「へぇ、早く見つかるといいですね。それじゃあ」
 笑顔で扉を閉めて、足音が遠ざかっていくのを注意深く聞き取る。そうして足音と、ついでに話し声が聞こえなくなってしばらく経った後、ボクは押し入れに向かって話し掛けた。気が狂ってぬいぐるみを話し相手にするとか、その手の類いではないのでどうか安心してほしい。
「もう大丈夫だよ。少なくとも別のフロアに行ったみたい」
 もぞりと押し入れの中で何かが動く気配がした。続けて引き戸の隙間から色違いの双眸が覗く。ほらね、ちゃんと人に向かって話し掛けてたでしょ?
「……ありがとう、倫理」
「どういたしまして。この程度でお礼なんてボクには勿体ないや!」
 そろりと慎重に押し入れから顔だけを出して、部屋の中をぐるりと見渡す。そうしてボク以外の人間が存在しないことを確認すると霧谷くんはようやく全身を見せてくれた。全くボクってば信用がないなぁ、なんて自嘲はしない。彼は誰であろうとまずは疑心暗鬼の態度を取る。前に佐海ちゃんが嘆いていたから多分本当なんだろう。
「相変わらず狭いところに隠れるのが得意だねぇ」
「かくれんぼなら、施設のみんなとよくやるから」
 少しはにかんで、それから大きく伸びをする。時間にして五分ちょっと。たったそれだけの時間であっても無理な体勢を続ければ人体には確実にダメージが蓄積され、成長期なこともあってかボキボキと関節を鳴らす音を響かせる体は疲労に苛まれてもおかしくないというのに彼はけろりとした顔でそれじゃあとボクの部屋を出ようとする。可哀想だなぁ、なーんて骨の軋む音を聞きながら思う。だってボクも得意だもん。狭い場所に隠れるの。
「……なに」
 ちょっと待って霧谷くん。そう呼び止めたところ彼は露骨に眉を潜めた。霧谷くんのそういうところボクは好きだけど社会に出てからやっていけるのだろうか、なんて、余計な心配は声に出さずに「折角だしちょっとくつろいでいきなよ」と声を掛ける。彼は逡巡の後、フローリングの上で体育座りをした。視線が合わない。けどまあ、ボクの部屋に駆け込んで来たときに比べれば大分マシな顔なので一定の信頼は得ているのであろう、多分。
「いやー、毎回大変だねぇ」
 心からの同情を込める。これは嘘偽りない本心だ。頼城紫暮の追跡から逃れるために彼は度々ボクの部屋を避難場所にしている。確かに彼は見た目のわりに幼い印象を受けるけれど、同時に立派な高校一年生でもある。ボクの目にも余るほどの過保護ぶりに彼は心底うんざりしていて、ボクはそんな人間に手を差し伸べることを生業としていた。
「倫理にはいつも助けてもらってる。巡くんの部屋は紫暮も容赦なく入ってくるから巡くんにも迷惑が掛かるし、良くんと敬ちゃんは嘘が下手だから」
「あー……、佐海ちゃんは確かにウソ下手くそだよね。下手というか向いてないというか」
「うん、それが良くんの良いところなんだけど」
 霧谷くんは養護施設の話をするときによく笑う。いや、正確には施設に暮らしていた皆の話をするときに。
 優しい子なんだなぁ、と思う。思い出というものは世間で持て囃されるほど美しいものではない、というのがボクの持論であり、彼はそんなボクの考えに理解を示すことが出来てしまう人間だ。彼や佐海ちゃん、そして伊勢崎サンがどんな底辺を経験したのかについて伝聞以上のことをボクは知らない。けれど十年前にニュースを見た全国民が彼らを哀れに思ったであろうことは想像に難くない。メディアが彼らの出自を知れば、きっと「悲劇のヒーロー」だなんて御大層な副題のついたドキュメンタリーを製作するにちがいないだろう。
 そんな悲劇がつきまとう施設の皆の話を彼は笑顔で語る。彼は共に過ごした家族のみならず、共に過ごした事のない子供達にも慈愛を贈る。年端も行かぬ親を無くした子供にその慈しみが伝わるわけがないにも関わらず。
「そんなんだから、キミは延々と頼城サンに付きまとわれるんだろうね」
「……どういう意味?」
 警戒を強めた彼の視線が真っ直ぐにボクを射抜いた。それはさながら捨て犬の威嚇のようだ。"かわいそうに。"多くの人間が彼に対して抱く最初の感情は憐憫である。哀れな出自、惨劇の被害者、健気なヒーロー。感受性が豊かな人なら彼を見て泣いてしまうんじゃないだろうか。どうやら人間には健気で可哀想な生き物を見ると無性に手を差し伸べたくなる習性があるらしく、それは正義感と権力の両方が強い人間ほど顕著だ。それこそ頼城紫暮が最も分かりやすい例だろう。霧谷くんの無償の慈愛に彼自身が気付くことはなく、頼城さんの同情という名の哀れもまた彼ら自身が気付くことはない。だから永遠にこのいたちごっこは続けられるのだろうという確信があった。
 え?ボクが教えてあげればいいじゃんって?ナイナイ!そんなことしたらボクの身だって危なくなる。だってボクも十分に"かわいそうな"人間だもの!
 そしてそれ故に、ボクはキミに手を差し伸べよう。この感情が頼城サンと同じく憐憫からくるものであることは確かだ。けれどそれと同時に、ボク自身も世間一般から哀れまれる存在だ。単純に言えば同族、良い感じに言い換えると仲間。仲間のピンチを助けないなんて、ヒーローの名前が廃るというものだろう?
「どういう意味かって?そりゃもちろん、ボクはキミの味方だって意味さ!」


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