「きっと、お前は神が作った、……作り出してしまったバグのような存在なのだろう」
 ゲホゴホと空の咳が部屋に響いた。それは彼が死と隣り合わせである証拠であり、同時に話し始める合図でもあった。真白く四角い無機質な部屋。そこに不釣り合いな闘気を滲ませて、矢後は傍に立つ男をキッと睨みつけた。
「……それで?何が言いたいワケ?」
「何も。ただそう思ったから、口にしただけだ」
 涼しい顔をして頼城は隣のベッドに腰を下ろす。この病室にはベッドが四つある。けれど入院している患者は矢後一人だった。ベッドに空きがあるということは、そのベッド三つ分だけ不幸な人間がいないということ。シワも汚れもないシーツは病院としての機能を果たしてはいないが、代わりに社会の幸福を表す。いつの日か、病院も医者も必要がなくなる世界が来ればいい。けれどそんな途方も無い話は現実味のない夢でしかないと目の前の男は暗に告げる。シーツのシワをなぞりながら頼城は溜め息を吐いた。
 そも、矢後は患者としては問題児そのものである。できるだけ一般の患者と同じ部屋に入れたくない、というのが病院側の本音だろうか。
 咳の音が鳴った。
「早くどっかいけよ」
「見張りを任されている」
「なんでてめーが」
「詳しいからだろうな。病院の構造、貴様の病状、そのどちらにも。それに今のお前は俺に手出しを出来ないほど衰弱している。殺傷沙汰になる心配はない、と判断されたのだろう」
 よく回る口だ。今すぐにでも殴りかかってやりたかったけれど、頼城の指摘通り今の矢後は自分の口を動かすので精一杯だった。何をしようにも咳が出る。胸を締め付けられていて、そのせいで行動に制限が掛かっている、ような、感覚。舌打ちだって咳に変換されてしまってまともに出来やしない。そうしてただただ咳込む彼を、金の瞳は少しも揺れることなく映し出していた。可哀想だなんて今更思わない。彼を可哀想の括りに入れてはならない。そう思わなければやってられないことだってある。
「お前の戦闘狂ぶりにはほとほと手を焼かされている。どうして今、お前が俺を前にして大人しくせざるを得ないか覚えているか?」
 咳の音、否定の声。
「だろうな。貴様の鳥頭ではすぐ忘れてしまうかもしれないが教えてやろう。今回のお前の発作が酷いのには理由がある。簡単に言ってしまえば自業自得。戦闘中に発作が起きた、それなのに戦闘を続行した。以上だ。戦闘中であればリンクユニットによって無理をすることも可能だ。だが、それは戦闘を続けて良い理由にはならない。久森の再三に渡る忠告を無視したのは貴様だ。よって全ての責任は貴様にある」
「……話がなげーよ」
「救急車を呼んだ久森の声はほとんど泣いていたそうだ」
 余命宣告を受けるほどに重篤な不治の病。それが、痛みを感じぬ戦狂いの上に乗っかっている。ただの偶然、そう言ってしまえばそれまでだが、どうしてもそれに理由を見出そうと躍起になる自分がいた。
 矢後の病気も、異常とも言える戦いへの執着も、頼城の手に負える範囲に収まったことはただの一度もない。彼は全てをこの手で救ってみせると豪語する人種だ。同時に、他人がそれを綺麗事と笑い飛ばせないほどの力も持っていた。その広く大きく力のある手から、いつも真っ先にこぼれ落ちるのが矢後だ。あまりにもいつもこぼれてしまうから、いつしか頼城は矢後を掬うことを諦めるようになった。そのためには理由が必要だった。頼城は律儀な人間だ。誰かを救わないことに、正当な理由を求めてしまうほど。たとえその理由が荒唐無稽な絵空事であっても。
「お前のその不治の病はバグの帳尻合わせのようなものだろう。誰かれ構わず突っ込んでいく核弾頭を、野放しにしないための」
 精一杯の言い訳だった。
「ゲホゲホッ、ゴホッ」
 カラカラに渇いた咳がこだまする。辛気臭さに満ちた空間を切り裂くようにそれはとてもよく響いた。頼城は眉をひそめ、シーツから腰を上げて男の顔を覗き込む。その口元は薄っすらと笑っていた。
「じゃあこれが治ったらまた暴れていいんだな?そーいうもんなんだろ、バグってのは」
 聞いているだけで息苦しくなるような、いっそ小鳥の鳴き声にさえ聞こえるような、まるで呼吸とは言えないような、そんな甲高い音を喉から発し続けながら、矢後は意地悪くニタリと笑って見せる。人体のエラー音を鳴らしながら彼は頼城を挑発してみせた。何がどうしてかは知らないが大層気にくわないのだ、この男は。矢後の言動には理由が伴わない。眠たいから、眠る。暴れたいから、暴れる。だって誰かを救う救わないだのに一々理由をつけていたら、できる喧嘩もできなくなってしまうというものだ。
「俺の言葉を都合よく解釈するな」
「ゲホッ、都合がいいのはテメェもだろ」
 矢後から発せられるエラー音が大きくなる。明らかに異常な様相に観念して、邪魔をしようと伸びてくる腕を掻い潜り頼城はナースコールを鳴らした。「余計なことをするな」口に出せずともその意図はよく伝わってきたので、逆にしたり顔を返してやった。こんなことでこの男を掬えるはずもないけれど、何もしないよりはマシというものだろう。
 閑散とした院内に足音が聞こえる。きっとすぐに看護師がやってくる。そしたら医者が来て、指揮官に久森、巡にみんながやって来て、この部屋はもっと騒がしくなる。そうすれば咳の音だって呼吸の音だってさして気にならないだろう。この男のバグを除去できる人間なんてこの世にはいないけれど、異常を埋没させることはできるのだろうな。そんなことをぼんやりと思いながら頼城はベッドシーツのシワを伸ばした。


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