∴さよならサマー



ジージーと五月蝿く鼓膜を掻き乱す蝉の鳴き声、まだ朝早くだというのに汗でシャツが張り付くほどの熱気、わざとらしくユラユラしたまま視線を惑わす陽炎。夏を象徴する物達、その一つ一つを見聞き感じるたびに心臓の動悸は高鳴って胃が捻り潰されるかのごとくの吐き気を催す。最近は毎朝ベッドから起き上がる動作すら憂鬱極まりなくて、動きたくない、五感も運動機能も放棄したいと訴える体に鞭を打って無理矢理命令を下してようやく起き上がることが出来るという悲惨な状態だ。この服に着替えるのはもう何度目なのだろうか。体調が悪いから朝ごはんは食べないと母親と話したのも何度目なのだろうか。五感の全てが今日この日の感覚を完璧に記憶していて、そして激しく拒絶する。それでも私は、もう何度目かわからないけれど、アイツに会わなきゃいけないんだ。

「やっぱりこんなに暑い日はアイスに限るよね」

シャリ、と軽快な音を立ててヒビヤがアイスにかじりついた。よくCMで見かける有名な棒アイスだ。私も最初のうちはよく二人で食べていた。だけど最近は今更私が栄養を摂取する意味なんてどこにもないって気づいたから久しく物を口にしていない。まあ、アイスから搾り取れる栄養なんてたかがしれているものではあるのだけれど。

「ヒビヤってば子供みたいだよ」
「いいじゃん子供だし。あ、ヒヨリも一口いる?」
「‥‥‥ううん、大丈夫。一人で全部食べていいよ」

ふーん、そう。ヒビヤはそう言ってまたアイスにかじりついた。暑さに溶けたアイスが一滴地面に垂れる。ほら、今日は暑いんだから早く食べないと溶けちゃうよ。そう注意する間にも甘い氷の固まりは次々と液体へ姿を変えていった。ああ、本当にうんざりするほど暑い日だ。

チラリと公園の時計を確認したら針はあと5分ほどで縦に真っ直ぐになろうとしていた。もうそろそろだろう。まだアイスにかじりついているヒビヤを尻目に、年期の入ったベンチから立ち上がって車の通りがそこそこに多い交差点へ向かう。多分あと30秒くらいでトラックが通るはずだから。信号が点滅に変わって、あと5秒で赤信号だ。その後は、

「どこ行くの?」

私は目を見開いた。何で、どうしてヒビヤが私の服の袖を掴んでいるのだろう。こんなことは初めてだ。アイスはもう暑さに負けて原形を留めずにいた。それでもヒビヤは私を見ていた。二つのガラス玉にしっかりと私のことを写していた。

「どうかしたの?ヒヨリ」

ヒビヤの問答は終わらない。こんなに暑いのに鳥肌が立った。でもここで立ち止まってしまったら。私がトラックに轢かれないと。そうじゃないと、アイツは、ヒビヤを。

ああもうっ!駄目じゃん私ってば、そんなことに怯んでしまったら。情けも容赦ないアイツに立ちはだかるためには、私だって情けも容赦も捨てなきゃいけないことぐらいとっくに気づいていたつもりだったのに。私って弱いな。だけどもう、終わるから。

私はヒビヤの腕を振り払って駆け出した。もうとっくに歩行者用の信号は赤を示している。全力で走ればトラックに間に合うだろうか。ああ、もっと速く走らなきゃ。肺が心臓が悲鳴を上げるのだけれどももうすぐそれも終わる、だから間に合って。ああ、汗が噴き出して気持ち悪い、しかも五月蝿いし目眩はするし。だから夏は嫌いなんだ。

「ヒヨリッ!!!」

迫るトラックとヒビヤの叫び声。よかった、私間に合ったみたい。

五臓六腑がひしめき合って互いに押し潰される感覚も脳みそからミミズが飛び散る様も私にとってみれば初めてではなくて、もうこの感覚すら愛おしいと思えるくらいだ。だからヒビヤ、そんな悲しそうな目でみないで。私は辛くも悲しくもないし、まあ少し痛みはあるけれども幸せだから。だからヒビヤも幸せでいてね。だから泣かないで、ね、



もし、仮にこの世界に終わりがくるのだとして、木の葉が赤に染まり、雪が降り積もり、桜が散る姿を見た後にまた夏が来れば、私はこのただ暑苦しいだけの季節を好きになることが出来るのかな。



title:自慰

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