そこは現実世界から切り離された異空間だった。白い部屋の白いベッドに横たわり白い衣装の隙間から白い肌を覗かせる玲は到底あたしと同じ人間に見えない。天使が気まぐれに人のフリをして遊んでるみたいな。その方がしっくりくる。
「……調子はどう?」
「まずまずかな。昨日に比べたら少し良くなったと思う」
 そう言ってふわりと消えそうに微笑むのが見ていられなくて、思わず乱雑にコンビニ袋を突き出してしまう。「あっ、桃缶。ありがとうくまちゃん。」そのくせ、玲が嬉しそうに笑うものだからあたしも勝手に気分を良くしたりして。我ながら単純な女だ。
「どう、食べられそうなら開けるけど」
「それじゃあお願いしちゃおうかな」
 ここ最近、玲の調子は芳しくなかった。入院の機会が増えて、ベッドに横たわる時間も増えた。当然、ボーダーの任務もこなせるわけがないし、トリオン体の姿を見ることも滅多になくなった。見えるのは今にも消えてしまいそうな病弱な少女ただ一人。バイパーを縦横無尽に操っては皆に恐怖と羨望の眼差しを向けられた"那須玲"はもう存在しない。
「くまちゃん、血、出てる」
「えっ、うわ、本当だ」
 考え事をしながら手を動かしていたせいか指先から真っ赤な血が一筋流れていた。発色の良い真紅はとても健康的で眩しい。体を動かしたくて堪らなくて、そしてそれが許されるあたし。許されない玲。同じ人間、同じ性別、同い年。隣同士、ぴったりとくっつくことは出来ても同じ方向を向くことは出来なくて、濁りきって不透明な未来にただ怯えるばかりの日々。握った手の温かさだけを頼りに生きている。
「手、貸して」
 言われるがままに血の流れる指を差し出せば、玲の赤い舌があたしの血を掬ってゆく。絡み付く舌の温度が温かくて、なんだかどうしようもなく泣きたくなってきた。
 あたしは無力だ。玲もまた無力だ。運命という名の理不尽に振り回されるだけのちっぽけな存在だ。今日も、明日も、明後日も。
 無事に缶の蓋を開け終えたら今度は食べやすいように桃を切り分ける。玲と肌と同じ色をした果実にフォークを突き刺して、玲の口元に差し出す。そしてそれを玲が美味しそうに頬張る。それの繰り返し。

 玲の入院が決まった時、彼女はある一つの条件を提示してきた。「くまちゃんには、毎日お見舞いに来て欲しいの。」だからあたしは毎日この白い病室を訪れ、時折桃缶を玲に食べさせてやるのだ。あたしはこのためにこの世に存在しているのだと本気で思ってしまうほどに。
「あのね、私の最期はね、くまちゃん以外に見せたくないの」
 そう言って泣きそうに微笑む玲にあたしがしてやれることといえばこれくらいしかなかったのだ。

 この白い病室は異世界だった。あたしと玲を繋ぎ止める唯一の空間だ。それと同時に、あたしと玲を引き離すための空間だった。


∴永遠じゃない恋人/白猫と珈琲


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