輝く街、そり建つビル、氾濫する人。全てが人工物で形成された世界はとても美しいけれどどこか息苦しい。「いぬかいせんぱい」計算され尽くした美しさを湛える世界を眼下に収めたまま、一字一句確かめるようにゆっくりと辻は犬飼の名前を呼んだ。
「んー、どーした?」
 横断歩道の白線を跳び跳ねる幼子のように、ヘリポートのラインの上で遊ぶ犬飼が顔だけを辻の方角に向ける。後ろ姿、勿論表情は読めない。
「こっち、来てください」
「ふーん?」
 ラインの上から足を外して犬飼は小走りに辻に駆け寄った。途端、ネオンやら蛍光灯やらLEDやらがごちゃ混ぜになった溢れんばかりの閃光が眼球を突き刺す。思わずぎゅっと瞑って、それから恐る恐るといった風に開いたまん丸の両目で辻の顔を覗き込む。「なんですか」いつも通りの仏頂面だ。
「なんですかはコッチのセリフなんですけど?」
 辻は答えない。こりゃダメだ。そう思って犬飼は視線を眼下に移した。もう一度都会の閃光が襲うけれど今度はまばたきをもって応戦する。それも一旦慣れてしまえばコッチのもので、余すことなく照らされた街は隅から隅までよく見えた。ビルの中忙しなく働くスーツ姿のサラリーマン。蟻の行列のように一直線に車の並ぶ道路。まるで流れ星みたいに空を飛ぶジェット機。神様の視点に降りたってこの街の行く末を眺めてる、そんな感覚。実際はこんな場所、名前くらいしか知らないはずなのに。
「……先輩は恐くないんですか?」
「なんで?」
「なんでって……」
 背比べでもしてるかのように上へ上へと伸びるビル群の中、一際ノッポなビルの屋上にどうして自分がいるのか犬飼は知らない。辻に手を引かれるまま気づいたらここにいた。知らない土地、知らない場所。でもまあ俺が知らなくても辻ちゃんが知ってるならいいや。そんな風に思っていた。
 屋上を一筋の風が吹き抜ける。日が落ちてしばらく経っているせいか冷たい風だ。服の裾がはためくのを耳障りに聞いていたら、突然、腕を捕まれた。辻だった。心なしか青ざめて見えるのは気のせいではないらしい。
「おいおい、一体どうしちゃったんだよお前」
「……先輩が、」
「んあ?おれ?」
「吹き飛ばされるんじゃないかと思って」
 そんなことを大層大真面目に言うものだから、どうしても可笑しくなって犬飼は腹を抱えて吹き出した。冗談の一言はおろかどんなジョークも通じないような顔をしておいてまるで幼稚園児のようなことを言う。自分も先程まで子供のように遊んでいたことを棚にあげ、躊躇いもせずに吐き出される笑い声は都会の喧騒に消えていく。そんな犬飼を不安を滲ませて見つめる辻の様子は端から見ると滑稽そのものだ。
「何、お前、おれが消えるのが恐いの?」
 邪悪なほど無邪気に犬飼は辻に問い掛ける。いとも容易く拘束をすり抜けて屋上の縁に足を伸ばすものだから、辻はその体を抱き締めなければならなかった。「あら、情熱的ぃ」犬飼が笑う。
「……あぶないですよ」
 蚊の鳴くような声だった。こんなに精神を磨り減らしてまでどうしてここに自分を連れてきたのか。暫し思案して、思い付く。少しでもバランスを崩せば夜の都会に投げ込まれるようなこの体勢。なるほど、人も車もビルも街灯も地面も空も空気もごちゃ混ぜの一緒くたに内包するこの街なら、たかだか高校生二人分の死体くらい受け入れてくれそうだ。
「お前、本当におれのこと好きなんだな」
「いきなりなにを」
「おれも好きだよ」
「は、」
 体重を前に傾ける。ぐらりと世界が反転して、呆れるほど簡単に彼らの体は宙に放り出された。その一瞬、辻と目が合う。黒々とした両目を見開く顔は中々に貴重だ。
「これでおれたち、永遠に一緒だな」
 我ながらくっさいセリフだなぁなんて、呑気にそんなことを考える。こうごうと風の音がうるさい。辻が何かを訴えるように口を動かすけれど最早風切り音にしか聞こえなかった。そんな辻の必死な姿があまりにも愛しいものだから、落下する体を引き寄せて、見開かれた両目を真正面から見つめ返して、それでも尚訴えかける口に犬飼はキスをした。遠くで微かにサイレンの音が聞こえたような気がした。


∴エレクトリカル心中


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