∴ベッドの下は観覧禁止領域
最近マリーの様子がおかしい。
まず一つ、頻繁に部屋を出るようになった。あの引きこもりの究極形ともいえるマリーが部屋を出るだなんてそれこそ明日終末がやって来るという話よりも信じ難い出来事であり、漸くマリーも一人の女の子として生きていく決意が出来たのかと娘を見守る父のような心境に浸っていたのだが、彼女はいつも食料だけをとってそそくさと部屋に戻っていってしまうのだった。それは食が細い彼女には有り得ないことであり、まさかやけ食い!?とヒキニート時代よりも心配するには十分すぎる材料だった。
そして二つ目。マリーの部屋から変な物音がする。ヒャアとかキャアとかその大半はマリーの悲鳴だが、時々ウーとかアーとか動物の鳴き声らしきものも聞こえてくる。マリーの部屋にテレビはないはずなので、もしかしたらあの世間知らずが珍獣でも引き連れているのではないかとメカクシ団内部には不穏な波紋が広がっていた。
そして今日、ついにその謎が俺の手によって解明されようとしていた!
「オイセト、お前マリー調べてこい」
我等が団長の理不尽な命令で‥‥‥。
「え、ちょっと待った!なんで俺!?俺だけっすか!?」
「お前がマリーと一番仲良いだろうが」
「それはそうかもしれないっすけど!俺一人って酷くないすか!?」
「万が一カノが行ってマリーを怒らせたら困るし俺が行ってもどうせ何もできないからな」
「頑張ってねーセトくん」
無表情でグサグサ言ってくるキドも俺のことをニヤニヤして見てくるカノもお前ら人事だからって‥‥‥。とりあえずカノを一発殴ってから腹を括っていざマリーの部屋へ。去り際に「何で僕だけ!?」とか聞こえたきがするけどそんなのは無視して震える足を叱咤して魔窟へと向けた。
「‥‥‥マリー、入るっすよ?」
コツンとドアを一回ノックして入室の許可を願うのだが、問題の部屋の中からは何かが躓いて派手に転ぶ音がした。まあ何かと言ってもそれが噂のマリー張本人であることに間違いはないのだが、同時にした唸るような声はあまり聞きたくなかったかもしれない。
「セト!?ごめん、今忙しいか‥‥ぁあ!!それは踏んじゃだめえ!!!」
どうやら部屋の中にマリー以外の生命体がいることは確実なようだ。さすがにマリーが心配になってきたし、キドも早くしろとこの上ないほどの睨みをきかせているので意を決してドアノブを回す。
「マリー‥‥‥?」
床には分厚い本が所狭しと重なり合い何やら埃まで舞っているような部屋の中央から少し外れた当たり、早い話がベッドの下へと両腕を突っ込んだ状態で倒れている原因を見つけてげんなりとした。勢いで頭をぶつけたらしく引き抜いた手でしきりに額をさすっている。いや、そんなことより問題はそのベッドの下だ。通常ベッドの下と言えばエロ本だのAVだの童貞男子にとってのバイブルが奉られていそうなイメージだが、今このベッドの下にはそんなものとは掛け離れた恐ろしい魔物が潜んでいるかもしれないのだ。世間知らずのヒキニートメデューサというあまりにも常識から逸脱した単語がもたらすものは紛れも無く不安のみであり、俺は怪獣に挑むウルトラマンの如くポーズを整え衝撃に備える。マリーが変な物を見るような目で見てくるけれどそんなのはいつものことなのでスルー。それよりも今はこのベッドの下でかさかさと移動している何か全神経を集中させなければ!
「‥‥‥‥‥‥ニャー」
ん?中々に間抜けな音が俺の耳に入ってきたような気がするが気のせいかと思っていると再びニャーと可愛らしい鳴き声。これはもしかしなくてもあの生き物に特定されるのではないか。頭に浮かんでくるのは一匹の愛玩動物だった。
「あ!ペガサス出て来ちゃだめって言ったじゃん!」
ヒョコリと顔をだしたソイツはウルトラマンポーズの俺を見ると何を思ったのかいきなり飛びついてきた。せっかくのポーズも虚しく尻餅をつく俺と随分大層な名前を叫んでやっぱり転んだマリーとで床の埃がまた舞い上がった。けれども俺の腕にすっぽり収まっていたソイツはスルリと俺の腕を抜けると、開きっぱなしだったドアの外へサンドイッチしてる俺達を横目に悠々として歩いていった。
「猫?」
「‥‥‥窓の外で鳴いてるのが聞こえて‥‥‥寂しそうだったから‥‥‥」
三人の人間(とメデューサ)に囲まれながらも飄々と毛繕いをソイツはやはりどう見ても当たり前だが猫そのものだった。自分が話の中心であることに意も解さずゴロゴロとする姿はやっぱり羨ましい。
「で、ペガサスだっけ?なんでそんな仰々しい名前つけたの?」
「え‥‥‥だってペガサスはメデューサから生まれたから‥‥‥なんだか子供みたいに見えてきて‥‥‥」
へぇー、そうなのかー。と素直に感心していると一人困り顔のキドがハァーとでっかく溜め息をついた。
「要らん豆知識はどうでもいい。それよりもまずはコイツをどうするかを決めるのが先決だろう」
「え、飼ってあげるんじゃないの‥‥‥?」
「だからお前は‥‥‥ペット飼うってことは命を預かるってことだからな。生半可な気分で世話してたらすぐにコロリと逝くぞ」
「ヒィィッ!」
キドのやたらと物騒な顔と青ざめてるマリーのコントラストが面白い。いや、そんなこと考えてる場合じゃなくて、ここはキドのいう通りコイツをどうするかを早く決めないと。猫だって立派な命を持っている。幸いなことに、それを疎かにしようなどという外道な精神はこれっぽっちも持ち合わせていない。
「とりあえず飼うか飼わないか決めようよ。もしも飼わないんだったら早めに引き取り手を探さないといけないしね」
「カノの言う通りだ。マリー、お前はどう思う」
ことの発端である当事者は言いづらそうにオロオロとしている。ついでにチラチラと俺へ目線を送ってくるのだけれども、そんな助けて欲しいだなんて目線くれたってゴメン何もしてやれることはないんだ。罪滅ぼしというと大袈裟なので気休め程度にはなるようにマリーの頭に手を置いた。マリーさんよ、たまには自分の意見をハッキリさせるのも必要なことなんだからな?まあ、ここでの答えなんてある程度は予測出来てしまうのだけれども。
「わ‥‥私飼いたい!ペガサスと一緒に暮らしたい!」
「世話はどうする」
「う‥‥‥」
これまた言葉に詰まってしまったようで少しだけ威勢がよかった声もどんどん尻つぼみになっていって、しまいには聞こえなくなってしまった。あちゃー、これは俺の出番という訳ですかね。
「ねえ、俺がマリーと一緒に世話するっすよ」
「セト‥‥‥!」
「キド達もそれでいいっしょ?」
「まあ、お前がいれば‥‥‥」
渋々といった感じではあるが一応の許可が下りたことにマリーがパアアと満面の笑みを浮かべる。そのままの勢いでペガサスに抱き着こうとしたのだが、何か野生の勘が働いたとしか思えない動きでヒラリとかわされ虚しく宙を切った腕の肘をゴツンとぶつけるメデューサの姿に早くも不安が募った。勢いであんなこと言っちゃったけどマジで大丈夫かな‥‥‥。キドとカノが励ますように、それでいて自分は関係ないと言わんばかりに俺の両肩に手を置いた。だからお前ら人事だからって少しくらいは助けろよ!
「セト頑張れよ、メカクシ団の未来はお前にかかってる!」
「排泄物だけは何がなんでもしっかり管理しろよ」
「だから何で人事なんすか!?ていうかキド現実的すぎるっすよ!シビア!」
‥‥‥でもまあ、悪くはないかもな。さっきカノが未来が懸かってるとかうんたらかんたら言ってたけれども、少なくとも俺はこの突然の家族に悪い気はしていなかった。流石は愛玩動物、もしかしたらあのキドすら和ませてくれるのかもしれない。なんだか猫相手に顔をにやけさせるキド想像したら笑えてきた。
「‥‥‥なんか今すごく失礼なこと言われた気がする」
「気のせいっすよ」
ちょっと危なかった。これからはキドの野生の勘にも要注意だ。
「ねえ、そんなことよりさあ。早速あの二人大変なことになってそうなんだけどペルプ行ってあげなくていいの?」
「え‥‥‥ああ、今行くっす!」
部屋の隅っこで鬼ごっこをする二人を見遣る。明らかに鬼が鈍臭いせいで一向に終わる気配を見せないのに少し辟易するけれど、まあ、楽しいからなんでもいっか。とりあえず、猫の世話じゃなくてマリーの世話をしなくちゃいけないような気がするのはスルーの方向でお願いして欲しいな。
title:自慰