∴君を追いかけたい



澄みきった青い空。地平線が遥か遠くでアーチを描いているのがよく見える。三月の暖かい、けれどまだ春になりきれない風が頬を駆け抜けていった。昨日降った雨はまだ町をじわりと湿らせていて、むせかえるような湿気はまるで真夏日のよう、なんて。

「おはよう、姉ちゃん」

言ってから、こんにちはの方が良かったかななんて頭上の太陽を睨みながら思う。でもなんかこんにちはって酷く他人行儀であまり好きじゃない。なんでおはようもおやすみもフレンドリーなのにこんにちはだけやたら息苦しいんだろう。ベッドの上で言わないからだろうか。恋人同士の挨拶に使わないから。深い思考もなにもない浅はかで突飛な考えだけど、何となく的を射ているような気がした。気がするだけだけど。

「姉ちゃん、今日は報告することがあるんだ。大丈夫安心して、いい知らせだから」

僕が笑うと、姉ちゃんの代わりに名前もわからない小鳥がピーチクと鳴いた。なんて返事してくれたんだろう。セトに聞けばわかるかな。セトいないけど。まあいいや。誰にせよ小鳥にせよ、聞いてくれる人がいるなら変な人の独り言にならなくて済む。

「そうそう、セトと言えばこの前突然ブリーダーになるって言い出して、今資格を取るために猛勉強中だよ。アルバイトの合間に参考書読み漁ってさ、よくやるよね。キドは高校に合格したよ。モモちゃんが通ってる所。あ、モモちゃんって子はシンタローくんの妹ね。アイドルやってるんだ。まさか僕にアイドルの知り合いが出来るなんてビックリだよ。ああそうだ、キドの話だった。シンタローくんが付きっきりで勉強教えてあげてね。まあ元々頭は悪くないし、慣れない学校生活で散々だろうけど、まあ、なんとかなるんじゃないかな。花の女子高生だしね、目一杯楽しんでもらわないと。あとシンタローくんは大学に合格しました。姉ちゃんも名前知ってる超有名国立大学。本っ当嫌味ったらしいよね。キドの勉強に付きっきりで自分はろくに勉強してなかったっていうのに。貴音ちゃんと遥さんも今頑張ってる。みんな、自分の新しい道を見つけて前に進んでるよ。姉ちゃんが心配するようなことは何一つないから、大丈夫」

みんな。その言葉にすごく違和感を感じた。違う、みんなじゃない。誰かが足りない。その答えは足下の水溜まりを見れば事足りるくらい簡単なものだけど。

「‥‥‥まあそんなこと、ここで言っても仕方ないけどね」

いつの間にか小鳥は居なくなっていた。虚ろな視線で寂れた屋上をぐるりと見渡して、目を閉じる。何度もここで同じ風景を眺めた。今日のような青空もあったし、焼けるような夕暮れだった時もあった。一人で眺めたこともあったし、一人じゃないこともあった。でもあんまりいい思い出はないかもしれない。ここは僕の思い出の場所ですって胸を張れるほど思い出に溢れた場所ではないけれど、鮮明過ぎる記憶がよみがえっては胸が塞がれる場所だった。

「だから、直接伝えに行くよ」

僕っていう人間は生来怖がりで、暗闇もジェットコースターも怯えちゃうようなどうしようもない奴だから、せいぜい目を瞑って姉ちゃんの笑顔を思い出すくらいしか出来ないだろう。でもそれだけで十分だった。ここは思い出の場所だけどあまりいい思い出はないから、代わりにこの場所から目を逸らして青い青い地平線を眺めることにする。まあ、単なる現実逃避だけどね。

さあ目を閉じて。カウントダウン。姉ちゃんが笑ってる。‥‥‥3、2、1。

「ただいま、姉ちゃん」


title:へそ

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