「う…ん…?」

宿屋の一室にてヒューバートはベッドからゆったりと半身を起こした
昨日は疲れも手伝ってよく眠れたのだが、予想以上に昨日の、
いや昨日を含めた日ごろの疲れが溜まっていたらしく、
未だ自分の体が訴えている休息命令に素直に従うことにし
朝食を取った後、少し仮眠を取っていたのだ
まだ起きたばかりでやや頭が働かないが、
付きまとっていた倦怠感のようなものは綺麗さっぱり落ちていた事はわかった
非常に体が軽い、悪くない気分だ

とりあえず体を起こそうとするが、彼にはその前にやる事がある
ベッド近くのテーブルに置いたはずの物を取ろうとテーブルの上を手探りで探す

――…?

おかしい、ヒューバートはそう思った、確かにここに置いたはずなのだが…
ひとまず立とうと体をベッドから浮かそうとしたその時

「おはよー! 弟くん!」
「うわああぁぁ!?」

ドスンッバタンッ!!

突如背後から響いた寝起きの頭に響く能天気な女性の声に驚き、
彼は無様なほどにベッドから転げ落ちるという
はた迷惑な目覚ましによって意識を覚醒させたのだった




「ありゃりゃ、大丈夫ー?」
「〜…! 大丈夫じゃありません!! 人の部屋で何してんですか、あなたは!!?」

醜態を晒してしまった事への羞恥心か、あるいは招かれざる客への怒りか
ヒューバートは顔を真っ赤にしながら、素早く体を起こし
あまりにも堂々としている侵入者ことパスカルにくってかかった

「んー? 読書〜」
「自分の部屋でやってください! っていうか何であなたがそれをかけてるんですか!」
「あーこれ?」

パスカルはそう言って自身の顔の前に手を持っていき、細い金属の縁を摘む
それは先ほどヒューバートが手探りで探していた眼鏡だった

「んー…なんとなく?」
「曖昧な理由で人の物を勝手に使わないでください!」

即刻パスカルから眼鏡をひったくり、装着する
あー、とか彼女の口から聞こえたのは無視を決め込む
というか、この人は眼鏡をかける意味がないだろうに
いつものクリアな視界に戻り、眼鏡のブリッジを上げつつ
ヒューバートは疲れた溜息を一つ吐いた
先ほど疲れが取れたと思ったのに、早速溜まった気がした
時々…いやいつも思うのだがこの人は本当に自分より年上なんだろうかと本当に疑問に思う
彼女の口からいつだったか年齢を聞いた時は内心かなり驚いた記憶はまだ新しい

「全く、あなたという人は本っ当に自由人ですね」
「いやぁ〜そうかなぁ?」
「褒めてませんから!!!」

力いっぱい、口調に皮肉を込めて罵ってやったというのに
彼女はあろう事か手を頭の後ろにやって照れる始末
そんな彼女の様子に、あーもう!っとヒューバートは頭を抱える
まだ起きてから間もないというのに自分はこの短い間に
どれだけ怒鳴ったのだろうと思うとヒューバートは頭痛がしそうだった
とりあえず頭を冷やそう、とヒューバートは彼女に背を向け、ドアに向かって歩き出す

「およ、どこに行くの?」

そんなヒューバートの様子にパスカルは疑問を投げかける
少し足を止め、背を向けたまま溜息交じりにヒューバートは律儀にも答える

「洗面所です、誰かさんのおかげで頭が爆発寸前なので冷やしてきます」
「ふ〜ん、いってらっしゃ〜い」
「あなたは自分の部屋に戻ってください!!」

またね〜と言わんばかりの送り出しをされる
自分が侵入者であるという事象は寸ほどにも思っていないらしい
バタンッ!と扉を閉めヒューバートは洗面所へ直行する、正直、疲れた
洗面所で冷たい水で顔を洗う、熱くなった頭が冷やされる感じが心地よかった
もう一度両手で水を掬い、顔に浴びせようとしたその時

「相変わらず仲が良いな、お前たちは」

突如背後から聞こえた中年の男性の聞き覚えのある声に驚き、思わず息を吸ってしまった
当然の事ながら水が変な所に入り、むせかえるヒューバート
大丈夫か?っと聞かれるが、表面上だけだ、声の調子がわざとらしい
何回か咳きこみようやく落ち着いた所で
ヒューバートはむせかえった原因を恨みがましく睨みつける

「いきなりなんですか、教官…!!」
「言葉通りだが?」

顎に手をあて、楽しそうにこちらを見据えるマリクに
下がりかけたヒューバートのボルテージがまた上昇傾向に戻る

「どこがですか! 僕は毎回あの人に苦労させられてるんですよ」
「そうか? さっきお前の部屋から会話が聞こえたが、かなり楽しそうだったが」
「…あなたの耳はどうなってるんですか…!」
「至って健康だ」
「何を真顔で言ってるんですか…!」

右手で握り拳を作りつつ、怒りを表現するが
どうやらこの人にとっても自分の怒りはどこ吹く風といった様子だ、相変わらず飄々としている
無駄なものだとわかるとヒューバートは溜息をつき、怒りを納める、むなしいだけだからだ


「はは、悪かった悪かった、しかし、パスカルが楽しそうだったのは本当だぞ」
「…は?」

代わりに今度は思わず呆けてしまった、
呆気に取られるヒューバートを余所にマリクは話を続ける

「一応人を見るのが仕事だったからな、知らず知らずに仲間の存在を…
聞こえが悪いかもしれないが、観察してしまう、それで気付いたんだが」

なんだろう、この先を聞いてはいけない気がする
ヒューバートはそう思った、だが意思に反して足は動こうとしない
むしろそんな思考を余所に、意識は彼の話に向いてしまっている

「パスカルはな、暇を持て余してるとお前を探す事が結構多いぞ?」
「…!」

まあ、ソフィを探す事も多いがなと付け加えられたのは
驚愕しているヒューバートの耳には入らなかった
突如突きつけられた事象にヒューバートは顔が熱くなったのが自分でもわかった
恥ずかしさに耐えかね、無理やり固まっていた足を動かし、洗面所を後にする

「ただの気のせいでしょう、考えすぎです…失礼します」

ヒューバート自身は自然に立ち去ったつもりだが、彼をよく知る人から見れば
やや足が速まっていた事は容易に読み取れた、それは動揺してる事を顕著に語っていて

「…素直じゃないな」

微笑ましいものを見るように、マリクは一人口端を持ち上げ微笑した


――何を動揺しているのだ、僕は

ヒューバートは自分の部屋へ続く廊下を歩きながら自分自身にそう問いかけていた
単にパスカルが自分を遊び相手をしてる事が多いと、
しかもただ、そう見える、とだけ言われただけではないか
それだけなのに、何だというのだ、この恥ずかしさと

自分の中にある、どこか心が温かくなる、この気持ちは

いや、わからなくはない、自分の中で、本当におぼろげな答えが出ている

アンマルチア族の里の前にて一匹の魔物と遭遇した
たかが魔物、と高を括った自分が魔物に襲われそうになった時
散々自分に疑われてきたというのに己の危険を省みずにパスカルは自分を助けた

理解が、できなかった

だから、魔物を討伐し、事態に収拾がついた後
彼女を問い詰めた、何故助けたのだ、と
しかし彼女は間をおく事もなくさらっと

「だって、仲間がピンチだったんだよ?」

当たり前と言わんばかりに、はっきりとそう言い切った

仲間
その言葉が信じられなかった、出会ってからというもの
彼女を疑う発言を散々浴びせたというのに
同じように散々疑いの目を向けていたマリクにも自分の非をもっと咎めないのかと
そう問いかけたら、彼も間髪いれずに、すでに自身を責めてる者を責める気はない、と
しかも自分の失態に対するフォローまで入れられた
自分が軍人となるべく奔走し始めて7年は経つ、年月が経つにつれて見えてきた
情けなどない非常な社会のあり様、その時の事を思えばありえない事だった
ゆえに、困惑した
そんな混乱した頭でこのまま借りを作るのは、嫌だ、と
絞り出すようにそう口にすれば
「じゃあ、これからあたしと弟くんは友達ね!」

そう言って痛いぐらいに自分の右手をパスカルに握られぶんぶん振りまわされた
やがて解放された右手を全員がアンマルチアの里へ向かい始めたのを確認して
そっとヒューバートは吸い寄せられるように直視した
手荒に扱われた事に寄る自分の右手、右腕に今も走る痛み、そして
あの時のパスカルの無邪気な笑みが、忘れられなくなった

それからだ、自分の中で彼女の存在が大きくなったのは
そして、その理由も出かかってきてる
だが、それを認めてしまう素直さは、あの7年前に封じ込めた
過去に囚われないために、今までの自分と決別するために
自分の感情を押し殺すためにしてしまった蓋は、とても重く
開けられない、開けようとすることが、できない

気付いたら自分の部屋を少し行きすぎた所で足が止まっていた

――自らの思考に溺れて、周りが見えていないとは、軍人としてダメですね

ふぅ、と自嘲気味に溜息をつく、行きすぎた足を自室の扉へ向けドアノブに手をかけ、回す

「あ、おっかえり〜!」

忘れていた
そういえば先まで思考の中心となっていた人物は堂々と自室に居座っていたのだ
自分の葛藤なぞ露知らず、侵入者の身でありながら
絶賛歓迎モードの彼女を少し憎たらしくも思えた

「あ、ところでさ、弟くん」
「はぁ…なんですか?」

いつものように話の種を提供するパスカル
ヒューバートはパタリとドアを閉めた
思わず溜息をついてしまったが、別にこのまま付き添うのも悪くはない
そう思っている自分に内心驚いたが

――今だけは、素直に従いましょう

自分の感情にした蓋が、少しだけ開いている、今この時だけは


その後しばらく他愛もない会話が、宿の一室から尽きる事はなかった

彼自身、自分の心にした蓋が少しずつであるが開きかかっている事に、
彼は気付いていなかった












あとがき

初ヒュパス、いや本当に甘さもへったくれもない
しかし初めて書いたという事で存分に愛は詰めたつもり

時間軸上ではアスソフィ話「与え、与えられ」の後ですが
独立させた話にはしてるつもりなので
単体でも読めるようにしたつもりです
そう感じなかったらごめんなさい(平伏

お読みいただきありがとうございました!
(2010/4/14)
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