※グロ注意
頭が痛い、腹が痛い、腕が痛い、足が痛い、心臓が痛い。全身の感覚のスイッチを痛みに切り替えたような激痛に次ぐ激痛。もう死にたいっていう諦めとまだ生きていたいっていう未練がせめぎ合う意識の中、辛うじて機能する聴覚と視覚が僅かながらの情報を伝達する。本能によって脳ミソの端に追い込まれた理性にも、まだ思考する余裕は残っているらしかった。
「君はドッペルゲンガーって知ってるかい?」
紫色の瞳が俺を見下していた。俺にそっくりな顔は愉悦に歪んでいる。
「有名な怪奇現象の一つだよね。意味はドイツ語で『二重の歩く者』」
心の底から楽しんでいるのがよくわかる満面の笑顔でソイツは俺の腹を踏みつける。視界がチカチカして、変な声が出た。もうすでに痛覚は限界を突破していたようで、痛みが増すだなんてことはなかったけれど。
「よく出来たオカルトだなあって思ったよ。自分という最も身近で切り離せない存在を、仮に切り離してしまったとしたらどんなことが起こるのか。恐怖の対象をその辺の怪物や精神的な何かではなく自分自身に設定したのは高く評価出来る。ただ、演出的な花が無いのは残念かな」
軽やかに言葉を並べながらソイツは俺を弄ぶ。幼い子供が虫の足をちょん切って遊ぶように、ソイツも俺の足を切り落とす。俺が息絶えない限度ギリギリを保ちながら、まるで駆け引きのようにソイツはスリルを楽しんでいた。子供と違うのは、道徳を知った上で背徳を愉悦に転換している点だろうか。
「よくある設定だとさ、ドッペルゲンガーを見た人間って死んじゃうんだよね」
喉に違和感が走った。呻き声が消えてソイツの声だけが残ったところを見るとどうやら声帯がやられたらしい。
「当然だよね、だって同じ人間は二人もいらないもの。君だってわざわざ同じ本を二冊買うだなんて真似はしないでしょ?人間は消耗品じゃないからね」
今度は目を潰された。紫色の代わりに暗黒が世界に広がる。けれど馴れとは恐ろしいもので、激痛に慣れてしまった俺は唯一残された聴覚に全ての意識を集中させることができた。ソイツがいつ息をしているのかも把握することができたし、声は逆に鮮明になった。よくよく聞いてみれば奴の声は俺に似ている。
「君が僕のドッペルゲンガーだったのか、それとも僕が君のドッペルゲンガーだったのか、今となってはそれは些細な問題さ。ところで僕はオカルトやホラーが大の好物でね、もしも自分が名だたる怪奇現象に遭遇したらどう行動するかを考えるのが大好きなんだ。例えば、口裂け女と出会ったら大声でポマードと叫ぶ、とかね。当然ドッペルゲンガーに出会った時についても考えてたよ。自分自身という最大の恐怖に対してどう対処すべきか。答えはすぐに出た。僕だけが残ればいいんだって」
混迷とする意識や雑音だらけの音の中で嫌にはっきりと響く声はとても楽しそうだった。そういえば俺はオカルトやホラーの類いが苦手で、夜中にトイレに行くのにもビビっていたなあなんてことを思い出す。当然怪奇現象への対処なんて考えたこともなかった。それが仇になったのだろうか。何か違う気がする。
やることがなくなってしまって、逆に俺の脳ミソはいつになく物事をよく考えるようになっていた。今ならソイツが次に何て言うかだってわかる。これがテレパシーというやつだろうか。それとも未来予知か。でもそんなことは些細な問題だった。この後俺がどうなるのかは考えなくても答えが出る。
「だから死んでね」
両耳が削ぎ落とされた。何もない世界は驚くほどに退屈で、こんな退屈が永遠に続くなら死んだ方がマシだというのが俺が最後に考えたことだった。
∴もうひとりのぼくへ/弾丸