実はあまり理解したことのない感覚だったりする。
「あっ、この雑誌の表紙ランスクラウンじゃん。ヤバ、めっちゃイケメン。買っちゃおうかな」
「その雑誌先月も買ってたけど中身読んでるの? 分類的には経済紙じゃん」
「表紙だけでお金を払う価値があるんだよこういうのは。特に先月のオーターマドルなんてファッション誌には絶対載ってくれないから貴重なの!」
「はぇ〜、こうやって売り上げを増やすのか。神覚者のイケメン様様だな〜」
学術書を買うために本屋でレジ待ちをしている間、オレとさほど年齢の変わらない女性たちの楽しそうな会話が聞こえてくる。暇なので目立つ場所に平積みされているよく見知った顔を眺めていたが、ほどなくして列が動き出したので自然とその顔も見えなくなった。
この世に存在するありとあらゆる物質には美醜という基準があり、美しければ美しいほどよいとされている。美しいこと。それもまた価値だ。理屈では分かっているし、実際に高名な画家の絵を美術館で見る機会なんかもあった。それらがオレみたいな凡人の落書きなんかと比べて、美しくて優れている、価値のあるものであると判断することもできる。ただ如何せん、その美しさがオレに一体何の益をもたらしてくれるかは知ることができないままこうして大きくなってしまったせいで、オレ自身が“美しさという価値”について価値を見いだせないでいた。だって綺麗な絵を描いたところで親は褒めてくれないし、綺麗な顔をしていたとしても魔法局への就職が有利になるなんてこともないのだから。
「それ、女の子たちへの冒涜だから周りに人がいるところで言わないでね」
昔、シュエンにたしなめられた際の言葉である。確か「イケメンだなんだと騒いで何が楽しいんだか」みたいな発言に対する返答だった気がする。思えばシュエンは自分の容姿の価値を過不足なく理解し、最大限発揮しながら生きている大変器用な奴だった。オレとは真逆だ。幼馴染でなければ関わることもなかったであろうイケメンは、やれやれと芝居がかった動作で肩を竦めて見せると不意にオレのサングラスを奪う。突如として色彩を取り戻した視界いっぱいに、薔薇のような赤に彩られてよく整った顔が映し出された。
「せっかくサードもイケメンなんだし、一回女の子たちに囲まれてみる? その妙に低い自己肯定感も治るかもよ」
なんと、オレはイケメンだったのか。それじゃあもしかして、「兄弟だから似てるね」とよく言われるアレもイケメンなのか。オレの自己肯定感が低い最大の原因を思い出しつつ新たな気付きを得た。それはそれとして誘いは丁重にお断りしたが。
「そっか。残念」
大して残念でも無さそうな軽い声色。分かってたなら聞くんじゃねぇよ。返却を要求したところ大人しく返されたサングラスをかける。彩度が低くて、くすんだ世界。うん、やっぱりこれが一番落ち着く。
学術書を携えて家に帰る。今日は休日で、特に予定もないので暇を潰せそうな小難しい本を探しにいったのがさっきの話。後はこの本とにらめっこしながら休日を潰す、……つもりだったのだが。
なんかついさっき見た顔を間借りしているアパートの入り口付近に見つけた。見たと言ってもこちらが一方的に紙面の上の顔を眺めていただけだが。家探しの際比較的閑静な立地を選んだとはいえ、いわゆるベッドタウンである以上人はいる。小声ではあるが確かなざわめきを感じ取ったオレは慌てて問題の男、ランス・クラウンをアパートに連れ込んだ。キャアと隠す気のない黄色い悲鳴が耳に届く。
「何しに来たんだ?」
アパートの一角、やや古いがそれなりに広さのある部屋に駆け込んでから問いただした。
「お前の顔が見たくなった」
「なっ!?」
コイツ、こっぱずかしい台詞をなんてことはないように言い放ちやがる。オレがあっけに取られている間、ランスは慣れたようにオレの部屋の電気をつけた。窓も開けようとしたのか一度カーテンの裾を掴むが、思いとどまったようで結局窓の外が見える事態にはならなかった。賢明な判断だ。変身魔法もアポイントメントも無しに、世間がみな一様に大注目している期待の若手神覚者こと星の神杖様が訪れたとあれば、野次馬の一人や二人は出てくるだろう。
「オレん家来るときはいつも変身魔法使わせてただろうが! 生身で来るんじゃねぇ!」
「そしたらお前もオレだと気づかないだろうが」
「そりゃバレないためにするモンだからなぁ!?」
なぜか逆ギレみたいになってしまう。正当性はオレの方にあるはずなのに。
顔が見たいという宣言に違わず、空色の瞳がじっとコチラを見つめてくるものだから無性に恥ずかしさが込み上げて顔を背けた。壁一面に広がる本棚が視界に入って、それでようやく自分が何のために外出していたのかを思い出す。買ってきた学術書を本棚の端に突っ込んで、そのまま静止。視界には難解かつ分厚い本の背表紙しか入らないようにする。だというのに、何故か脳裏には買ったばかりの本の背表紙ではなく買ってもいない雑誌の表紙ばかりが浮かんでいた。デカデカと印刷された微笑みの欠片もない仏頂面の実物が、今まさにオレの真横に存在している。
「おい、こっちを向け」
言葉と同時に頭が掴まれる。年上に対してタメ口の命令口調。おまけに返事を聞く前から強制実行させる不遜さ。いつまでたっても生意気なガキだが、そんなところも可愛いとほだされてしまったのは紛れもなく自分だった。
何の因果かオレはコイツの彼氏である。数多の人間が欲してやまない地位を、何故かろくな価値も生み出せず、コイツの価値を正しく把握しているとも言い難いオレが手にしている。
「……満足かよ」
自分の意志でもなく首を90度回すのは結構痛いので仕方無しにランスに向き合った。ガン見されるのは相変わらずむず痒いが、頭をわし掴まれる感覚の方はなくなりひとまずほっとする。が、それも束の間、オレに伸ばされた腕が一向に離れないことに違和感を持ったところでもう遅い。輪郭をなぞるように降りてきた手はオレの防波堤ことサングラスをスルリと抜き取った。
瞬間、きらめく視界。突然色彩を取り戻した世界は窓も開けてないというのに鮮やかな眩さをもってオレに襲い掛かってくる。案の定、その中心にいる、というか光源そのものである男の顔を間近で直視させられる羽目になった。煌々と夜空に輝く一等星。澄み切った快晴の青空。地中に沈む汚泥にとってはどれだけ手を伸ばそうと届かないはずの美しい天が、息遣いすら聞こえるほどのそばにいることが不思議でならない。なんかもう直火で焼かれている気分だ。それなのに目が離せなくって、いつまでもこの輝きを視界に留めていたいと思ってしまって、目が焼き切れる前に最後に映るモノがこの男であってほしいと、傲慢にも願った。願ってしまったのであればそれはもうオレにとっても価値あるものだ。もしかしてこれがイケメンに見惚れるってやつなのか。ちょっとだけ気持ちが分かったかもしれない。
「二人きりのときはサングラスを外せ」
言いながらランスはサングラスを自身の胸ポケットに引っ掛けた。どうやら今のがオレのサングラスを無言で奪った理由らしい。惚けたままの自分はその意味を推察することもなく疑問を返す。
「なんで」
「説明が必要か?」
「ああ」
オレが頷くとランスは綺麗なかんばせに皺を寄せて深いため息を吐いた。それすらも様になるのだからイケメンは凄い。
「いいか、よく聞け。人の目を見て話しましょうと教えられたことはあるか? オレはアンナにそう教えている。横顔のアンナも大変愛らしいが、けれどやはり真正面から向かい合った方がよりアンナの素晴らしさを実感できる。嘘偽りの欠片もない純粋無垢の体現者のなんと尊いことよ。貴様も見習え」
つぶさに語られる最早聞きなれた妹トーク。アンナ嬢の素晴らしさについてはよくわかった。しかしオレの疑問の答えには何一つなっていない。そんな不満を感じ取ったのか、ランスがオレの顎を掴みグイと顔を近づけて来るものだから反射的に目をつむる。
「サングラスもそうだが貴様はやたらと自分を隠そうとするだろう。せめてオレの前ではその癖をやめろと言っている」
怒られている、ような気がしたので恐る恐る目を開けた。薄目なのは許してほしい。コイツはとにかく眩しいのだ、シスコンのくせに。
「オレがアンナと正面で向かい合って話をしたいように、オレはお前とも正面で向かい合って話をしたいと思っている。理由はお前のことが好きだからだ。好きな人間のことは隅々まで逃したくないと思っているからだ。お前の瞳の色も視線の向き先も逃したくはない。ここまで言われないとわからないのか? せっかく頭がいいのにどうして感情論ではポンコツになるんだ貴様は。テスト製作者がどんな意図で問題を出題したのかを読み解くように、オレがどんな気持ちでお前のそばにいるのかもちゃんと読み解け」
とんでもないことを、言われている。どうやら星の神杖様は紡ぐ言葉すら眩しいらしい。ランスがポンコツ向けに懇切丁寧に説明してくれたので流石のオレも理解した。理解したから、今全身が茹だるように熱い。熱を下げるためにも目を逸らしたい。でも逸らしてはいけないらしい。
この歓喜と困惑に、果たしてランスは気付いているのだろうか。もし気付いているのだとしたら、オレのこの感情は、外見も心根も、何もかもが美しい人にとって、価値あるものとなれているのだろうか。
お互い目を開けたまま触れるようなキスをして、ようやくランスはオレを解放した。硬直から解けたオレは真っ先にランスの胸元に引っ掛けられたサングラスに手を伸ばす。何か小言を言われるかもしれないと身構えるが、言いたいことは言い切ったのか少し眉を吊り上げられるだけで済んだ。かくして手元に戻ってきたサングラス。定位置に戻す前に、オレは意を決してランスを正面から見据えた。
「オレも、お前のことが好きだ。お前のそばにいられること、お前の愛を受け取れることを、喜ばしいと思う」
「そうか。嬉しい」
「でも、眩しいのは、苦手だ……」
ゆっくりとサングラスをかける。いつも通りに戻った視界は薄暗くくすんでいる。この暗い世界が、オレにとって適切な明度と彩度だと思う。あれだけ眩しかったはずのランスも、太陽を覆われた曇り空となれば直視は容易い。
「受け取ったものは、それ相応の価値を返すべきだということは理解してる。でもオレがお前に返せるものなんてたかが知れてるから、本来は極力お前の言うことに従うべきなんだろう」
「……オレはお前に返せなど一言も言ってないが?」
「うるせぇ、こっちの気分の問題なんだよ。ともかく! いつかちゃんとオレの全部をくれてやるから、しばらくの猶予を寄越せ!」
売り言葉に買い言葉でこっちまで恥ずかしいことを言ってしまった気がする。ええい、こうなったらもうヤケクソだ。震える拳を勘づかれないよう握りしめながらランスの言葉を待つ。
「しばらく、とは具体的にどの程度の長さを指すんだ?」
「知らねぇよ。こっちが知りたいくらいだ」
我ながら酷い返答である。完全にヤケを起こしているオレに対して暫し思案の体勢を取っていたランスだったが、何か思い付いたのかおもむろに上着のポケットをまさぐり始めた。
「……じゃあ、眩しさに慣れる訓練をするか。オレの秘蔵のアンナアルバムの複製をくれてやろう。最初は一日一ページ五分でいい。二冊目に行くころにはきっとサングラスなしでも外を歩けるようになる。その上アンナの眩いばかりに光り輝く神々しさをハッキリと知覚し言語化できるようになっているはずだ。論文にして発表出来るほどに」
「書けってか?」
「ただ残念ながらアルバムは今携帯していないので今日はこれで我慢してくれ」
そして差し出された三枚のブロマイド。なんで恋人に会いに行く荷物の中に妹のブロマイドがあるんだよというツッコミはぐっとしまって、面倒なことになる前に大人しく写真を受け取った。パラパラと中身を確認して、その内の一枚が兄妹写真なことに気付く。中央で花のような笑みを浮かべる少女と、少女に寄り添い穏やかにほほ笑む青年。どちらの視線もこちらには向かず、お互いしか見えていない二人だけの温かな空間を切り取った、美しい写真。
「どうだ、眩しいだろうアンナは」
「そうだな……」
誇らしげに胸を張るランスに肯定を返す。……確かに、最初はこれくらいから慣らしていくのがちょうどいいのかもしれない。
ずっと泥の中で生きてきた。光は届かないことが当たり前だった。だから何故か掴めてしまった星を持て余している。与えられたことの無い、知らない価値だったからどうすればいいのか分からなくて、うやむやに目を逸らしていた。それを辞めろと星は言う。オレはそれに応えたいと思った。思えたのだ。
だからいつか、自信を持って真っすぐに見つめ合えたらいいと思う。一等星の、美しい人を。
∴シリウス