※セイレムのネタバレを含みます。


 落ち着いたオルゴールの音色にサンソンは目を覚ました。ゆったりと、けれど確実に鼓膜を揺らす音を止めるため枕元にあるスマホに手を伸ばすと自分のものではない別の手が重なる。未だぼんやりと霞みがかった目をこすって隣を見やると、同じような寝ぼけ顔のロビンフッドが今まさにアラームのスイッチを切ったところだった。重なっていた手が離れるのが名残惜しいと感じるのは今日が最後の朝だと知っているからだろうか。二度寝の誘惑を誘うぬるま湯のような空気に逆らって上体を起こす。一度は開けたはずの瞼を閉じ、すっかり二度寝の体勢に入っている彼の体を乱暴に揺する。
「朝だぞ、起きろ」
「はぁ……あと五分……」
「そう言って五分で起きる人間なんていない」
「じゃあアンタがチューしてくれたら起きますよ」
 意地悪く口の端を吊り上げた彼の額にお望み通りの口づけを落とせば「口が良かった」などと減らず口を叩きながらも緩慢な動作で頭をもたげた。好機とばかりに布団を畳めばさすがに観念したのか大きなあくびをしながら彼がベッドから降りる。カーテンを開けた先の朝の陽光が眩しくてぐらりと目眩がした。朝、というよりは昼といった方が正しい時間帯ではあったけれど。重石を全身にくくりつけたような倦怠感が自分を襲う。確実に昨夜の無茶な性交が原因だろう。あとは、多分、この世界への未練が、少々。転移はいつ始まるのだろうか。ああそれよりも今は腹が減った。早く朝食を作らなければ。

 簡素なシステムキッチンに立ちながら、自分の記憶をかき混ぜる。自分はシャルル=アンリ・サンソン、近世フランスの処刑人、カルデアに召喚されたサーヴァント。けれど昨日まではここ東京で働くしがない会社員だった。ロビンフッドは大学からの知り合いで、今は恋人という間柄。カルデアでは、数多いる仲間の内の一人。別の二つの記憶がないまぜになって変な心地がする。どちらも自分で、どちらも他人だった。けれどきっとコチラの世界が偽物なのだろう。誰が聖杯に願った結果かは知らないがこの平行世界が誕生し、サーヴァントたちは違和感を覚えることなく人間としての生活を送っていた。記憶が戻ったのはマスターが事件を解決したという証拠だろう。そのうち、カルデアへの強制転移が始まるはずだ。この世界はいわば存在しないもの。だから早く消さなくてはどんな影響が出るかわかったものじゃない。自分はサーヴァント、そんなことはわかりきっている。けれど、どうしようもなく、寂しいと、思ってしまうのだ。
 卵を落としたフライパンをぼんやりと眺めていたら腰に腕が回された。自分を気遣っているつもりなのか重さは感じない。けれど動きづらいのは事実だ。引きはがそうとしても力の入らない体ではどうしようもない。
「こら、危ないぞ。火を使っているんだ、火事にでもなったらどうする」
「別にいいんじゃないですか?このまま燃えちゃっても」
 すぐに否定の言葉を出さなければいけないはずなのに掛けるべき言葉が見つからない。別にそれでもいいんじゃないか?どうせ明日には滅びている身、ならば想い合った恋人と心中だなんてロマンチックなことを画策するくらい神様も許してくれるさ。東京で暮らす日本人の自分が処刑人に話しかけていた。逡巡して、緩やかな肯定を返す。どうやらサーヴァントとしての矜持はこの世界に持ち出されなかったらしい。
「焼け死ぬのは苦しいぞ」
「あー、それは嫌だな。じゃあ何がオススメ?やっぱギロチン?」
「どうやって用意するんだ」
「検討はしてくれるんだ?」
「いや、やっぱりアレは駄目だ。どうせいなくなるのなら、きみと一緒がいい」
「オタクも女々しいこと言うようになったんスね」
「誰のせいだ、誰の」
 生焼けの目玉焼きから目を離して彼に口付けた。腹が減って苦しい。けれどそれ以上に明日にはもう彼と恋人ではないのだということが苦しかった。この世界の記憶があちらの世界に持ち越されることはないのだと直感的に分かっていたから。彼は自分の特別ではなくなり、自分も彼の特別ではなくなることがたまらなく悲しかった。今まで積み上げてきた物を全て否定される日が来るなんて思ってもいなかった。たとえそれが全て虚構なのだとしても。
「飛び降りたら死ねますかね、ここ五階だし」
「どうだろう。下に花壇があるから打ち所が悪いと長く苦しむことになりそうだけど」
「うーん、何かいい方法ありません?オタク生前医者だったんでしょ?」
「医者じゃなくて処刑人だ。あと生前ではないだろう」
「同じようなモンですよ。今のアンタとはなんの関係もないんだから」
 たぶん。小さな声が届く。腰に回る腕の力が強くなった。酷く自信無さげな声はどこかで聞いたことがあるような気がして、でも東京の記憶にもカルデアの記憶にもないもので、自分の知らない彼がそこにいるようで小さな不安が芽生えた。
 ガスコンロの火を止めて彼に向かい合う。別に彼の言うように止めなくてもよかったのだけど、万が一、ということがあるかもしれないから。
「……セックス、しようか」
「昨日散々したのに?坊ちゃんから誘ってくれるなんて珍しいですね。めっちゃ腹の音聞こえてきますけど大丈夫なんです?」
「う、うるさい!何も思いつかなかったんだ!仕方ないだろう!」
 からかう彼を引きずるようにしてベッドに連れていく。処刑人の自分がなんて下品なんだと叱ってくるような気がしたけれど、今の僕は名高き英霊でも歴史に残る偉人でもなんでもないしがない会社員だ。恋人と俗な行為にふけったって誰も気にも留めないだろう。なあ、そうだろう、×××?


「おはようございます坊ちゃん、いい夢は見れましたか?」
「おはようロビン。そして坊ちゃんはやめてくれといつも言っているだろう」
「へーへーわかりましたっと」
 朝、カルデアの食堂は職員とサーヴァントでごった返していた。特にマスターの周りにはサーヴァントによる壁が出来上がっているほどであり、幾人もに質問攻めにされているであろう彼女のことを考えるとお気の毒さまとしか言えない。サンソンは珍しく一人で食事を取っていた。いつも一緒にいる王妃や音楽家や騎士は大方壁の一部になっているのだろう。マスターに余計な負担を掛けないようにと身を引くのは彼らしい。
「聞きました?今回の特異点、オレとアンタ同じ会社に勤めてたそうですよ」
「そうらしいな。詳しいことはマスターから話を聞いていないからわからないが、君と一緒ということは心労が多そうだ」
「ハハッ、言ってくれるねえ?」
 やっぱり。大きな溜め息を吐きそうになるのを堪えてロビンは無理矢理に笑ってみせた。記憶にこびりついて離れない恋人の面影しかないナリをして、何も存じ上げないという口をきく。今回はみな記憶を持ち越していないというのになぜ自分だけ彼のことを覚えているのか。そんなことは些細な問題だと自嘲するほどにはロビンフッドは疲れていた。もしも自分がそういう運命にあるのだとしたら誰の仕業かは知らないが全くもって悪趣味なやつだ。
 何も知らないという顔をしてパンを口に運ぶサンソンを見る。その首に縄の跡はないし、性交後のくたびれた雰囲気もない。それでも彼を覚えていた、彼のことを愛していた。
(いつかこの想いが積もり積もって溢れてしまったら、一体どうなってしまうのだろうか。)
 そんなことをぼんやりと思いながら、ロビンはきちんと焼けた目玉焼きにフォークを突き刺した。


∴物忘れができない


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