∴二つの科白とそれから沈黙
いつしか、二人の周りには極彩色の人間を除いて誰も近寄ろうとはしなくなった。とても冷たくて、万が一触れてしまったら凍てついてしまうような、そんな氷の膜が張られているような、そんな感じだ。その最たる原因は試合や練習中の有無を言わせぬ威圧感だろう。もちろん、キセキの世代だなんて大層な名前を戴いている者はみなそれぞれに恐れ、羨望、恨みの対象になっていた。しかし、二人のそれは格が違った。主将とエース、それに帝光の文字。たったそれだけの響きを耳に入れただけで、ことの事情を知る人間は恐れ戦き決して近づこうとはしなかった。だからエースと主将は孤独でいることしかできなかった。
「僕に何か用かい?」
赤司征十郎は色の違う両目を細めて目の前にそびえる褐色を見上げた。それに対して青峰大輝はちっ、とわざとらしく大袈裟な舌打ちをする。今日は二軍の練習試合で、帝光中学校バスケットボール部の掲げる百戦百勝の理念のもと、一軍の青峰が同行することになっていた。しかも急に現れた赤司が「今日は監督が不在のため僕が引率を行う」などとのたまったものだから、普段からギスギスしている空気は毒素でも含んでいるんじゃないかと疑うほどに、より居心地の悪いものに仕立てられた。
そんな中での練習試合の、第3クォーターのあとの最後の休憩時間。ついさっきまでコートを駆けずり回っていた人影はいなくなり、ダラダラとした応援だけが五感を無意味に刺激している。それでも空気が軽くなるなんてことはなくて、ベンチの中で二人、ポツリと、切り離された空間を形成していた。
座っている赤司と立っている青峰の目線の落差は大分広い。これがもし青峰でなく二軍三軍の奴等だったとしたら、思わず赤司の目線より下になるようにしゃがんでしまうかもしれない。それほどまでに彼の他を従える圧力というものは増大であり、全中三連覇を成し遂げてしまった今となっては四人を除いて赤司と目を合わせられる者すらないであろう。その赤司にとってとても貴重な四人に含まれている青峰は赤司を見下しながら「別に」と返事にもなっていない返事を返す。
「そうか。てっきり、僕に何かが言いたいことがあるのかと思ったよ」
「根拠は」
「そうだね、‥‥‥お前が僕のことを獲物を見るかのように睨んでいたからかな」
そう言ってからりと笑う赤司からは、獲物のような焦りは微塵も感じられない。むしろ鋭い眼光は紛れも無く捕食者のそれだ。かといって青峰がそれに怖じけづくはずもなく、二匹の猛獣が睨み合っているような均衡状態が続いていた。まるで質量を持っているように重苦しい沈黙を纏い、その空気にとうの昔に気づいている部員達がぎこちなくタオルやドリンクを準備する中、しかし二人は気にするそぶりを見せない。
「まあ、3分ってところだな」
「あ?」
「残り3分になったらお前を出す、という話だ」
赤司が言い終わると同時に、ビーッというけたたましいブザー音が体育館にこだました。最終クォーターの始まりを意味するその音を聞いて選手達は気怠気に尻をあげ、控えは慌ただしくタオルやらドリンクやらを片付ける。「んな話聞いてねーよ」青峰も赤司の隣、折り畳み式の青い椅子に乱暴に腰掛けた。ギィ、と190の大男の体重を受け止めるはめになった古ぼけた椅子が悲鳴を上げる。そんな青峰の目の前では10人がかりでたった一つのボールを追うという滑稽な景色が広がっていて、そこから少し目線を外した先にあるスコアボードはこちらが10点負けていることを示していた。
「つーか赤司、お前が出たらいいじやねーか」
「それはできない。今監督が不在なのはお前だって見てわかるだろう?僕はその代わりだ」
「じゃあなんで俺なんだよ。緑間あたりにでもやらせときゃいいじゃねーか」
「彼は今頃親戚の七回忌で正座中だろうね」
ギコギコと椅子を鳴らしながら、己の不平不満を隠すことなく青峰は赤司に口々に文句を言い付ける。そんなねちっこい小言を軽やかにかわしながら、しかし赤司は目の前の試合過程に目を配ることも忘れない。アイツは持久力がないな、とか、練習メニューは何倍にするべきか、とか、独り言のように口にする姿は明らかに自分を相手にしてはいないという意思表示に他ならなく思えて、赤司と口頭でやり取りをするのがあほらしくなってきた青峰は両足を力無く投げ出し顔を仰向けにして目を閉じた。本当ならば視界にエロ本で蓋をしたいところだが、生憎とそれはバス乗車中に赤司の手中に渡ってしまったため現在は持ってない。以前よりもより驕り高くなってしまったような赤司に向かって内心で悪態をついていたら、ぐいっ、と耳を引っ張られる感覚。「痛っ、」まさかコイツはついに読心術まで覚えやがったのかよ、と口には出さないがその分不機嫌をあらわにする青峰をよそに赤司がタイマーを指差した。
「ほら、出番だ」
きっちり、とまではいかないがだいたい残り三分を示すタイマーは今動いていない。よくよく見てみれば味方がファールをしたようで、このタイマーが止まっている間に自分が交代するということまでは辛うじて理解できた。点差が20点ほどに開いたスコアボードを欠伸しながら確認した青峰が、「終わったらマイちゃん返してくれるのかよ」とジャージを脱ぎながら悠長に聞く。
「もちろん」
「嘘じゃねえだろうな」
「僕が何のために嘘をつく必要性がある?」
その余裕がムカつくんだよとは言わなかった。かわりに大きく欠伸をしてコートに立った青峰に周りの空気がピシリと凍りつく。この圧倒的存在感。コートに立つ、ただそれだけの行為であるのに、敵も、味方も、コート上の選手は肩を落とした。青峰はこの瞬間が大嫌いだった。不機嫌に不機嫌を重ねた結果、それが周りをさらに萎縮させることに気付かないまま静かになってしまった体育館にポツリと立つ。恐らくは、今この場で笑うことができるのなど赤司くらいしかいないだろう。そしてその通りに赤司は満足げに唇を歪めた。それを確認した青峰がチッと舌打ちをしたところで、審判が試合再開の笛を鳴らした。
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