∴いいこの末路



偉人の最期というのは悲劇であることが多い。ある者は不平等な罰を課されたり、またある者は反逆者の手によって暗殺されたり。しかし皮肉なことに、その悲劇こそが偉人を偉人たらしめる最大の理由なのだ。

いつだかの、歴史の授業中の先生の熱弁をふと思い出した。どうしてあまり授業態度がよろしいとは言えない俺がそんなことを覚えているのかと言うと、偏に今自分達が件の偉人達に会いに行くというにわかには信じ辛い旅をしているからだ。むしろすんなりと信じてしまった奴は自分が病気か何かにかかっていることを疑ったほうがいい。でもそれはどうしようもない事実で、一時期は自分の頭の隅っこに偏頭痛を抱えるハメになった。
そんなわけで、いやがおうでも偉人達はありえないほど自分の身近になった。教科書の中の険しい顔しか知らない奴らが動き、喋るのだ。自分にとって偉人とは絵画だった。人に感動を、勇気を、羨望を与えるわりに、当の本人は何にも口を聞いちゃくれない。長方形の枠に収まって、黙ってこちらを見ているだけだ。それが喋るのだ。怖くない分お化け屋敷よりもタチが悪い。
それにしても、と考える。そんな偉人達の中で、先生が言っていたような悲劇が一番似合うのはあの人しかいないだろうなぁ、と走る霧野先輩を目で追いかけた。実際には、先輩じゃなくて揺れる白髪を。

ジャンヌ=ダルク。フランスの英雄、十字架に架けられた一人の少女。その最期は、魔女と呼ばれ生きたまま火炙りにされるという聞いただけで目と耳を塞ぎたくなる悲劇中の悲劇。これが俺の知っているジャンヌ=ダルクという人物のステータスだ。なるほど、確かに悲劇の英雄と呼ぶのに彼女ほど相応しい人間はいないだろう。その悲劇が、彼女を偉人たらしめている全てなのだ。彼女がもし魔女と呼ばれることがなくかつ火炙りにされることもなければ、彼女の名前をテストのためにわざわざ暗記しなければならないなんてことはなかったはずだ。オルレアンを救った一人の少女は、ただの優秀な指揮官として歴史の波に姿を消すはずだった。のに。

「ラ・フラム!」

業火を纏った先輩が鮮やかにボールを奪う。凛として炎の中央に立つ姿は何時だかに読んだ歴史漫画の彼女を彷彿とさせた。それじゃあ炎に焼かれてしまうよ!叫びたくなった衝撃を無理矢理胸の奥深くに押し込める。霧野先輩は、霧野先輩だ。かの英雄、ジャンヌ=ダルクではない。
俺は実際に彼女に会ったことはないから、フランスから帰ってきたみんなから聞いた話や、その彼女とのミキシマックスを果たした霧野先輩のミキシトランスを見ながら彼女を想像するしかない。さらりとした長い白髪、そして眼鏡。外見的な特徴といえばこれくらいしかわからなかった。眼鏡、というのは少し驚きだ。まあ、なにせ何世紀も昔の人間なのだ。その何世紀かの歴史がズレた彼女のイメージを固定化させてしまったことくらいはよくある話だろう。それにもし目が悪かったのなら、彼女は炙られながら家族の絶望、王家の恨み、観衆の好奇心、何も見えなかったはずだ。それだけが唯一の救いだったのかもしれない。こんなこと、何も知らない俺がとやかく言う話ではないけれど。

「ただの少女だったよ」

淡々とした声だった。ジャンヌ=ダルクについて教えてください。俺がそう頼むと霧野先輩は俺に背中を向けて抑揚の少ない声で言った。

「優しくて怖がりな、とても普通の少女だった。あの時代、あのフランスに生まれてしまっただけの、思っていたよりも小さな存在だったよ」
「それで?」
「‥‥‥‥‥‥」

先輩はそれきり黙り込んでしまった。彼女のことを思い出したりしているのだろうか。俺から先輩の顔は見えないのがひどく歯痒い。

「先輩は、ジャンヌ=ダルクという人物の最期を知っていたんですよね」
「‥‥‥ああ、もちろん」
「助けよう、とは思わなかったんですか?」

溜め息の音が聞こえて、先輩がこちらを向いた。それはまるで歳老いた老婆のように緩慢な動作で、なのに二つの青色は嫌に透き通っていた。

「‥‥‥彼女は偉人にならなければならなかったんだ」

それだけで十分だと言うように先輩は口を閉ざした。俺は依然として腑に落ちない気持ちを持て余しながら「ふぅん」って生返事を一つ。悲劇こそが偉人を作り上げる、ことはわかってる。それでも「貴方は偉人となるのです。だから死んでください」と言われてハイハイと頷けるわけがない。そもそも大前提として彼女は自らが偉人となりうることに気づいていなかったのだ。霧野先輩達は彼女にほんの一寸先の未来しか教えなかった。それでは彼女自身が偉人となる未来を、彼女が知る由もない。

「‥‥‥それじゃあどうして炎を、彼女の最期を彷彿とさせるような業火を選んだんですか」
「技のことか?」
「ええ。あの技、きっと縁起悪いですよ。そのうち先輩も炙られちゃうかも」

冗談は半分だけだ。おどけた口調は不安を押し隠すための仮面でしかなかった。もしかして、霧野先輩は偉人になりたいのだろうか。彼女を背負う者として、彼女と同じ運命を辿ろうとしているのか。背中に薄ら寒いものが走る。

「で、実際はどうなんです?」
「‥‥‥少しでも、一緒に背負ってやろうと思ったんだ」

言い訳、ではなかった。どうやらこの人は一人の少女の不幸を肩代わりしようとしているらしい。でも先輩、彼女はすでに炙られてしまったんですよ。それじゃあ先輩の焼死体を増やすだけですよ。ひりつく喉元を揺らしながら、声じゃなくて息を吐く。

「‥‥‥何を今更。ここは彼女からしたら何百年と未来なんですよ?」
「知ってる。だからこれは俺の自己満足だよ」

言いきった先輩は困ったように笑っていた。先輩の自己満足という名の慈愛を彼女が知る術がないのは非常に残念なことだと思う。もういっそワンダバに頼んで中世フランスに飛んで行ってみようか。いや、ダメだ。その時の彼女はまだ偉人ではない。彼女は死して初めて偉人になりえるのだから。これじゃあ本当に先輩の自己満足になってしまうではないか。なにが『一緒』に背負うだ、思いっ切り一人きりじゃねぇか馬鹿野郎。

「馬鹿ですね」
「やっぱそう思うか?」
「大馬鹿者ですよ、アンタ」
「わかってるって。それでもさ、」

最後に、彼女の笑顔が見れたからいいんだよ。

‥‥‥やっぱり、彼女は幸せなのかもしれない。自分がいなくなってから何百年とたったというのに、自分のことを本気で考えてくれる人間がいるということは実に幸せ者のような響きがする。こんなこと思ってしまったらいけないのだけど、少しだけ彼女が羨ましい。

最後に、彼女は炎の中で何を思ったのか。自分が偉人として歴史の上に名を残そうとしているまさにその時、妬み恨み絶望が渦巻く赤の世界で、もしかしたら彼女はとあるピンク色を思い出したのかもしれない。‥‥‥きっとそれは、彼女にとってのハッピーエンドだ。



title:joy


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