∴しあわせ売りの少女



テレビとか雑誌とか、そういう決められた枠の中で大きく大きく笑顔を振り撒いていいたその人は、いざ直接会ってみるとなんだろう、思ってたより普通の人、みたいだった。当たり前といえば当たり前だけど。これで何かの変な超能力でも持ってる、なんて言ったら日本中が仰天する。

「うーん、あながち間違ってはないんだけどね」

困ったように笑うその人は年相応、もしかするとそれより幼く見えるくらい。初めは大分年下の私から見たからそう見えるだけなのかもと思ったけれど、すぐ隣に立つお兄さんだと紹介された人とのやり取りを見てると失礼だけど少なくとも頭が回る方ではないことが伺えた。最近はおバカが売りのタレントも多いからそれも彼女の武器なのかもしれない。

「えーと、その、サインお願いしてもいいですか‥‥‥?」
「サイン?あっ、そうだ!そういう話だったね!ごめんごめん、私忘れっぽくて!」
「お前の場合、忘れっぽいの領域を逸脱してるけどな」
「はぁ?妹にそんな酷いこと言うなんてサイテーだよ!」

そして現在、昨晩眠れぬまま準備した色紙とサインペンを差し出すも、ご兄弟での言い争いが始まってしまって行き場が行方不明になったそれを抱えてそのまま呆然と突っ立っている。そして耳を澄ませば聞こえる兄弟事情。アイドルご法度なプライベート話もポンポン飛び出して、目まぐるしい情報量に驚きと少しの呆れで口が開きっぱなしになっていたらしく喉がパリッと乾いてしまった。

「ヒヨリが思ってるよりもずっとずぼらでうるさくって、あと太ってるよ」

そういえば今日の朝ヒビヤがそんなことを言ってたのを思い出す。ちなみにヒビヤはとりあえず殴って部屋に押し込んで置いた。うっすら「ありがとうございます!」って声が聞こえた気がしたけれど気持ち悪いので無視しておこう。

「あの‥‥‥」
「だいたいお前はアイドルって自覚ないみたいに食っちゃ寝食っちゃ寝しやがって」
「私だってこんなもやしがお兄ちゃんとかありえないんだけど?」
「えと、すみません‥‥‥」
「この前なんかお前、」
「アーアーアー!聞こえない聞こえなーい!」
「もしもーし?」
「このムッツリヒキニート!‥‥‥ってあれ、ヒヨリちゃんどうしたの?」

心配そうに私を覗き込むモモさんに「貴女のせいです」だなんて言えるはずもなく、あーとかうーとか声になってないような音を出しては曖昧な笑顔を張り付けた。やっとの思いで「なんでもないです‥‥‥」と蚊の鳴くようにひねり出したら余計心配された。お兄さんの方はどうやらこの心情を理解してくれたらしく少し申し訳なさそうな顔をしながら、けれどしっかりモモさんのことを呆れたように見ていた。お疲れさまです。

「サイン、お願い出来ます?」
「へ?あ、うん!そうだったね!もちろん任せといて!」

思わず疑問形になってしまったお願いにモモさんは揺れる胸を叩いてくれた。けれどここまで不安になる任せといてもそうそうないと思う。たかがサイン一枚にハラハラする私とは対照的にモモさんはさらさらと油性マジックで文字を書き込んでいた。ちょっと前衛的過ぎて最後のハート以外が読めないけれど。
モモさんはそのハートを結び終えると「よしっ!」と嬉しそうに笑ってサインペンのキュッと閉める。そこに何かの違和感を感じた。なんだろうこの不思議な感じ。

「はい、ヒヨリちゃん!」
「あ、ありがとうございます‥‥‥!」

人を元気にするのがアイドルの仕事なんだってことはよく聞く話で、でも実物なんて田舎に住んでたら、というか田舎に住んでなくても会えないのが実状。だから私達はテレビの液状の向こうから電波混じりの元気をもらうしかなかった。もしかしたら空元気なんじゃないかって心配しながら。でも、なんか、この人を見てると「アイドルだな」って思う。当たり前のことじゃないかって言う人もいるだろうけど、そう思っちゃったんだから仕方ない。その笑顔はあまりにも優しくて、まあるくて、そして元気をくれる。効きすぎた眠気覚ましみたいに。

「相変わらず字きったねえな」
「このセンスがわからないなんてお兄ちゃん遅れてるよ!」
「いや、どっちかっつーとお前のセンスが進み過ぎてんだろ」
「私もそんな気がします」
「って、ヒヨリちゃんまで勘弁してよ〜!」

目まぐるしくクルクルする表情は眺めているだけでも楽しくってついつい笑ってしまう。アイドルって人を元気にしてなんぼだって言われるけど、それって結構大変なことなんだってことぐらい知ってる。でもモモさんといると元気になった。笑えた。今とっても楽しいし、幸せだ。

「でも私は、このサイン大好きですよ」



title:塩


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