∴秘密の海



「ねぇ、心中しよ?」

季節外れのおかげでざわめき一つない砂浜なのに、放たれた言葉はまるで海風が持っていってしまったかのようにか細い。大きな二つの目を柔らかく細めて、少し歯を見せるように笑ったカノは、砂の上でぼっと立ち尽くしているオレに向かって足元の水を跳ねさせながら振り向いた。

「あぁ、もちろん嘘だよ?」

裸足で波を掻き分けて、奴は嬉しそうに笑う。行き先も教えられずに手を引かれるまま電車を乗り継ぎ寂れた海にたどり着いて、まるで子供のようにさっそうと靴を脱ぎ捨て海に走って行ったカノを少し遠くから眺めてるだけのオレには、なんでそんな嬉しそうなのかとか、何のためにオレの手を引っ張ったのかとか、ちっともわかりゃしない。きったない都会の海に足を突っ込んで、奴は何をしたいのか。そんな疑問が浮かんでは、海風がさらったようにすぐに消えた。とりあえず寒い。

「‥‥‥だろうな。それより早く帰ろうぜ。心中ごっこのお誘いならお断りだ」
「そんなぁっ!シンタローさん私のことを愛してるって言ってたじゃない!」
「キモい」
「ひどっ」

コントのような漫才のような、軽い寸劇を始めようとしたから遮った。生憎とオレは演技にもアドリブにも長けてはいないからだ。そういえば、その二つはコイツの得意分野だった。何もかもがオレとは正反対のような奴だ、奴に対する何もかもがわからなくったって、別段おかしくはない気がしてくる。

「せめてシンタローくんもこっちくれば。意外と温いよ?」
「嘘つけ。オレはこんな砂浜に突っ立ってるだけでこんなに寒いんだ」
「シンタローくん寒がりなんだね」

ケラケラケラケラ、一体何がおかしい。こっちは寒いんだよ。
器用にズボンの裾を捲ってザブザブ波を分け入るようにカノは水と戯れる。きっとあの水はオレにとってみれば氷なんじゃないかと疑いたくなるほどに冷たい水なのだろう。感覚の違いって奴だろうか。なんとなくムカつくから、置き去りにされたカノの靴に砂を詰める嫌がらせをしてやろうか、面倒だからいいか。
おーい!シンタローくーん!両手をズボンを支えるのに忙しいカノが、声だけで俺を呼んだ。きっと奴には大きな声で呼んでいるつもりなのだろうけど、相変わらず海風がうるさくってノイズを掻き分け掻き分け、それでやっと聞こえるような。目を凝らしてよくよく見れば、膝下ほどまで水に浸かっているカノは大分遠くにいるように感じられた。海に、沈むように、

「‥‥‥オイッ!」

思ったよりもカノは近くにいた。キョトンとした顔でズボンの裾も捲らないまま海に分け入ったオレを心底不思議そうな顔で眺めている。オレはそれきり、何も言葉が浮かばなかった。

「シンタローくん寒いんじゃなかったの?もしかして今更遊びたくなったとか?あーあ、靴びっしょりじゃん。帰りどうするの?」

言えば、いいのか。「お前が死にそうだったから、だから放って置けなくなった」とでも言えばいいのか。きっとそれを聞いたら、今オレのことを笑いながら心配する奴は「おかしなことを言うんだね」と笑うだろう。笑って、何もかもを無かったことにする、それが奴のスタイルだ。

「‥‥‥そんなのはどうでもいいからさっさと帰るぞ」
「せっかちだなぁ」
「糞冷たいんだよ、水。どこが温いだ馬鹿か」
「ありゃ、バレた」

そう言って、今度は俺を海に置き去りにして奴はザブザブと陸地の方へ歩いて行った。そのままタオルで足を拭いて、なんてことはないように靴を履き直す。そして笑った。いつもと何の変わりもしない、人を小馬鹿にしたような、そんな唇の端っこの吊り上がり。

「でもさ、心中するならこれくらい冷たい方がいいじゃん?‥‥‥まあ、嘘なんだけど」

さぁ、帰ろっか。まるで何事もなかったように、さっきまでの一挙一動まで何もかもが嘘だったみたいに、奴は屈託のない笑顔でオレに手を差し出した。一体、奴は何に対して嘘をついたんだろうか。



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