世界が終わる音を聞いたことがある。
 たくさんの悲鳴に、建物の崩れる音。大きな絶望ととびっきりの恐怖が際限なく鼓膜に叩きつけられていく。どこか静かなところへみんなと逃げたくて、だけど暗闇に覆われた大して広くもない地下空間にそんな場所があるわけなくて、俺は馬鹿みたいに泣き喚きながらガタガタと震えるしかなかった。すっごくうるさくて、すっごく情けなかった。全身に響く自分の泣き声が大嫌いだった。

「柊はもっと大きな声を出した方がいい」
 紫暮がまた突然おかしなことを言い出した。パトロールを終えて、さあ帰ろうとした時のことだ。少し狭い路地から大通りに抜けた先、待ち構えるようにして紫暮と巡くんが立っていた。ちょっとげんなりしたので、そのまま無視して寮に帰ろうとしたら「まあ待て」と肩を掴まれた。正直ウザったい。
「なに……」
「少しありがたい話をしてやろうと思ってな。何、それで無断の単独行動については不問にしてやろう」
「億劫な気持ちはわかるが、話くらいは聞いてやってくれ」
 巡くんにそう言われてしまっては仕方がない。男三人が道端で立ち止まっているのは邪魔だから、歩きながら紫暮の『ありがたい話』とやらに付き合うことにする。紫暮が先頭に立って、その一歩後ろを巡くんが、さらにその二歩後ろを俺が歩く。紫暮の声はうるさいから、ちょっと離れたくらいじゃ迷惑なほどに鮮明な声が聞こえなくなるなんてことはない。
「大事な話というのは人間の感覚についての話だ。視覚というのは人間の持つ五感の中でも特に優れた代物だが、決して万能ではない。ちょっと太陽を見上げればすぐに揺らめいてしまうものだ」
 紫暮の話に釣られて空を見上げる。夕方だから、太陽を見たところで目が潰れることはなかった。視線を元に戻す。紫暮は後ろ姿もうるさいなと思った。
「誰かの姿が見えなくなった時、視覚の次に頼るものはなんだ?そう、聴覚だ。しかしこれもまた万能ではない。柊は耳が良いからピンと来ないかもしれないが、人間の発する音は意外と小さい。そして世界というものは音に満ちている。人が生を育む音、自然が恵みをもたらす音。そして、戦場における破壊の音」
 すれ違った女の子が俺たちの姿に色めき立った声を上げていた。黄色い歓声は、正直、少しうるさいなって思う。少し離れた場所では鴉が鳴いていて、通りに意識をやれば車が行き交う音が絶え間なく響いていた。紫暮の言うとおり、あちこちに音が満ちていて、けれどそれを全て拾うのは不可能だ。だから俺は、大事な音だけは聞き逃さないようにしている。今は耳を澄ませても子どもの声は聞こえなかった。
「それらの中では、たかが人間一人、簡単に埋もれてしまう。だから大きな声を出す。『自分はここにいる』と、強い意思でもって世界に示すんだ」
 紫暮が足を止めてコチラに向き直った。公園の中なら男三人が足を止めたところで大した邪魔にもならない。もうすぐ日が暮れるからか、子どもの姿は見当たらなかった。静寂、とまではいかないまでも静かな空間は心地好いと感じる。紫暮がいなかったらもっと良かった、とも思う。
「だから柊はもっと大きな声で存在を示してくれ!」
 そんな静かな公園に馬鹿みたいに大きくてよく通る声が響いた。ここに人がいなくて良かったと心から思う。どうやったらここまで存在そのものをうるさくできるのか、いっそ感心すら覚えるほどだった。
「……紫暮に見つかりたくないのに、大声出すわけない」
「むぅ、説得失敗か。柊がもっと大きな声で話すようになればもう少し見つけやすくなると思ったのだが」
「頼城、どうしてそれを本人に直接言って説得できると思ったんだ」
 巡くんが肩をすくめてやれやれと首を振っていたので全力で同意を示す。紫暮は相変わらず首を捻っていた。
 紫暮は、とてもよく目立つ。どこにいても、きっと、みんなが紫暮を見つけられる。そういう風に、紫暮はいつも振る舞っている。背筋をピンと伸ばしているのも、黄金の瞳がよく見えるように前髪を上げているのも、よく通る大きな声で話すのも、そうだ。……俺には無理だった。
「ただ、いざって時に大声が出せるように練習をしておくのは俺も賛成だ。戦場で迷子になられても困るからな」
 再び寮へ帰るための帰路を歩いている最中、隣を歩く巡くんが少し小さな声で話し掛けてきた。見上げてきた顔が少し困ったように笑っていたから、俺は小さく「考えとく」とだけ返しておく。俺たちの小さなやり取りに紫暮は気づいていなかった。

 声が出ない。息が詰まる。言葉がそのまま喉を塞き止めているようだった。みんな必死だ。誰も気づいていない。俺が、大声を出さなきゃいけない。
 あちらこちらで戦闘の音が鳴り響いている。金属音に爆発音に倒壊音。それらがビリビリと鼓膜を震わせて、大事な音を聞き逃してしまいそうになる。
 目の前には人が一人転がっている。真っ白なはずのヒーロー服を赤く染めて、普段なら絶え間なく動き続ける口を半開きにした、紫暮が、転がっている。紫暮とは思えないほどにその身体は静かだ。いつも真っ先に俺を見つけるはずの黄金はどこにも焦点が合っていなかった。
 あちこちで己を鼓舞する絶叫が轟く。痛みに身を裂かれた悲鳴が聞こえてくる。共に戦う仲間たちの大きな大きな声。そんなに離れてはいないはずだ。俺も足をやられてしまったから、ここから動くことができない。手を挙げて力の限り振る。……誰も気づかない。助けてと叫ぼうとして、息が止まった。巡くんに言われた通り、大声を出す練習をしなくちゃいけなかった。
 呼吸音が徐々に小さくなっていくから、俺は身を竦めて紫暮にすがりついた。止血しようにも間に合わない。そもそも打撲傷が酷いから止血したところで意味がないのかもしれない。そんな最悪ばかりが脳裏をよぎる。紫暮の胸から響く鼓動の音。それは希望と呼ぶにはあまりにもか弱かった。
「死なないで……」
 ようやく漏れた声は、戦場の騒音にかき消された。


∴静叫


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