それはただの寝顔だった。両の目を閉じて緩やかな弧を口に描き地面に横たわる姿はよくある昼寝に微睡むどこかの誰かそっくりだ。頬をつねる。反応はない。耳を引っ張る。反応はない。鼻をつまむ。反応はない。視線を少し横にずらす。飛び込む赤色。唯一普通の昼寝と違うのはその胸に鮮血が飛び散っていることだろうか。
「リョーマ」
 左胸の上に咲く赤を撫でつける。既にほとんど乾いてしまっていたようで、自分の指はほとんど赤くなることなくざらついた感触だけを伝える。刀を抜いてぽっかりと開いた穴に突き立て、えぐった。ぐちゅりと心臓だったものが音を立てる。新しい血は流れ出ない。抜いた刀は研ぐ必要がない程度には大して汚れてもいなかった。
「満足したか?」
 目の前を浮遊する女が冷めた口調で問い掛ける。仕方がないから話し掛けてやった。そんな態度を隠しもしないで人の形をした異形は微睡む男の頬を撫でる。それはちょうど先程自分がつねった位置だった。腹が立つ。意味がないことなんて分かりきってるくせに、どうして。
「誰がやった」
 低い音。
「変な顔」
 笑う音。
「答えろ」
 殺す音。
 女の首に刃を当てる。そこでようやく女は自分に視線を移すと心底面倒臭そうに刃先を握った。少ない汚れを拭うように刃を撫でる。ああ、せっかく付けた印さえ消えてしまった。
「知ってたらもう殺してる」
「ハッ、間抜けが」
「何とでも言え」
 男は未だ眠ったままだ。首を晒して、無防備に自分の目の前で眠りこけている。殺してやろう。そんな情で自分が埋め尽くされていくのがわかった。ああそうだ、殺してやろう。心臓をえぐり、腸を混ぜ、首をかっ切ってやろう。見物客が「美しい」と思わずこぼす程に鮮やかに、その首と胴を切り離してやろうじゃないか。
「コイツを殺すのはわしじゃ。コイツを眠らせた奴を殺してわしがコイツを殺す。だからそれまでコイツが起きんように大人しく見張っちょれ」
「嫌なこった。リョーマの仇はお竜さんの仇。どこぞのクソ野郎を殺すのはお前じゃない」
「じゃあ競争じゃな。どっちが先に龍馬を殺すか。もっとも、この『人斬り』に挑んだ時点で勝負はついたようなもんじゃが」
「人間ごときに負けるとでも?」
 血が騒いでいる。人を斬りたいと叫んでいる。命が途絶える瞬間に見開く目、奮える喉、舞い踊る赤、その全てが愛しく恋しい。ましてやそれが裏切り者の血であったならばどれほど美しい光景となるのだろうか。「‥‥‥ヘンタイ」ああついでに、この酷く目障りな女も黙らしてやろう。
 くつくつと喉が鳴った。龍馬は未だ寝息も立てず目を閉じている。


∴首斬り勝負


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