∴林檎は好き唇の赤は嫌い
真っ赤だ。
赤い舌がオレの指と指の隙間を這う。人間の生温い体温を持った粘液が絡み付く指は自分のものではないような気がして、動かすのが躊躇われた。形容し難いその扇情的な光景に目を奪われて、立ちすくむ。「そんなとこ、美味しくねえからやめろよ」震える声で、言う。これが自分の精一杯であった。
「なんで?それはシンタローくんの主観であって僕のじゃないんだよ?」
ガタガタと震える俺と対照的に、ケロリとカノは平然と言い切ってまたオレの指を舐める作業に戻った。指を中心に、ぞわぞわと鳥肌が立つ。悪寒が、止まない。
それなのに、なぜ、自分は拒むことをしないのか。少し腕を引いてやれば、足を後ろに運んでやれば、もっときつく注意をすれば。指を動かすことをしなくったっていくらでも逃れる方法はあるというのに。赤に釘を打たれたように、体が言うことを聞かない。
目線の平行より少しだけ低い位置。反らそうと思えば簡単に反らせる位置。でもたとえどこを見たって視界の端に赤がちらつく位置。だったらいっそ、目を瞑ってしまえ!誰かはそう言うだろうか。もしそんな誰かがいるとしたら、ソイツは真っ暗闇で背筋をなぞられる、何とも言えないむず痒い恐ろしさをしらない奴だ。
「ねぇ、シンタローくん。僕のこと好き?」
それから何分かして、カノが銀色の糸をまだ俺の指に繋いだままそう問うた。鳥肌は止んだけれどまだ赤がしっかりと目に焼き付いているままだった。なぜだろうか。オレはその問いに嫌いとも好きとも言ってやれない。
「シンタローくんは僕とセックスしたいって思う?キスしたいって思う?手を繋ぎたいって思う?」
「順序逆じゃね?」
「あはっ、そうかも」
笑い声をあげたことによって糸が、プツン、と途切れた。これでオレとカノを繋ぐものは何もなくなったわけだ。それこそ、手を繋いだりキスしたりセックスしたりすれば話は別だけれど。
そういえばいつの間にか、あんなにオレに纏わり付いていた赤はカノの口の中に収まって見えなくなっている。これは都合がいい。あの赤色には、きっと何かしらの催眠効果があったに違いないから。
「‥‥‥さあ、わからないな」
「こりゃあまた随分と曖昧な。詰まるところ、曖昧な返事で決定を先送りに、あわよくばうやむやにしてやろうという魂胆でオーケー?」
「さぁな」
「ほら曖昧」
ニヤリといつものように笑って。「でも僕はシンタローくんのこと、好きだけどね」そう言った唇も、赤色、だった。
title:にやり