∴愛されなかった方の男の話



気持ち悪い。吐きそうだ。胸の辺りがひりつくように激痛を訴えて息すらまともに吸えやしない。浅く短い呼吸を懸命に繰り返しながら、ミザエルは必死に痛みに耐える。口から漏れるのはヒュウヒュウというぼろ小屋に吹き付ける風のようであり、生きているそれではないようにドルベには感じられた。何か声を掛けてやらなければ。その責任感こそがあまりにも無責任なものであることをドルベは知りもしない。

「ミザエル、」
「私は大丈夫だ、心配するな」

大丈夫か?と、言おうとした言葉は先回りされた。声のやり場を失って開いたままになっていた口を静かに閉じるが、しかしこれでは心配になるばかりだとドルベは頭を悩ませる。もういい加減長い付き合いなので、ミザエルが自分の中に溜め込むタイプであることをドルベはわかっていたし、それを他人に易々と話す奴でもないこともわかっていた。そしてわかっている以上、自分があれやこれやとお節介を焼くべきではないことも知っていた。
「そうか。無理はするなよ」腑に落ちない気持ちをどうにか押し留めながらそれだけを言葉にして、ドルベはミザエルの前から立ち去る。しかしどういうわけか、ミザエルの胸焼けは酷くなるばかりであった。

破裂しそうなほど出たい出たい願う自分の願望を無理矢理飲み込んで胃の奥底に押し込んで体の中に沈めて、その結果の消化不良がこの胸焼けであることくらいミザエルもわかっている。吐き出せ、吐き出してしまえ。喉元から競り上がってくるのは嘔吐物ではないけれど、それ以上に汚くって厄介な物だった。自分の体、心、ほんの少しでもコントロールできたらどれだけ楽なことだろうか。収まらない吐き気にウンザリしながら地面に腰を下ろした。一緒に溜め息も出てきた。

「だいぶシケた面してやがるなぁ」

頭上から唐突に声が聞こえたが、残念ながらちっとも嬉しくはない。顔を上げるのも億劫なのでそのまま無視を決め込んでいると、ベクターはあの神経を逆撫ですることに特化した笑い声をミザエルの上に容赦なくゲラゲラと落としてきた。短気なミザエルがそれに耐えられるはずもなく、「五月蝿いっ!」と声を張り上げてみれば、その声すら震えていることに気が付いた。その震えていたのとベクターの笑い声とを紛らすためにもう一度口を開く。

「貴様、何をしに来た」
「別になぁんにも?ただ面白そうな奴がいるなぁと思ったからよぉ」
「ならば早急にお引き取り願いたい」
「そうせかせかするなって」

ミザエルは未だにベクターには目もくれてやらないが、ベクターからはミザエルの様子がよく見えた。おまけに心情の機微にも敏感であるものだからミザエルの中身もよく見えた。ミザエルがドルベのことを好いていることくらいはお見通しである。
情けないな。単純にそう思う。ミザエルにとっては体調不良に陥るほどの重要性を持っていたとしても、ベクターから見てみればただのくだらない恋心。そんな物にうつつを抜かして世界が滅んだらどうするのかとヘドを吐いた。

「わかってんだろ?ドルベはお前のことなんて見てもいねえって」
「黙れ」
「ナッシュがいなくなって、あいつ露骨に落ち込んでたもんなぁ?」
「帰れ」
「俺が相談に乗ってやろうかぁ?」
「死ね」

多少残忍な言葉が口をついたが相手はあのベクターだ、何も気にすることはない。と思いながら、ドルベには聞かせられないなと同時に思うこの思考回路こそ殺してしまいたいと願う。この嫌らしくて汚ならしい汚物を当てるべき相手がドルベであることが何よりの苦悩で、そんなこと出来やしないと頭を抱える日々。千切って吐き出すことすらできないクセに、空気を読まずに膨張して行くそれを何時まで隠すことができるのか。いや、隠し通さなくてはいけないのだ。なぜならドルベの視界にミザエルはいない。

しかしベクターは知っていた。溜まりに溜まった激烈な感情とやらを押し留めることなんて、到底不可能であることを。いつの日か、ミザエルはドルベに吐き出してしまうだろう。もしかするとそれは泣きながらかもしれないし、諦めかもしれない。それを覗きこんで嘲笑する自分を想像しながら、けれどそれまでこの世界は存在できるのだろうかと身を案じた。



title:joy


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