∴記憶をくりぬく



秋の日差しが窓から差し込んで、教室のガヤガヤとした雰囲気に飲み込まれて消えていった。隣でアヤノが「すっかり寒くなっちゃったねー」なんて首もとの赤いマフラーを掴みながら言う。それから昨日のテレビの話とか、成績がどうだとか、そんなありふれた会話をするんだけども、それもチャイムの音が鳴れば聞こえなくなってしまって、時間ぴったりに教室に入ってきたハゲ気味のおっさんの目をどう掻い潜って眠ればいいかを考えるような、そんななんてことはない学校風景。そこには当たり前がごろりと寝転んでいて、当たり前のように授業は退屈だし、当たり前のように隣にアヤノがいるし、当たり前のように秋の日差しがオレ達を照らしていた。だから、「あ、これ夢だ」って気づいた。だって秋の教室にアヤノが座っていたことはない。

目が覚めた。恐らくはオレ自身がこれを夢だと理解してしまったからだろう。手のひらを転がるようにそこにあった幸福は一瞬で空気の乾いた俺の部屋に様変わりしていて、あーあと落胆したとしてもオレにはあの空間へ戻る方法を知らないのだからどうすることも出来ない。唾を飲み込んだら喉がチクリと痛んだ。とりあえず、今日は炭酸を飲むのはやめておこうと思った。



「明晰夢ってやつですね」

偉そうに腕を組んで、何に対してかは知らないが同調するようにうんうんと頷くエネの後ろには丁度検索結果が表示された所だった。ご主人、このパソコン動作が遅くなった気がしません?大方お前の容量が重いせいだろうが。そんないつも通りの会話を挟んで、エネがつらつらと文章を読み上げる。

「ええと、『明晰夢とは、睡眠中にみる夢のうち、自分で夢であると自覚しながら見ている夢のことである。』ですって。あ、頑張ればコントロールも出来るみたいですよ。やり方調べましょうか?」
「別にいらねえよ。面倒臭い」
「えー、もったいない」

何がだ。そう声には出さず、静かに右上のバツ印をクリックした。画面から消える白黒の文字、代わりに表れる初期設定壁紙の風景、変わらずそこに居続けるエネ。何も変わらない乾いた日常。それに嫌気が差したのはもう昔のことになっていた。あの子の記憶を、あの子の笑顔を忘れないように、ただそれだけに必死になって足掻く日々。記憶力だけは自信があったはずなのに、するすると砂漠の砂でも掴んでるんじゃないかって錯覚するくらい簡単に滑り落ちて行くのは一体誰のせいなのか。自分が悪いのか、それとも急にいなくなりやがったアイツが悪いのか。まあ、エネは、ちっとも関係ないだろうけど。

「ご主人、いつにもまして顔色が悪いですね」
「悪かったな。いつも顔色が悪くて」
「そういうわけじゃ‥‥‥。あ、顔色が悪いのはいつものことですけど」
「慰めようとしたわけじゃないのかよ」

力のない悪態はディスプレイに反射して戻ってきたみたいに俺の気分を重くした。別に慰められるのを期待した訳ではない。むしろ同情なんてそれこそ他人の自己満足だろう。なんにも、オレが得する事はない。

けれどオレは自分の感じる恐怖に嫌悪していたのだ。彼女を忘れないように彼女を思い出す度、鉛を飲み下したように体は重くなった。そして一人でいることがどうしようもなく怖くなった。ぽろぽろと溢れてゆく彼女の欠片を誰も見つけられないのだとしたら、もしもそのまま片付けられてしまったとしたら。その恐怖がオレを縛り付けた。そして、彼女のことを思い出すことすら恐怖と認識し始めた自分自身がどうしようもなく嫌いだった。何も出来なかったのだから、もう何も失ってはいけないのに、それすら出来ないお前は屑の極みだと言われても反論はしないだろう。実際その通りなのだから。

「あのですね、ご主人」

ディスプレイの中の目に痛い青色が何かを喋りかけてくる。なんとなく聞きたくなくて耳を塞ぐ。

「×××、××××××××××××××××。××××××××、××××××××、×××××××。」

何と言っているのか。聞こえない言葉はきっと普段のエネからは想像も出来ないほど優しいのだろう。だからこそ、聞きたくなかった。優しい言葉で、彼女を上書きしたくなかった。ただの我が儘だった。

「××××××、×××、××××××××!」

ディスプレイの中で青色が泣きそうになりながら何かを叫んでいる。その声はオレには届かない。もうオレは我慢できなくなって目を閉じる。脳裏にこびりついた赤色が、少しだけ泣きたそうな顔をしているような気がした。


title:joy

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