後悔先に立たずという言葉がある

意味としては読んで字の如くだ、後悔は決して先にできないという事である、実にシンプル
だがそのシンプルな慣用句には非常に共感を得る方は多いのではなかろうか
人生過ごしていれば「あの時こうしていたら…」という過去における仮定は誰しも一回は考えるはずである
これまでの人生の長さに概ね比例して後悔の数という物は増えるものである、自分だってそうだ
そして人は後悔を何度もしてこれからに活かしていく生物だ、失敗は成功の母ともいうが、まさしくこの事だろう
後悔は、人の向上に繋がるのである
人が成長するのに欠かせない重要な薬だ、どんなに苦くとも避けてはならないのだ

だが、この件に関してはいかがなものだろうか

宿の一室、誰もいない部屋でヒューバートは一人頭を抱えていた
漫画的描写が入るなら、どんよりとした薄暗いオーラを漂わせ、周囲に人魂でも飛び回っていそうな様相
彼の目の前には愛用の手帳、そこに記された彼にとっては今一番の懸案事項
若くしてストラタ軍少佐という地位にその身を置く彼をこんなにも絶賛悩ませ中のその内容とは

――パスカルさんの好きな人を聞く

「どうすればいいんですか…」

誰に答えを求めるでもなく呟いた言葉は無音の空間にあっさり飲まれて消えた
自分もこのまま消えられれば楽なのに、と疲れ切った頭の片隅で、
縁起でもない事を考えてしまったのは仕方のない事だと同情されたくなった




事の始まりとしては我が兄の一言が発端だった
なんと、パスカルが寝言で好きな人がいる、と言っていたというのだ

正直にいうと当初は内容よりも兄の口から他人の恋愛事情でも絡みそうな台詞が飛び出したのに驚いたものだが
それは一瞬のことであり、すぐに自分の内に述べようのない感覚が渦巻き始めていた
言い知れぬ感覚が何かわからないのに、なぜか動揺しそうになったが「どうせソフィでしょう」と切り返してやった
我ながら内の心を律するのがうまかったと思う
答えも自然だし、しれっと返す事が出来た筈だ、このまま話は終わりに――できるはずもなかった
そう彼女がいるからだ、幼少からの幼馴染が
恋愛沙汰に人万倍興味を持つその彼女ことシェリアがその程度の応酬で怯むはずもなく
「意外とああいうのが押しに弱かったりするのよ」と意味ありげにこちらを見られた時は冗談でなく言い知れぬ戦慄が走った
とにかくなんでもいいので話を切らねば、と不自然にならない言葉を脳内で焦りつつも確実に組み立てていると

「俺もちょっと気になってるんだ、頼むヒューバート、聞いておいてくれないか」

兄の言葉で組み立てた言葉達は意味をなす前にあっさりと崩落していくのだった
アスベルの――自分の兄の直々の頼みとあっては、断れない
何が何でも応えねばと、アスベルの弟ことヒューバートは妙な使命感と言う名のブラコン精神に駆られ

「し、仕方ありませんね、聞いてきて差し上げますよ」

気付けば口が勝手に動いていた
ひとまず自分が請け負うという形で話が一旦収束し、その場に居合わせた皆の視線が自分から外れた頃を見計らい
懐から愛用の手帳を取り出し、ペンの取り出し、メモをしたのだった
忘れないようにと、わざわざ記述した内容を丸で囲んで強調するという徹底ぶりまでをも発揮して

――正直、どうかしていたと思う

今になって、はっきりいって後悔しまくっている
何が「仕方ない」のだ、何が「聞いてきて差し上げます」なのだ
過去に戻れるならあの時の自分を撃ち殺しておきたい
暗欝とした心情の内の1割ぐらいが自身への怒りへと変異し、力なく自分を責めたてた

正直視界に収めたくないが、伏せていた顔を少し上げてもう一度メモの内容を見てみる
兄たっての頼みとあって、俄然やる気になったのか、
内容を囲んだ丸印は非常に濃く、力強い、しかも良く見たら二重丸だ
先ほども述べたように安請け合いしたことは後悔しているが、この事をそのまま流すつもりはなかった
あの安易すぎる安請け合いをしてから、だいぶ経っている
あれから誰も突っ込んでこないという事はもしかしたら忘れてくれているのかもしれない
このまま有耶無耶にしてしまうのも手だったが、一度は請け負った身だ、有言不実行は自分のプライドが許さない
ふうっ、と一つ息を吐き、机に両手をついて重い体を懸命に起こし
ガタッと音を立てながらヒューバートは椅子から立ち上がり、
手帳をしっかりと懐に再び収め、部屋を後にした

――うだうだ考えるよりは、行動したほうがいいですね

まだどういう行動に出ればいいのか、その答えは出ていない
だが、ただあれこれ自分の愚かさを嘆いていても打開策は見えない、逃げ道は己で閉ざしたのだから

しかし、行動に出るのだからやはりどうするべきかは考えるべきだ
先ほどまで考えていたのは自分の愚かさについて、今考えるのはどのようにすれば目的を達せられるか
顎に手を当て、少し深い息を吐いてからヒューバートは態勢はそのままに行くあてもなく廊下を歩き始めた

――そもそもどういう流れで切りだすべきなんでしょうか

根本的な問題はそこだ、パスカルは恋愛事情に興味を示すという想像がまずつかない
自分に対しても、他人に対しても基本一切察する事がない我が兄に比べればまだマシの部類に入るかもしれないが
例えばシェリアのように恋愛沙汰に聡ければそれとなく聞き出せそうだが、
パスカル当人からそんな話題が提示される可能性は皆無といっていいだろう

提案として、シェリアがそんな話題を提供したら、それに乗っかる形でそれとなく聞いてみる、というのがある
だが、却下だ、できることならそれは回避したい
なぜならば、あのシェリアの前でそんな話題を自分が切り出す勇気がないからである
魔物の巣に武器なしで単独で突貫する様なものだ
仮にそんなことしようものなら、獲物を見つけた獣の如く(その例えもどうかと思うが)
目を輝かせてこちらに食いついてくるに決まってるのだ
それを退ける技量も経験も、自分には圧倒的に不足している
こういう時に年の項とでも言うべき教官の巧みな論破力が欲しいと思うが
なにかと悩みの種を作ってくれやがる、あの教官の力を願うなどとは癪なので気付かぬふりを決め込む

では、どうするか

依然として思案に暮れつつも、目の前に壁が迫った事に気付いて方向を変えながらも思考も歩みも止めない

――やはり、単刀直入に問うべきでしょうか

誰の力も借りず、かつ確実な方法だ、しかしそんなことができるはずもない、慌てて頭を振る
なぜなら、聞き出した後、どうするか、そこが問題なのだ
答えが体よく得られたと仮定しよう、だがその後どう誤魔化せばいいのかがわからない
あなたの好きな人って誰ですか、なんて問いただす時点で不自然この上ないのだ
まさか兄が知りたがっているから、なんて口が裂けても言えない
別にこっそり聞いておいてくれとは言われなかったから情報源を出されても兄としては一向に構わないだろうが
兄をダシにして物事を解決するという方法は取りたくない

兄の為にとそれを最前提とした考えをあれこれめぐらせつつヒューバートは尚も宿の廊下を歩く
いつの間にかその目は閉じられ、思考に完全に意識を持ってかれつつあるが
思考の海に浸かりすぎたがために浮上させる事は自身の力ではもう敵わなくなっていた
背後の呼びかけすら、耳に入らなくなるほどに

――仮に単刀直入に聞くとして、その後の言い逃れは

「おーい、弟くーん」

――「なんとなく気になりましたから」…これじゃ僕が知りたがってるみたいじゃないですか!

「そっち壁だよー?」

――断じて、断じてありません!、とにかくこれは却下です、苦肉の策ですが、やはりシェリアか教官の話にでも

「ストーップ!」
「乗っか…!?」

突如ヒューバートの首に何か布らしきものが巻かれ後ろに引っ張られる、
きゅっ、という表現がまさに適当とも言える絞まり方に当然の事ながら息がつまり、
思考の欠片が外部に漏れ出たがそんな事を気にするほどの余裕は無かった
こんな宿の中で敵襲かと思い、詰まった息をげほっと咽せつつ吐き出しながら
後ろを向こうとした瞬間、首の圧迫感がすぐさま消失した
それでも警戒心はそのままに後ろを向いた彼の目は先ほどまでの思考の中心人物を捉えた

「パ、パスカルさん!?」
「危ないよー弟くん、危うく壁に大激突だよ」

言われてまた首だけで振りむき先ほどまで自分が向いていた方向を見てみると確かに壁が目前に迫っていた
なるほど、確かに危なかった、が

「だからって止めるために首絞める人が居ますか!!」

冗談でなく目前まで危機が迫っているかと思った、正直心臓に悪すぎる
再び視界にパスカルを収めつつ至極当然の異議申し立てをすると
「えー」と不満そうに声でも表情でも訴えつつ、
パスカルはヒューバートの首を圧迫した布――わざわざ自分の首から外したマフラーを握りながら反発する

「だって何度も呼んだのに止まらないんだもん」
「だったら普通に肩掴んだりすればいいでしょう!」

どうしてこの人はいつもこうなのだ、
見かけによらず幅広く深い知識をたくさん持ち合わせているというのに肝心の常識が欠落している
知識を身につけたのは姉の模倣があったようだが、常識についても姉を模倣して欲しかったと心底願う
まあ、しかし

「はあ…とりあえず止めてくれた事には感謝しておきますよ」

手段は非常に好ましくないが、どうあれ彼女なりに助けてくれたという事だ
まがりなりにも自分は助けられた立場であり、礼を述べるべき立場にはあるはずだ、多分
先ほどの騒動でちょっとだけズレた眼鏡のブリッジを指で持ち上げながら淡々と謝辞を述べると
「はいは〜い」と途端にいつもの楽しげな笑みを浮かべつつ外したマフラーをまた自分の首に巻き始めた

しかしやはり、わざわざマフラーで制止した理由がわからない
何かそうすることでメリットでもあったのだろうかと考えたが、すぐにやめた
どうせ考えなど有るわけがない、彼女はそういう人物であるとこれまでの旅で、すでに悟っている
妙な事に思考を巡らしそうになった自分に自嘲の意を込めた溜息をついた時

「で、壁にぶつかりそうなのに気付かない程何を考えてたのかな〜?」
「――はい!?」

悩みの張本人から今日のヒューバートにとっての核爆弾が予告なしに投下されたのだった
まさかあなたの事について考えていましたなんて死んでも言えるはずがない
何か弁明をと考えるが、文章の出だし文句しか出てくる事は叶わず

「いや、それは、その」
「顎に手をあててさ〜、あれはどう見ても何か考えてる仕草だよ」

「こんな感じ〜」と先ほどのヒューバートの姿勢を真似るパスカル
その間にも言い訳の一つでも組み立ててねばと必死に頭を回転させるも
あっけなく混乱の極みに達してしまった頭では碌に考える事も出来ず

「ゆ、夕飯の献立を考えていたんですよ」

瞬時に脳内に浮かんだ言葉に考えなしに飛びつき、そのまま紡いだ
少し声が裏返ってしまったのは目をつぶってもらいたい、が

「あれ、今日の当番ってアスベルじゃなかったっけ?」

やはりというか華麗に、いっそ清々しい程の墓穴を掘った
そうだった、と自分のあまりの浅慮に嫌気が指し、近くの壁に両手をついて項垂れてしまった
あんまりといえばあんまりな落ち込みっぷりにパスカルもさすがに怪訝に思い

「お〜い、弟くーん、大丈夫〜?」

言葉の端に心配の色を滲ませてそう呼びかけるも彼は微動だにせず

「いえ、もう…色んな意味で駄目です」

それだけ呟いて、ついに頭まで壁にゴンッと音を立ててくっつけてしまった
もう放っておいたらそのまま今度は膝の力が抜け、ズルズルと滑り落ちてしまいそうな様相である
それを見たパスカルは「う〜ん」と少し考え込み、おもむろに自分の右手袋を外した

「弟くん、ちょっとこっち向いて」
「…なんでしょうか」

力の入らない体に懸命に訴えかけ、本当に首だけでこちらに向けるヒューバート
こちらを向いた事を確認したパスカルは手袋を外した右手を近づけ――

――ぺとっ

ヒューバートの額に、手をあてがった
咄嗟の事に、反応が出来ず、事態の把握にヒューバートが四苦八苦してる最中
そのままの体勢で、また何かを考え込む様な仕草をするパスカル

「うーん、少し熱いかな?」
「な、な…」
「七? 七がどうかしたの?」

そうパスカルが訪ねた刹那、ヒューバートは、ずざざっと音を立てて後退りして
彼女が触れた感触の残る自分の額に手を当てる

「七ではありません!、なにすんですか、いきなり!?」
「何って…熱測っただけだよ〜」

当然、と言わんばかりに、ややポカンとした表情のままパスカルは述べる
ヒューバート自身も何をもってさっきの行動に及んだのかは頭ではわかっている、わかっているのだが
突然の接触に心臓が跳ねた、相手が、彼女とあっては

「こ、子供扱いはやめてください」

ズレてもいない眼鏡のブリッジを持ち上げて、やや不貞腐れるように反発した
だが、わかっている
どれだけ自分が大人びた態度を取ろうとも、どれだけ彼女が子供の様な性格をしていようとも

これまでの人生の長さという壁は、決して崩せないのだと

どう足掻こうとも、それはどうにもならない事実で
先ほど自分の額に手を当てていた彼女の内心は「年下の子を心配する姉」なのだろう
事実、自分はどうしようもないほどに取り乱して、こうして、年下扱いされたことを不服に思って

――なにが、大人だ

思わず、そう自分に吐き捨ててしまいそうになる
ストラタ軍に身を置くようになってからというもの、周囲の輩に舐められぬようにと
自分の佇まい、口調、態度、そして確かな実力を身につけてきた、7年間
その結果として軍内では少佐という一目置かれる存在となれた

だというのに、今目の前に居るたった一人の女性に対し、醜く足掻こうとする自分が居る
傍目から見て、それはどんなに、滑稽なことか
半ば自暴自棄に陥っていると

「うん、よしバナナパイでも食べよっか」
「…はい?」

毎度の事ながら彼女は本当に突然だ、それこそ思いつきで行動していると言っても良い
脈絡もなく提案された間食予告に呆然としていると

「女は黙ってバナナパイ、だよ弟くん」

こちらに人差指を立てた手を向けつつ、真理を問うかのような面持ちに幾分か頭が冷静になる
どこの迷言だ、と記憶の引き出しを探っていると、該当する記憶が存在した
この言い回しは、まさか

「シェリアの迷言ではありませんか――それに、僕は男です」

いつだったか、自分が兄達と行動するようになる前の話を聞かされた覚えがある
聞かされた当初は、何だそれは、と心内で苦い突っ込みを飛ばしたものだが
今回のパスカルの口から発せられた言葉はどこか笑いを誘われて

刹那、ぷっ、と思わず吹き出してしまった

「お、ようやく笑ったね、弟くん」

最もそう笑みを浮かべられながら彼女に見やられたことで、さっと口元を手で覆ってしまった
依然として笑みを振りまき続ける彼女と自分との対比を感じ、彼女が少し羨ましいとそう思った
だから自分は――彼女に

「それじゃ行こっかー」

それだけ言うとガッシリと手を掴まれ、ズンズンと彼女は宿の食堂に向かって歩き出す
先ほどが額に触れられるだけでも動転していた心は、
不思議な事に落ち着いていて――落ち着きすぎて、咄嗟に言葉に詰まるほどだったが

「…ここのメニューにバナナパイなんてありましたっけ?」

力強く引く手に抗う事もせず、自然に身をゆだねつつ、そう彼女に問うと
「ないよー」とあっさりとした彼女らしい答えが返ってきた

「では、どうする気です、シェリアでも呼ぶんですか」
「うんにゃ、特別にあたしが作ってあげるよ〜」
「これは、珍しい事を言いますね、あまりあなたが料理をするなど想像ができないのですが?」

いつものように軽口を叩いてやると、彼女は引っ張るのはそのままに、
悪戯っぽい笑みを浮かべた表情を振り向きざまに覗かせ

「言ったね、弟くん、きっとあまりの美味しさに感激で涙を流しちゃうよ〜?」

向こうからも、軽口のようなものが返ってきて
それに対してこちらは不敵な笑みを浮かべてやって

「では、期待しておきましょうか」

尚もぐいぐいと引っ張られる自分の手
今はまだ彼女に一挙手一投足を左右されてしまっているが
いつかは、対等な立場に立ってやると心内で決心して

――もし、そうなったときは

兄から請け負った、あの件について、彼女に問おうと思う
誰の手を借りるでもなく、彼女に、直接

それがいつの事になるかはわからない、きっと先の話になるだろう、自分はまだ未熟なのだ
兄には、もうしばらく待ってもらうように言うしかないが
それでも、中途半端にしたくはないから



目的地につくまで、もう少し――

















あとがき

グレイセスfプレイ中にグルーヴィーチャット見て
ああ、そういえばと思いだしたネタでした

…そういや、この件についてヒューバートどうしたんでしょ?
未来への系譜編では触れられてなかったと思うんですが
多分、見逃してはいないと思うんですが、いかん不安だ(汗

もしあったとしても、創作ということでご容赦ください(おい

ちなみに最後の「目的地」というのは
宿の食堂の事と、ヒューバートの目標の二つの意味を持っています
後者については「もう少し」で済むのかはわかりませんが(笑

お読みいただきありがとうございました!
(2010/12/18)
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