∴特別は奪われて消えた
※この文章は夜咄ディセイブ発表前に書いた物であり、多大な捏造が含まれています。
肌の温もり、撥ねた髪、意地が悪そうに笑う顔。全部覚えてる。いわゆる幼なじみという奴で、計るだなんて野暮なことはできないほどの時間を一緒にすごしてきた。一緒に笑ったし、泣いたし、ケンカしたし、怒られた。それでも手の平に貯めておいた水が徐々に徐々にこぼれ落ちるのを止められないのと同じ原理で、俺は彼がどこか遠くへ行くのを止めることはできなかった。
「あのねぇ、僕、本当はみんなのこと、大っ嫌いなんだ」
言い放って忽然と消えた彼の心境なんて知る由もないと考えるのが普通だけども、俺はその言葉が嘘であると知っている。それは長年を一緒に過ごしてきたテレパシーのようなものとも、自分の稀有な能力のせいだとも何とも言えない、感覚的な確信だった。
思い出だけを鮮明に瞼の裏に貼付けて、彼はどこかへ行った。場所は知らない。多分知ることも出来たんだろうけど、いまさら過去を振り返ったところで俺にできることと言えば後悔くらいなもので、でもそれはしたくないからしない。目を閉じる度にタイムスリップしちゃったみたいにだらだらと流れこんでくる彼との時間に折り合いをつけながら、少しだけ静かになった日常を過ごすような日々。悲しくないと言えば嘘になるし、物寂しい思いに駆られるこてだってしょっちゅうで、決して心中穏やかとは言い難いんだけれども、それは彼がいなくなる前も同じような物だったからたいしたことはないというのが俺の持論だ。
「どうして、そんな平気で‥‥‥」
「どうしてって?」
「だって幼なじみじゃ、」
幼なじみのアドバンテージという物は過ごしてきた時間の長さ故に得られる情報だけだ。俺と彼の場合は彼が与えてくれる情報量が限りなく0に近く、そして俺も彼からの情報を無意味に引き出そうとはしなかったためにそれは無価値な物となる。しかも彼がいつから俺達を欺くようになったのかの記憶は曖昧になって埋もれて、きっともう掘り返すのは容易ではないのだ。だから「幼なじみ」であることになんの意味も価値も存在などしてはいなかった。俺が彼にただ一方的な信頼を預けていた、その場所がなくなっただけ。
「ご飯ちゃんと食べて、寝て‥‥‥まぁ、元気ならそれでいいんじゃないっすか?」
それで十分だと、胸を張って言ってしまえばいい。彼に会いたいという願望と、彼も会いたがっているという希望とをごみ箱の中に押し込んでへらりと笑ってやれば、きっと今度こそリスタートした日常を完璧に始めることができるのだ。そうすれば不眠症に悩まされることもぼーっとしてアルバイトに支障をきたすこともなくなくなって、静かだとも感じないような日常を送れる、はず。
ただ唯一の問題があるとすればどうしてもそれを俺自身がバッドエンドだと思ってしまうことで。俺が彼に会いたいという欲望は膨大で、彼が俺達に会いたいという希望は確信で、そんな矛盾を拠り所にして俺は静かに彼の帰りを待っている。からっぽの部屋を掃除しながらただ一方的な思いを馳せて。
title:にやり