無垢をそのまま表したような紫の瞳は宿の片隅に
疑問と僅かな好奇心を織り交ぜた視線を一心に浴びせていた

視線の先には、一つの植物があった
宿に植物がある事自体、珍しくもなんともない
しかしそれは、紫の瞳の持ち主、ソフィが今まで宿で目にしてきた様なものではなかった

よく宿に置いてあるような観葉植物の類ではないのだ
そもそも、その植物は鉢植えを土台として二、三本同じ植物が
柱に緩く縛られて、さながら立てかけられるように、それはあった

宿の隅にある柱の一角に、ひっそりとただ佇むその姿
これだけ聞くとあまり目立たないように思えるかもしれないが
自分の存在をアピールするかのように、前屈みになるように自身をしならせ、
先の尖った鮮やかな植物の緑の装飾――葉が自分の姿をどこか大きく見せる
土台では仲良くその身を寄せ合うようにあるのに、
その様相が自分が目立とうと密かに競い合ってるようで
目立たない場所にある、という事象すらも存在感を増幅させ、
そこに目を惹かれたのも確かにある、
だがそれよりもなによりも、目を惹くのが

その植物からぶらさがっている、たくさんの鮮やかな彩り
赤、青、黄色…全部挙げるとなるとどれほどの時間を費やすかわからないほどの色が、そこにあった

それが何だか全くわからないというのに、
どこか心躍らせるような不思議な感覚を覚えさせ、
正体が知りたい、強くソフィはそう思った
そしてついに好奇心に駆られ、仲間達に聞いてみよう、と
今まさに、聞こうとした時

「あら、そういえば今日は七夕だったわね」

背後から聞こえたシェリアの声にソフィは後ろを振り返った
するとシェリアは自分の先ほどまで向いていた方向、つまり自分の後ろを見ている
もしかしたら、と思いシェリアの視線を追うように今一度視線を元の方向へ向けると
シェリアの視線は、確かにさっきまで自分の見ていたものと同じものを捉えていた

――…たなばた?

聞きなれない単語に首を傾げながら、視線の先にある物、
様々な彩り――短冊をその身に多数纏った笹の姿に
今度は疑問一色に満ちた視線を浴びせたのだった


「ソフィ、『七夕』を知らないのね?」

いつの間にか、後ろに居たシェリアがソフィの横に並び
少し前屈みになりソフィの顔を覗きこみながらそう問いかけた
しかし問いかけ方は、どちらかというと確認のようだ
だから、つい答えずに逆に質問を投げかけてしまった

「なんでわかったの?」

そういうとシェリアは少しおかしそうに、クスクス、と笑う

「自分で気づいてなかったのかしら、声に出てたわよ?」

どうやら知らぬ内に声に出してしまっていたらしい
ほんの少し、胸がむず痒くなり、居心地の悪さを感じた
俗に言う、少し恥ずかしさを感じたのだが
ソフィの七夕への関心は容易くその感情を上回った

「これって、『たなばた』っていうの?」
「うーん、そうねえ…」

ついに、宿の片隅にあるその植物を指差して、そう疑問を問いかけた
そんな疑問にシェリアは少し考える
確かに、あれは七夕といえるが、あれそのものは七夕とは言わない
どう説明したものか、やや思案していると

「ソフィ、あれは「笹」というんだ」

パーティーにおける最年長者、マリクが微笑ましいものを見るかのように表情を緩めながら、そう答えた
ソフィの耳がこちらに向いたのを確認して、言葉を続ける

「七夕というのは行事…祭り事の一つでな、願い事を書いた紙を『短冊』というのだが、それを笹に吊るすと、星がその願いを叶えてくれるという言い伝えなんだ」

行事、という言葉がソフィには難しいかもしれないと判断し、
少し別の言い方に換えて要点を抜き出して簡潔に説明した

そして新たな聞き覚えのない単語、『短冊』がソフィの心を捉える
願い事を書いた紙、そう教えられた
確かに言われてみれば遠目からでも吊るされた紙に何か書いてあるのが見える
しかし何が書いてあるのか、そこまではここからではよく見えない

近くに行って見てみればいいのに、何故かその場で懸命に観察するソフィに
宿のチェックインを済ませたアスベルは苦笑し

「ソフィ、もっと近づいて見てみるといい」

「構いませんよね?」、と今更ながら一応宿の主人にアスベルが問うと
にこやかに、「どうぞご覧になってください」っと主人はあっさりと承諾した

「やっほー! じゃあ見てみようー!」
「パスカルさん、室内で走らないでください、あとなんであなたがそんなに乗り気なんですか!」

主人の承諾に何故か逸早くパスカルが笹へと走り寄る
それに対し、律儀に注意する所は注意し、ツッコむ所はツッコむヒューバート
傍目から見ればいいコンビ状態にある二人の様子にマリクは一人深く頷く
そんな教官の様子を横目で見ていたアスベルは疑問符を浮かべるが、
続々と笹へと歩み寄っていく他一同にすぐに倣い始め、
そのアスベルの後を追うようにマリクもその足を笹の方へと向け始めた

「おおー、たっくさんあるねー!」
「ちょ、ちょっとパスカル、あまり他人の願い見るものじゃないわよ」

笹の元へパーティの中で最速で到達でパスカルは吊るしてある短冊を物色し始める
さすがに他人の願い事をそれこそ他人である自分たちが見るのはどこか気が引けるので
シェリアはパスカルの手をやんわりと掴んで制止する
とはいえ、やはり何が書いてあるのか知りたくなってしまうのは人の性
制止役として飛び込んだ自分が、その視線にたまたま捉えた一つの短冊の字を
危うくうっかり読みそうになり、慌ててシェリアは頭(かぶり)を振った

「どうやら、自由に吊るしていいみたいですね」

脇に置いてあった明るい色調の木製の机を見ながら、ヒューバートはそう言った
机の上には吊るしてある短冊と丁度同じ大きさの様々な色の紙と
願い事を書くためであろう複数のペン、
そして笹に吊るすためなのだろう、様々な色の糸が仲良くその場に鎮座していた
机が背にしている壁には「ご自由にお飾りください」と宿の主人から但し書きもある
机上を良く見ると、誰かが紙に願い事を書く際に
うっかり紙からペンがはみ出てしまったのだろう木製の机に薄い黒線が伸びている
犯人もそれに気付いたのか指で擦り消そうとしたような跡もその場に残っている
それでも完全に消えてないあたり、結構いい加減に消したのか
それとも結構頑張った末の結果なのか、それはその人のみぞ知る

「わーい! じゃああたしも書くー!」

さっきまで短冊を物色していたパスカルが
机の元へ走り寄り、今度は短冊にする紙を束の中から探す
先ほどから世話しない様子のパスカルにシェリアはやや苦笑を零しながらも暖かく見守る
別にどの色でも短冊になるというのに、なにか目当てのものを探すように
紙束を両手に持ち、目的の紙を右へずらす行為を繰り返し、やがて見つかったのか目を輝かせた

「やっぱり好きな色に書きたいよね!」

そして、手に取った紙は非常に目立つ黄色の紙
そういえばいつだったか、黄色が好きだと聞いた覚えがあるな、と
アスベルとヒューバートの兄弟二人はぼんやりと記憶を掘り起こす

パスカルは早速机にそのお気に入りの色の紙を机に置いてペンを取り、
さらさら、とペンをその紙に躍らせる
瞬く間に何も書いていなかった紙に文字が連なっていく

短冊に願い事を書く、という行為に興味があるのか、
ソフィがその後ろからパスカルの手元を覗きこんでいる
しかし、そんな二人の様子を見ていたアスベルは
突如ソフィの表情が若干引き攣ったのを確認した

――どうかしたのかな?

おそらくパスカルの書いた願いが原因だろうと推察し、
アスベルもパスカルの手元を覗きこもうとするとパスカルが願い事を書き終えたのか
紙を手に取ってしまったため、目的を達する事は叶わなくなった
そんなアスベルの事は露知らず、パスカルは糸を短冊の右上に糸を通した
さっき見た時にわからなかったが、どうやら紙に小さな穴が空いていたようだ
笹の元へ糸を通した短冊を持っていき、真中に笹が通るように糸の両端を持ち上げ、小さな結び目を作る
画して、パスカルの短冊が完成した、と同時に

「というわけでソフィ〜、触らせて〜!」
「…嫌」

いつの間にかアスベルの近くに避難していたソフィがアスベルの背に隠れる
なんなんだ?、と突如として始まった
この二人が会って間もない時の事を彷彿とさせる光景にアスベルは疑問符を浮かべる
パスカルの短冊が気にはなるのだが、この状況ではそれは無理というものだ

「…ああ、そういうことね」
「何がですか?」

これ、と言ってシェリアはヒューバートを手招きし、パスカルの短冊を見せる
するとヒューバートは、やれやれ、とでも言いたげに肩を竦めた

「ふ、二人ともどうしたんだ?」

変わらず自分を挟んだ攻防から半ば巻き込まれの状況におかれているアスベルが
自身の疑問の鍵を今手にしているだろうシェリアとヒューバートにそう問うと
シェリアがパスカルの短冊を手に取り、内容を音読し始めた

「パスカルの願い事、『ソフィともっと仲良くなれますように』ですって」

――道理で

アスベルは思わず遠い目をしてしまう
どうにもパスカルはソフィに触りたがるらしく、
出会った当初ほど過剰ではなくなったもののその願望は未だ健在だったようだ
別段ソフィはパスカルを嫌ってはいないのだが
無駄にスキンシップを取られるのは嫌らしく、
そんなパスカルからソフィは幾度も逃亡を図っている
最終的に今のようにアスベルの背に隠れたりしてどうにかやり過ごしてはいるようだが

「パスカルの願いを叶えるのは、星ではなく、時間になりそうだな」
「ははは…」

小さな争いから我関せずといったポジションを保ちつつマリクは冷静にそう分析した
今も現在進行形で巻き込まれ中のアスベルは、苦笑いをしたのだった



それから数刻
勝負(?)の結果はパスカルが折れる事で幕を下ろしたが
ソフィは変わらず警戒しているようだ、
さりげなくパスカルと自分の間にアスベルを挟む様な位置にいる
もはやアスベルは完璧に盾役と化していた
パスカルはと言うと、肩を落として落ち込んでいる、いつもの光景だが

「そうだ、ソフィも願い事を書いてみたらどうだ?」

そんな最中、アスベルはソフィにそう勧めてみた
するとソフィは視線をパスカルから机の上の紙束に注がれる

「でも、何て書いたらいいの?」
「なんでもいいんだ、ソフィが叶えたい事を書けばそれでいいんだよ」

アスベルは机に手を伸ばし、紙の束の一番上にあった
紫の紙を手に取り、ソフィに手渡した

「叶えたい事…」

自分の髪や瞳と同じ色をしたその紙を見ながら一心に自分の叶えたい事を模索する
しかし、こういうものは大概考えれば考えるほど泥沼に嵌っていくもので
ソフィは頭を捻りながら思案に暮れてしまう

「難しく考えなくていいのよ、ソフィ」

お手本にでもなれば、と思いシェリアも紙の束の一番上の紙――赤い紙を手に取る
そんなシェリアをソフィは目で追う

「そうね〜…うん」

ほんの少し考える素振りをすると、パスカルがしたように、さらさらと文字を書いていく
やがて、その赤い紙には『みんなが元気でいられますように』と書かれていた
願い事のすぐ横に自分の名を添えて
常に他人の身を思いやるシェリアらしい願い事だった

「ね? 私が今書いた事は、今咄嗟に考えた事、難しく考えなくても書けるのよ」
「…うん」

返事をするも、やはり思いつかないようで、またソフィは思案に戻ってしまう

「今日はここに一泊する、今思いつかないならゆっくり考えるといい」

時間はあるからな、とマリクがそう励ましたところで各自一時解散となった

宿の部屋は女性陣と男性陣に分かれ、二つずつの部屋を取る事にした
その部屋の内、女性陣の部屋でソフィは一人
先ほどの紫の紙を手に取りながらずっと考え込んでいた

――叶えたい事…

穴が開くのではと思うほどに紙をただ見つめる(実際糸を通す穴が既に開いているが)
本当に、書く事は些細な事でいいのだと頭では理解していた
それはさっきのシェリアの実演から学習している
だが、一度思考の海に沈んでしまった頭は考えれば考えるほど
その身を浮上させようともがくが、逆にその身を更に沈めてしまう
いっそ、諦めるかとも思ったが、折角なのだから書いてみたい
今のソフィを諦めさせず、支えているのはその精神だった

コンコンッと部屋のドアがノックされ、意識をそちらへ向けると
シェリアが部屋を覗きこんできた、ソフィの姿を確認すると
ドアは開けたまま少し部屋の中へと踏み込み

「ソフィ、夕食の時間よ――…行きましょう」
「…うん」

笑顔で入ってきたシェリアの顔がソフィの手にあった紙を見て僅かに曇る
それでも不安を与えたくなくて、頑張って笑顔を保ちつつソフィに手を差し出した
一度紙を部屋の中の備え付けの机の上に残し、ソフィはその手をとった

宿の食堂に一同は再び会し、いつも通りの賑やかな食卓を囲むも
しかし今のソフィにはどうしても短冊の事が頭から離れなかった
それほど、いつしか七夕にとても強い関心を抱いていた
だけど、依然として何を書くべきかわからず、
それでも何か書きたいというジレンマが絶えず心を占めていた

食事を終え、再び解散となった時、
シェリアが去り際に「無理はしないでね」と心配の色を滲ませた声をかけていった
心配させてしまった事に罪悪感を覚えつつ
ソフィが歩いていると自然と足は笹の所へと向いていた

――あ、シェリアの短冊

笹には先ほどのシェリアの赤い短冊がパスカルの短冊のすぐ横に吊るされていた
しかも、それだけではない、心なしか数が増えている
そう思い、その周辺を見てみると

「皆、書いたんだ」

他の仲間の名前が添えられた短冊が寄り添うように吊るされていた
アスベルの短冊に綴った黒がよく目立つ、白の短冊
ヒューバートの彼の髪、目の色と同じ空色の短冊
教官の、年長者としての貫録をどこか思わせる、茶色の短冊
だが意図的に、それらの短冊が少し円を描くように吊るされているように見え、
気のせいだろうかと思いながら円の中心を覆う笹の葉を少しわけてみると
そこには短冊を身につけていない紫の糸が緩く、でも落ちないように結ばれてそこにあった
それだけで察した、仲間達が自分の、ソフィの分のスペースを空けておいたのだと
その糸に手を伸ばし、結び目を解いて手の中に収めた

――みんな、ありがとう

仲間達の暖かさを手にしたその糸から感じた
とても細い糸だけど、そこには仲間達の激励がたくさん込められていたから
仲間達の短冊ももう一人仲間が増えるのを心待ちにするように僅かに揺れ、
それらも、頑張れ、と声なき声で語られていた
知らぬうちに短冊に書いてある願い事を読んでいると、ソフィにある願望が現れた
その内容にソフィは目を輝かせ、あてがわれた部屋へと急ぎ
そして、部屋に置いてあった、糸とお揃いの紫の紙をソフィは手にした

――叶えたい事、見つけた!

再び部屋を後にして、願い事を書くためソフィは笹の元へと急いで戻っていった
そんなソフィと入れ違いの形でシェリアが部屋へ入る

――あら?

机の上にあった、ソフィの短冊がない
未だ短冊に書くことを考えているのなら、先ほどと同じように部屋で考えているはず
でもソフィはいない、短冊もないという事は

「よかったわね、ソフィ」

誰もいない部屋でシェリアは笑みを抑えきれず、そう零した

「何が?」

一人感動に浸っていると突如後ろから
パスカルの声がしたことでシェリアは思わず飛び上がってしまった

「パ、パスカル、驚かせないでよ」
「あ、ごめんごめん」

ちっとも悪びれていないような笑顔をパスカルが向けてくるが、
少し恨みがましい視線を向けた後、シェリアはすぐにいつもの笑みを浮かべた

「ところでさ、何が良かったの?」

再度問われた内容に対して、理由を説明すると
パスカルもその瞳に歓喜の色を宿らせたのだった


翌朝、アスベルは部屋を出てすぐに笹の元へと歩みを進めていた
ソフィが願い事を書けたか、気になって仕方なかったのである
自分達の短冊がなるべく円を描くようにしてソフィの分のスペースを確保したのは
ヒューバートや教官と共に持ち出した案だったが、
円の中心にソフィ用の糸を吊るしたのはアスベルの独断だ
糸がお揃いの紫だったのは偶然ではない、数ある糸の中からわざわざ探しだしたものだ
いよいよ、笹の元へとたどり着く
どうなってるだろうか、緊張と不安が胸を満たしつつも自分達の短冊を吊るした場所を恐る恐る見てみると

自分たちの短冊の中心に、紫の短冊がそっと吊るされていた

アスベルは思わず深い安堵の息をついた
宿の窓のどこかから入ってきたのだろう風が、短冊達を揺らす、とても楽しげだった

――何を書いたのかな?

シェリアが言っていたように、あまり見るものではないかもしれないが
あれだけ悩んでいた末に書いたものだ、どうしても見届けたい
そっと手に取って願い事を読むとアスベルは思わず笑みを浮かべる

アスベルは昨日と同じ所にある机の上のペンを手に取り、
笹に吊るしたまま今度は自分の短冊を手に取り、そっと書き足した
書き足したのは、二つ目の、願い

――二つ願い事をするのって、反則かな…?

そう思いつつも、どうしても、この願いも叶えて欲しかった
どちらか一つだというのならば、どうか二つ目の願いを星に選んで欲しい

自分の短冊から手を離すと再び短冊が揺れる
さっきよりやや大きく揺れている、しょうがない奴だ、とでも思われてるのだろうか
その様子を見届けながら、アスベルはその場を後にした


紫の短冊に込められた願いと、


白の短冊に今込められたもっと強い願いは


――『みんなの願いが、叶いますように』

――『ソフィの願いが、叶いますように』





天の星々に、願いよ、届け――

















あとがき

七夕ネタでした、グレイセスに七夕の風習あるかは知りませぬ
実はアップ前日の時点で半分もかけてなかった代物
今でも思う、よく間に合いましたね(汗

男性陣の願った内容に関してはご想像にお任せします
色々考えたのもあるのですが、あえて書いていません
パスカルは素で書きそうだったので
シェリアは話の関係上やむ無く…(汗

そうそう七夕って調べると色々興味深い事が出てきますよ
興味のある方は一度調べてみてはいかがでしょう?
風習の背景って見てみると面白い事がありますよ

お読みいただきありがとうございました!
(2010/7/7)
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