∴少しだけ好きだったかもしれない



ガヤガヤとした喧騒は別に嫌いではないし、むしろ自分は好き好んでその輪の中にいるタイプだと小南は自負していた。けれど馴染みのない大人たちの会話の中に彼女のような小娘がポツンと座っているのは彼女にとっても、そしてきっと大人たちにとってもあまり居心地のいいものではないように思う。時たま話題を振ってはしどろもどろになる彼女を呆れたように見る視線がとても辛かった。だから小南は談笑の輪をそれとなく抜け出てリビングを置き去りにし、廊下を伝って自分に与えられた客間まで戻ってきた、は、いいけれども。何もすることがなく手持ち無沙汰な彼女と遊んでくれるギミックが普段あまり使われないであろう客間にあるはずがなく、かといってテレビを見ようとしたらあのリビングに戻らなければならないし、こんなお正月からメール相手になってくれるような友人もいない。ゲームを持ってこなかったのは最大の失策だったと彼女は後悔した。今更そんなことを言ったって後悔先に立たずという言葉がぴったりくるだろうけれど。

仕方なしに彼女はうんうん言いながら畳に胡座をかいて頭を悩ませていたのだけれど、それから幾ばくもしない内に立ち上がってコートを引っ付かんでは客間の襖を音が鳴るくらい勢い良く開けた。思考よりも直感で生きる彼女はじっとしているのは趣味じゃないし、長時間頭を使うのは嫌いなのだ。行く宛など存在しなかったが、引力に近いような何かに引かれて玄関で靴を履き鍵を開ける。

「寒っ‥‥‥!」

外に出た途端、一月の寒波が彼女を襲った。手を袖の中に引っ込め縮こまるようにしてコートの裾を引っ張っても、スカートにハイソックスしか履いていない生足を容赦無く吹き抜ける風はダメージが大きい。だからといって家の中に戻れば退屈が彼女を待ち構えていた。彼女は退屈も嫌いなのだ。

親戚一同が集まるこの家はそれなりの大きさを誇り、それに見合うだけの庭の広さを持っていた。至るところに霜が降りているその庭の石畳を彼女は進む。行き着く場所は決まっていた。外に出てまず真っ先に馴染みのある背中が日向に縮こまっているのが見えたからだ。小南の足音に気付いたのか、その背中がのんびりとした速度で振り返る。

「ねえ、こんなとこで何してんの?」
「うーん、なんか中に居づらくなって」
「奇遇だね。私も」

嵐山はジャージ姿だった。今日も少し遅れて来たし、先程まで任務か或いは広報の仕事かは知らないがボーダーの役目を果たしていたのだろう。近界民は地球人のお正月を気に掛けてはくれはしないのだ。

彼女はすとんと嵐山の隣に腰を下ろした。もちろん尻は地面につけていないので、いわゆるヤンキー座りというやつだ。端から見ればスカートの中が丸見えになるはしたない座り方だったが、庭の周りはそこそこに背の高い木立に囲まれているし、嵐山とはお互いにスカートの中身なんて気にしない程度には長いつきあいだった。

「寒いね」
「そうだな」

二人の間に沈黙が降りる。時おり家の中から笑い声が聞こえる以外は全くの静寂が二人の間を満たしていて、どことなく漂う気まずい空気を打破しようと小南は頭の中でぐるぐると話題を探すのだけれど、奇妙なことに何一つ思い浮かんではくれなかった。同じボーダーと言えど属してる支部が違う自分たちはあまり会う機会がないし、かといって互いの現状報告をするほど久しぶりに会った訳でもない。中途半端な距離だと小南は思う。昔はそんなことなかったのにと、話題の代わりに頭の中に溢れ出した思い出を巡ってははあと白い息を吐いた。

その時に気付いたことがある。もしかしたら人によっては重要な意味を持つものかもしれないが、一方でとてもたわいない幼子の背伸びのような物が彼女の中に踞っていた。それは一緒に泥遊びをしては服を汚したことや、夏休みにいとこみんなで怖い話をテレビで見ては大泣きしたこと、お年玉の金額を比べ合いっこしては一喜一憂したことの隙間に入り込んでは、しこりのように彼女の心の機敏を不自然にしていた。本当に本当に幼い記憶なものだから今の今まですっかり忘れてしまっていたらしい。それが今、彼女の前で小さく頭をもたげている。

「あのね、」

地面の雑草を一本引き抜いて、そのまま彼女は立ち上がる。似てると思ったのだ。彼女すら気づかない内に小さく小さく芽吹いていた恋種に。

「私、アンタのこと好きだったよ」

それだけを告げて彼女はそのまま背を向けた。真後ろでは嵐山がぽかんと間抜け面を晒しているのだが、それすらも気付かずに彼女はずんずんと石畳の上を歩く。足取りは自然と軽かった。家の中に戻ればまた退屈が待ち構えているはずだが、彼女にとってはもうそんなことはどうだって良かったのだ。

『ありがとう』

幼い頃の自分が、そう言って笑っているような気がした。


title:へそ

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