「獅子王さん、どこ行くの?」
 月明かりの綺麗な真夜中だった。俺がその姿を見つけたのは本当にただの偶然で、そしてラッキーだったんだと思う。濃紺の中で揺れる金色はとても美しい。
「……浦島か。何だトイレか?」
「まあ、そんなトコ」
 獅子王さんは珍しい格好をしていた。普段身に着けてるきらびやかな装飾はどこにもなくて、胸の上から足先まで真っ黒に染められている。もちろん俺みたいに寝巻きを着てる訳でもない。まるでお葬式にでも行くみたいだ、なんてことを思った。
「ちょっと外に出ようと思って」
「もうみんな寝ちゃってるのに?」
「もうみんな寝ちゃってるからだよ」
 俺がその言葉の意図を掴みあぐねていたら、どうやら顔に出ちゃってたみたいで頭を撫でられた。獅子王さんに頭を撫でられるのは別に初めてのことじゃないけど、なんだかいつもより優しい気がしたのは頭が寝ぼけてるせいだろうか。
 でもやっぱり、俺を撫でたその手で鵺を触る手つきはいつもより優しい。だからなのかはよくわからなかったけれど、いつも通り鵺を肩に乗せて外に出ようとするその腕を俺は思わず掴んでしまっていた。ちょっと冷たかった。
「……俺もついてく」
「ハァ?何でだよ」
「なんでも」
 自分でもなんでこんなことしてるのかよくわからない。いつもと様子が違う獅子王さんが気になっただとか単なる好奇心だとか、理由はいくらでも思い付くけれど、全部合ってるような気がしたし全部外れてるような気もした。獅子王さんの顔は前髪に隠れてよく見えなかったけれど、溜め息と一緒に小さく「いいよ」って声が聞こえたから俺は急いで自分の靴を探す。亀吉の乗ってない肩は獅子王さんと比べてちょっとだけ寂しい。
 外は寝巻き一枚で出てきたことを後悔するような寒さだった。最近は暑くなってきたけれど、まだ春の残りカスは頑張って張りついてるみたいだった。そうやって俺は震えていたんだけど、獅子王さんは俺なんてお構い無しで庭先をズンズン進んでいく。はぐれないように金色を小走りに追いかけていたら、いつの間にかあんまり寒さは気にならなくなっていた。
「ねえ、どこに行くの?」
 俺の問い掛けにようやく獅子王さんは足を止める。相変わらず顔はよく見えない。
「どこにも行かねえよ」
「でも、」
「俺達は戦以外じゃここから出られないの、お前だって知ってるだろ」
 やっぱり今日の獅子王さんは変だ。いつもなら俺のことなんて笑ってやり過ごす癖に、今日ばっかり優しくしたり冷たくあしらったりちぐはぐで何考えてるのかちっともわからない。だけどなんでだろう。なんだかとても遠くに行ってしまいそうな気がした。おとぎ話の主人公みたいに鵺の背中に乗っかってどこまでも、それこそ俺が到底たどり着けないような所まで。
「……獅子王さん、勝手にどっか行っちゃったりしないでね」
「お前、今日はどうしたんだよ」
「獅子王さんこそ、本当は行きたい所があるんじゃないの」
 真っ黒の装束は闇夜との境目を曖昧にして、夜に溶けるような姿はいつもよりずっと遠くに見えた。はぐれてしまわないように、見失ってしまわないように、いつもより一層映える金のこうべを注視する。金糸の隙間から覗く碧眼は伏せられていた。
「……そうだな、会いたい人なら、いるかも」
 普段の獅子王さんからは考えられないようなか細い声だった。誰に会いたいのかは聞かないことにする。だって俺にも覚えがあったから。
 不気味な鳴き声が辺りに響いた。何だか涙を流しているような声だった。獅子王さんが涙を流していたのかは、金色に邪魔されて終に見ることは叶わなかったけれど。


∴泣き方を忘れたトパーズ


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