∴蜥蜴の涙を路傍の果てに注ごう



ゆっくりと伸ばされた腕は冷たくて、なんだか無性に泣きたくなった。氷の女王なんて呼ばれるうちにきっと彼女自身も冷えきってしまったに違いない。けれど今ここで「可哀想に」などと安易に口にすることは躊躇われた。まずなにより彼女はそれを嫌悪するだろうし、それに俺自身が自分を慰めてるように聞こえてみっともないと思ったから。変化したのは彼女だけではない。

「感謝は、しているわ」
「それはどうも」

人気のない公園のベンチだった。遊具も何もない、ただし中央でそれほど大きくはない噴水が水を吐き出している何のために作られたのかも定かではない空間。平日の午前中という子供も大人も主婦もみな揃って建物の中で忙しなくしてる時間帯、自分達だけが世界に取り残されたような錯覚に見舞われる。丁度真後ろにある噴水の水音だけが俺達を現実に留めていた。

「謝ってもらいたいなら謝るわ」
「何を?」
「貴方のその頬の傷、私のせいなんでしょう?」

彼女は薄く笑ってそう言った。純百パーセントの感謝にしてはどこか陰りがある笑顔。暗に示す感情は同情だろうか。きっと俺も同じ顔をしてることだろう。散々に嘘も偽善も本性も吐き出してきた口を歪めて「貴方も大変でしたね」と、まるで他人事のように。

「こんなに美しいレディを守れたのですから、この程度の傷、大したことはありませんよ」
「そう。素敵な社交辞令ね」

彼女の冷たい手がそっと自分の右頬を撫でた。くすぐったさに身をよじる。彼女の指は濡れていた。水分が傷口に染みてじくじくと嫌な音を立てている、ような気がした。

「‥‥‥どうして、泣いているの?」

彼女はそっと呟いて、そっと俺の涙を拭った。彼女の指が濡れていたのはどうやら俺の涙のせいらしかった。不純物にまみれた一見すると透明な液体は、俺の頬を伝い彼女の指を伝い静かに地面に垂れた。女に泣いているところを見られるだなんて、不覚だ。でもそんな彼女の綺麗な紅色の瞳にも、薄く水膜が張ってあるように見えるのはきっと気のせいではないのだろう。

「貴方こそ、どうして泣いているんです?」
「私?そうね、‥‥‥わからないけれど、きっと貴方とおんなじ理由よ」

やっぱり俺達は世界から切り離されていた。終演を迎えた悲劇に役者は必要ない。俺達はその悲劇の分、傷付け傷付けられ似た者同士さめざめと涙を流すのだ。誰に必要とされているのかもわからない噴水だけが、そんな俺達を見守っている。



title:へそ


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