「あっ」
 声を上げてしまった。立ち止まってしまった。赤色にくすんだアスファルトが視界の中でチカチカと点滅する。ほくが足を止めてしまったから、一松兄さんも足を止めてしまった。
「あ、」
 一松兄さんも声を出した。見つけてしまった。見つけられてしまった。白と茶色、それに赤。三色に彩られた毛むくじゃらが道の真ん中で寝転んでいるのを。時おり車がその上を通過してはその度に少し位置をずらす毛むくじゃら、の、死体。ぼくは毛むくじゃらから、ゆっくりと一松兄さんに視点を移した。兄さんは毛むくじゃらを見つめたまま、ピクリとも動かなかった。
「どう、しよう?」
 途切れ途切れになりながら質問を投げる。あまり良い判断ではなかったかもしれない。兄さんは猫が大好きだ。だから大好きな猫があんな目に合ってるの、本当は見せちゃいけなかった。いけなかったのに、見せてしまった。その上おれは後始末の相談まで持ちかけている。最低最悪。でもおれはこんなことに出くわすことは初めてだから何も分からなかったのだ。おれは無知だから。無知は人を殺すのだと誰かが言っていたような気がするから、おれはもしかすると今一松兄さんを殺してしまったのかもしれない。猫を殺した人も、猫を轢いてはいけないということを知らない無知な人なのかもしれない。おれはバカだから、誰が猫を殺したのかはわからないけれど。
「……とりあえず埋めてやらないと」
「あ、うん、そうだよね。えと、どこに」
「ついてきて」
 兄さんは無言でずんずんと歩いていくと道の真ん中で寝転んでいた猫を抱き抱えた。兄さんの紫色のパーカーが赤色に染まる。洗濯しなきゃ、なんて、猫じゃなくて一松兄さんのパーカーを心配するぼく。掛ける言葉なんてばかなおれに見つかるはずもなくて、何も言えないままとぼとぼと兄さんの背中についていく。真横を通り抜ける車が起こす風が生ぬるくて、背中にじわりと汗が滲んだ。この風にこの猫は殺されたのだ。どのくらい痛かったのだろう、どのくらい苦しんだのだろう、どのくらい怖かったのだろう。まとまらない思考が頭の中身をぐちゃぐちゃにして何が何だか分からなくなる。頭がいい人なら、分かるのだろうか。頭がいい人なら、猫を殺さずに済んだのだろうか。
「ここに埋めよう」
 河川敷だった。おれもよく野球をしにくるからよく知ってる場所だ。そしてこれからこの場所がこの猫の墓となるのだ。この猫の墓の上でカップルが手を繋ぎ、学生が自転車を走らせ、おれが野球をすることになるのだ。そう思うと、見慣れたはずの風景がぐにゃりと歪んで、なんだか異次元を眺めてるようだった。
「ぼくが、穴を掘るから、兄さんは、猫の側に、居てあげて」
 やっとの思いで言葉を吐き出せた。一松兄さんとは目を合わせられなかった。合わせたくなかった。なにも考えないようにして、穴を掘る。爪の間に土が入り込むのが気持ち悪かった。でも、それ以上に、ぼくは、気持ち悪いと、思って、しまったのだ。
(……あの猫を見つけたときに、)

「もういいよ」
 一松兄さんの声が聞こえたからぼくは穴を掘るのをやめた。気付いたら猫一匹にしては広すぎるくらい、小さい子供なら入れてしまうような、そんな穴があった。ぽっかり開いた大きな穴。できることならおれが入ってしまいたいけれど、そうするには小さすぎる穴。兄さんがその穴に死んだ猫を横たわらせる。泥まみれのパーカーを着たぼくと、血まみれのパーカーを着た兄さんで、猫の上に土を被せていく。笑ってるのか、怒ってるのか、泣いてるのかも分からない猫がどんどん見えなくなっていく。気付いたらおれの目からぽろぽろと涙が落ちてきた。落ちた涙が手を汚して、ぐちゃぐちゃの泥がぼくにまとわりつく。ごめんね、ごめんね。血と泥でまみれた猫を隠しながら繰り返す。
「……なんでお前が謝るの」
「はは、なんでだろうね、わかんないや」
 おれはバカだから、猫がどんな気持ちで死んでいったのかも分からないし、一松兄さんの大切な友達を気持ち悪いなんて思ってしまうし、猫に謝ってるのか一松兄さんに謝ってるのかも分からなくなってしまっている。もう猫はすっかり見えなくなってしまったけれど、ぼくの涙は止まらなかった。それじゃあぼくはいったい誰のために泣いているのだろう?分からない。何もかもが分からないことだらけだった。
「ねえ、一松兄さんなら、この猫助けられた?」
「そんなことあるわけないじゃん」
「そっかあ……」
 たかが猫一匹、たかが兄さん一人、たかが自分一人、誰だって助けられないのだ。おれたちは、バカだから。


∴ばかのひとりごと


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