始めた。つーか眼鏡押し上げるそれ、照れ隠し仕草なのかもしかして。
「お前は慣れとでも言いそうだが、本来アレは慣れるべきではないものだ」
 淡々とした口調。けれど言葉の端に怒りが滲んでいることに気付けないほどオレは鈍感ではない。
「あの痛みは生を否定していた。生の否定とは、意志に歴史に環境、その生命にまつわる全ての否定と同義だ。そしてそんなことはあってはならないのだと、私はつい最近理解した。理解した直後に己の生を否定されたものだから本当にムカついた。だから、何度もあの痛みを繰り返しているお前は強かったんだなと、見直した」
「……そりゃどぉも」
 ド直球の褒め言葉、それも堅物の擬人化のようなオーターからとなれば大層むず痒い。このむずむずを逸らすためか、よせばいいのに脳は勝手に痛みの回顧を始める。他人にとっちゃ思い出したくもないことだろうに、これも慣れの為せるわざなのだろうか。
 それはいつだって鮮明だ。四肢がもがれる。臓器がつぶれる。あちこちに開いてはならない穴が貫通する。そうすると体は痛みに支配され、機能を停止させる。絶えぬ激痛に加えて思うように動かない肉体に対して精神は怒りを募らせるしかない。『テメェをオレと同じ目に合わせてやる』お世辞にも綺麗とは言い難い澱んだ情動が目の前の敵を屠らんと蠢く。
 共感されることはないと思っていた。皆その前に死んでしまうから。
「じゃあさ、オレが派手な遅刻したときに砂で脇腹えぐるのやめてくれない?」
「…………」
「痛ァ!!!」


∴慣痛


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