無造作な黒髪に鋭い目付き。そこに憎しみと悲しみを乗せて見上げられた時、薄情なことにおれはとても安心したのだった。
出来上がったばかりの本部、新築の廊下に置かれた新品の長椅子に迅悠一は寝そべっていた。忙しい一日が終わり、その疲労を少しでも紛らせるためであった。靴を履いたまま長椅子に寝そべる行為が人に咎められるものでたることを迅は知っていたが、この時間にこんな場所を偶然通りかかる人間などいないと迅は踏んでいた。この大きく広い建物に対して中にいる人間はとても少ない。一ヶ月もすれば何十という人が増えるはずだけれど、初期隊員募集中の貼り紙が市の要所のあちこちに貼られているうちは、この建物に入ることが出来るのは極少数の関係者だけだ。予知するまでもない。というか、こんなことに予知を使うのは大を救うためと理由を付けて切り捨てた皆に会わせる顔がなくてなるべく見ない振りをした。
「オイ」
だから、頭上に掛けられた声に迅は酷く驚いたのだった。
「あー、えーっと、その……」
「風間蒼也だ」
「……それは知ってます」
上から覗き込んでくる視線につい目を反らす。年上に対して失礼だなと思いつつ、その顔を直視することは今の迅には憚られた。どうしても思い出してしまう。どんなに楽しい思い出だとしても、結局は辛い記憶の引き金となってしまう。だから何も思い出したくない。そう思ってしまう自分が心底嫌だった。
「具合が悪いならこんなところに寝転がってないできちんとしたベッドで寝ろ」
物言いはぶっきらぼうだが、そこに込められた優しさに気づかないほど迅は鈍感ではない。けれどどんな反応を帰せばいいのかは分からなくて、何も言えず何も見ることも出来ず、罪悪感だけが積もる数秒を過ごす。早くどこかへ行って欲しい。そう念じた思いに応えるように、やがて気配は自分の中の元を去る。遠ざかっていく足音を聞きながら小さく息を吐いて、迅は目を開けた。途端、足音が止まる。
「もしもし、林藤さんですか。……はい、風間蒼也です。実は迅が、」
気付いたら体は駆け出していた。反射的に携帯を奪って電話を切ったあと、ほとんど押し付けるようにして持ち主に返す。目線の少し下にある顔はやや驚いた表情でそれを受け取った。初めて見た顔だった。
「……ッ、年下扱いしないで……」
頭を垂れて懇願する。ぱちくりと瞬いた瞳は困惑を示していた。それはまるで幼い子供の様でもあって、あれ、思ったよりも似てないかもしれない、なんてことを思ったりもして。
「……お前には俺が年下だけに優しい奴に見えたのか」
「へ?いや、そういうのじゃなくて……」
「冗談だ」
やりかえしてやったとでも言わんばかりの顔は正しく子供のものだ。こうやって意地の悪いことを言っては構ってもらっていたのだなと知るとともに、あの人とは別人であるという当たり前の事実が迅を楽にさせた。身長のせいだろうか、それはいたずらに成功した弟のようにも見えた。機嫌を損ねそうなので口には出さないが。
「それはともかくとして医務室には行くぞ。ベッドくらいあるだろう、案内しろ」
「それはおれもわかんない」
あははと声が出て、いつの間にか笑う余裕が出来ていたことに気付く。そんな迅に、風間は安心するでもなく心配するでもなく、露骨に顔をしかめて見せた。
「チッ、案内板を探すぞ。それくらいあるだろう」
「どうだろうねぇ」
「もう一度林藤さんに電話するか?」
「それはちょっと困るというか……。そうだ!一緒に探してくれない?保健室」
「……分かった」
ぎこちなく二人並んで歩きだす。真新しい大きな箱はどこもかしこも似たような景色で、「これは結構時間が掛かりそうだな」と、存外楽しみに思うのだった。
∴年上の弟