甘い。全くもって擁護のしようがないほどに、甘い。見ているだけで胃もたれを起こしそうな、幾重にも折り重なったホイップクリームの、隙間という隙間に捩じ込まれた大小様々な苺たち。店の内装はおろか空気すらピンク色に染め上げる手腕はお見事としか言いようがない。拳一個大もない小さなカップに詰め込まれたサンデーですらこうなのだ。その十倍はあろうかという巨大な苺パフェは果たしてどれだけの戦闘力を有しているのか。そして、それを易々と平らげる彼の胃袋は魔界か何かと繋がってでもいるのだろうか。
気休めに紅茶を口に含む。「不味いとは思わないが、値段に釣り合っているとも思えない」という感想は、この社会で一般人に紛れて生きていくには苦しいものなのだろう。
パシャパシャとスマホのカメラ機能があちらこちらで音を立てている。時折自分達に向けてフラッシュが焚かれるが、珍しいことでもないので無視をする。平生であれば渋面を作る後輩も、今日ばかりは機嫌良さげに不躾を許していた。苺、様々である。
「巡くん、食べないの?」
柊の長いスプーンが俺のカップを指し示す。一昔前ならいざ知れず、その動作、視線、声色に含まれた期待に気付けないほど俺は鈍感ではない。
「そうだな。たまには、と思って挑戦してみたが如何せん甘すぎる。食べるのを手伝ってもらえるか?」
一字一句違えぬように、彼が求める台詞を口にする。俺が期待に応えた後は、彼が俺の期待に応える番だ。予想通り大層分かりやすく顔を綻ばせた柊によって目の前の器が取り替えられる。そんなに嬉しそうにされてしまうと最早小言なんて言えるはずもない。
正直な話、単なる気まぐれの一種だ。日が異なれば面倒臭いと一蹴していたやもしれない。流行りのスイーツを売っている流行りのカフェ。人混みは必至であり、俺自身はスイーツに一切興味はない。合理性を考えれば無駄としか言いようのない時間だろう。けれど、俺と同じく人混みを苦手とするはずの後輩の頼みを断るのはどうにも非道であると、その時はそう思ったのだ。
「ごめんね、付き合わせちゃって」
俺の分のサンデーも食べ終えた柊が伏し目がちに口を開く。きっと今、柊の中にはささやかな罪悪感が渦巻いているのだろう。観察、分析。人間ってのはつくづく面倒な存在だ。自分本位な我が儘を言ったかと思えば、次に繰り出されるのは純度百パーセントの思い遣りの言葉だったりする。美味しくも不味くもない紅茶を啜りながら、俺は次の台詞を思案していた。その後ろで、普通の人間はこんなことをしないのだろうなとぼんやり考える。
普通の人間の、普通の感情。俺のそれは観察と分析によって手に入れたものだ。本質的に、俺は一人で女の店に入る恥ずかしさも、それに知人を付き合わせてしまう罪悪感も、それでもあの甘ったるい苺パフェを食べたいという欲望も、心の底から理解出来てはいないのだろう。こういう時、頼城はなんて言葉を掛けるのだろうか。そうして幼馴染みの顔を思い出して、それは一番有り得ない選択肢だったなとすぐにかき消した。頼城紫暮という最も気を使う必要性のない人間を同行者に選ばなかった柊の気持ちに関してだけは心の底から理解出来ているつもりだ。
「巡くん……?」
伸ばした前髪の隙間から不安そうな顔が覗く。気まずい空気を誤魔化すために慌てて紅茶を一気にあおったことで、俺はとうとう時間稼ぎの手段を失った。店内は相変わらずピンクに満ちていて、ガヤガヤした話声とパタパタした足音があちらこちらから生まれている。喜喜楽楽、少女たちはみな幸せそうだ。スイーツ一つでご気楽なことだ、なんて皮肉はもう言わない。普通の人間の、普通の幸せ。俺の設計図に不要とされた機能。それを後付けで埋め込まれた世界はちょっぴりうるさいけれど、まぁ、悪くはない。
「……まぁ、確かに俺が得るものは無かったけれど」
「やっぱり……」
「どうせ暇な身だ。『なんにもない』時間だって悪いものじゃない。それに、アレを連れてくるわけにはいかないだろう?」
「そりゃ紫暮は……ヤダ。絶対ヤダ。うるさすぎる。巡くんは、落ち着くから好きだ」
「光栄だな」
もしもの話。ほとんど口にしなかったサンデーにたいして美味しくも不味くもない紅茶、それらを合わせた値段を五年前の俺に見せたらきっと心の底から呆れられるだろう。『馬鹿じゃないのか』って。そんな自分に、『馬鹿も捨てたものじゃないぞ』と言えるようになったなら、それは俺自身が人間になれたという証拠に違いないのだろう。
∴塩基配列設計図脚注(三)参照