∴そうだ深海行こう
「まったく、室内だというのになんでこんなに暑いのかしら。いくら平成がろくに発達をしていない古臭い時代だからって、これはいただけないわ」
「この時代は節電が行われていたらしい。その影響だろう」
「よく昔の人ってこんな薄っぺらい紙をパタパタしただけで満足してたわよね、尊敬しちゃう」
あー、もうっ!さっさとお目当ての物を見たら帰りましょ。まだ着いてから10分とたっていないのにせっかちな奴だと思った。左右のどちらを見ても魚達が水の中泳ぐ風景は視覚的には涼しさを増すはずだ。現に私はあまり暑くない。折角のミッションではないタイムワープなのだから少しくらいゆっくりしてもいいものの、先を急ぐベータは早く帰りたくて仕方がないと言わんばかりに私を急かしてくる。今行く、と短く答えて水槽から視線を外した。本の少しだけ体感温度が上昇したような気がする。ほら、折角水族館へと来ているのだから本来の楽しみ方をすればいいのに。それを口に出してしまえば不機嫌になること必須なので黙ってベータの後を着いていくことにした。
決して寂れている訳ではないが人の少ない水族館。それは今がこの時代でいう平日というものであるせいなのか、それとも年中こうなのか、それを推し量る術を今の私は持っていない。別にそんなことどうでもいいと言ってしまえばそれでおしまいではあるが、わざわざベータが選んだ水族館というイメージにはあまりそぐわなかった。ペンギンはいるがイルカはいない。つまり大きくも小さくもなく特に特筆することもないような館にどうしてわざわざ。しかも彼女は折角のペンギンすら素通りしてしまってる。それどころかサメもクラゲも普通なら誰もが立ち止まるであろう人気者達を次々とすり抜けていく。見なくていいのかと問えば、あんなのどうでもいいのよと返された。本当にこの人は何のためにここへ来たのか。
「お前のお目当ては何なんだ」
「うーん‥‥‥説明するより見たほうが早いわよ」
時代が変わっても変わらぬ傍若無人ぶりは最早流石と言ってしまってもいいかもしれない。それに慣れっこになっていることに対して溜め息を一つ。館内の奥へ行くにつれて暗くなっていく照明器具、その中を足早に過ぎ去っていく。
「あともう少しね」
心なしかベータの声のトーンが少しばかり高い。それは照明と反比例を成しているかのようだった。一体どこへ向かっているのかすら知らない私はもう少しがどれだけなのかを知らない。それでもまあそれ程遠くはないだろう、そう楽観視していると目の前に階段が現れた。ベータが結構急なそれを迷うことなく降りていくのだが、足場も悪く明かりも無い。その光景にさっきまでの安心は何処へ行ったのやら、押し寄せる不安に抗って足を下ろした。
「どこへ行く気だ」
「この階段を下りたらすぐよ」
「お前のすぐは信用できない」
「そう硬いこと言わないでよ」
軽いとも重いとも知れない短い会話ののち、足が段差のない平らな地面についた。暗い中足場を気にして下に向けていた顔を上げると、一斉に青い光が視界に飛び込んできた。水槽を見ているのではない。むしろ私達が水槽の中にいるようだった。
「ここの水族館、崖の上に建ってるそうよ。だから海で泳いでる、生身の魚が見れるらしいわね」
そう、海だった。赤かったり青白かったり、様々な魚が水槽という檻の中ではなく、生命の起源、広大な海水の中で自由に泳ぎ回る様はどんなに大きな水槽でも見れない光景だろう。ようやくベータが求めていたものがわかった気がした。
「‥‥‥この水族館は来年閉館するわ。だから蒸し暑い中わざわざこの時間軸に来てあげたのよ」
「もったいないな‥‥‥」
「ええ本当。どうして未来にはないのかしら」
未来にはない光景。イルカ、ペンギン、その他多数、どれも未来の水族館にも存在していた。だけども自由に泳ぐことが許される者はいない。彼らは息苦しさを息苦しいと感じることもないまま水槽の中で一生を終える。目の前の奴らのように、自由に泳ぐなんてことは思い付きもしないまま朽ち果てて行く。親近感が湧くのは未来の魚だった。
「あーもう!だからなんでこんなに暑いのよ!早く帰るわよアルファ!」
「‥‥‥了解」
折角来たのにもう帰るのか、それを少しばかり寂しく思いながらスフィアデバイスを取り出す。それが青い光を放つと魚達は天敵と勘違いしたのが一目散に散らばって行った。いいな、お前達は。どこへでも、自由に逃げることができて。
水槽内の世界は安全だ。だけどそこは寂しい所だったよ。
title:joy