人というのは大抵見慣れない物には興味を持つ傾向がある
あれは何だろう、とそう思う疑問が生み出すもので
無意識に人が抱くそれは知的好奇心、平たく言えば関心の事である
興味、関心を持つ事は悪い事ではない、むしろ良い事であるといえるだろう
文明の進歩はそれを起点として伸びていくものであるのだから

ところで、物という条件の下で話したが、別に物でなくてもいい、人でも同じ事が言える
例えばその人が普段見慣れない人物だったり、あるいは

親しい人物でも、どこか様子がおかしかったり

故に欠かせない日課となっている花壇の手入れを終えて、
ラント家の屋敷へと帰宅したソフィが目の当たりにした
自身の寝室の扉に向かって肩を押さえているアスベルに対して
どうしたのだろうか、と強い疑問を抱いたのだった



細かな土が多量に付着した花壇の手入れに熱中してた事を雄弁に語る両手の洗浄の事を忘れ
屋敷に入ったその場に留まったままアスベルへと視線を注ぐ
アスベルはソフィの視線に気づく事無く、今度は押さえている肩を回し始めた
なんだかんだでソフィはアスベルと居る時間が長い
ラムダを消し去るための兵器として生まれてからの年月との時間比率で出すと、途方もなく小さくなってしまう時間だが
ラントの裏山で幼少期の彼と出会いを果たし、7年後にまた同じ場所で再会してからというもの
アスベルはソフィの中で最も近しい人物となっている事は変わりはない
故に様々なアスベルの姿をこれまで見てきた、その記憶中のどれにも該当しない今日のアスベル
何をしているのか凄く気になった、見慣れない仕草である事もそうだが、
階下から僅かに覗く事ができた横顔が、
少し辛そうな表情でもある事が関心の強度を更に増強させた
辛いのなら助けになりたいと思うのは必然の流れだが、何が辛いのかわからないと手の施しようもないのも当たり前
どうしたものか思案する内、アスベルはついに寝室への扉の取っ手に手をかけて部屋へとその身をくらましてしまった

アスベルの寝室の扉が閉まると同時にソフィの背後でパタン、という音が
屋敷のエントランスという広い空間に小さく、それでいて明瞭に図ったように木霊した
アスベルに気を取られ、閉め忘れていた屋敷の出入り口が再び内外への仕切りとなるべくその身を閉じたのだ
その音を聞きつけたように老執事が執務室から出てきた、執務室は屋敷に入ってすぐの所にある
故に屋敷に入ってからというもの、ずっとその場に留まっていたソフィにその老執事が気付かない筈もなかった

「おや、ソフィ様、どうかなさいましたか?」

どこか心ここにあらずといった様相のソフィに疑問を抱くのも、また必然であった
ソフィが屋敷に住まわせてもらってからというもの、この老執事はもちろん、メイド達も何かと気にかけてくれている
普段なら、そんな優しさを嬉しく思い、暖かな気持ちになるところだが、
アスベルの先ほどの様相が気になってからずっと胸中は空虚な心持を持続していた

「アスベル、どうかしたの?」
「どう、とは?」
「肩を押さえて、何か辛そうだった」

気付いたら無意識の内に先ほど見たアスベルの様相を後付にしてフレデリックに問う
ほんの少しだけ見えたアスベルの辛そうな表情が先ほどから脳裏にちらついている
その度にソフィの胸が少しずつ苦しくなるような錯覚を覚えさせる
笑っていて欲しい、と願っている人がそんな表情をしているのは辛いのだ
紙に水が染みわたっていくように、ソフィの表情にもその心持が徐々に滲み出てくる
それを見たフレデリックは本当にこの少女にとっては主――アスベルが大切である事を強く感じ取った
どうもアスベルが深刻な状況に置かれていると思っているようだが、実際はそんなに大事ではない
なんでそう言い切れるのかと言うと、心当たり、というか原因と理由を知っているからである
故に思わず頬が緩み、微笑ましく思ってしまうのを誰が咎められよう
意識せずとも安心させるように自然に笑みを浮かべる

「大丈夫です、アスベル様は肩が凝ってしまっただけなのですよ」
「肩が凝ったから?」
「はい」
「肩が凝る…って何?」

ひとまず大事には至らない、と彼の態度で察したのか心配の色はなりを潜め、
聞きなれない慣用句に今度は小首を傾げた
ソフィは人としての経験や知識が幾分か欠けている部分もある
元々兵器として生まれたソフィには少なくとも幼少期のアスベルとヒューバートに会うまで「人」としては生きていなかった
しかもバロニアでの事件の影響で成長したアスベル達に再び出会うまでの7年間の時間は空白であり
人として、「ソフィ」として生きた時間は、まだまだ少ないのだ
そんなソフィに気を悪くするでもなく、朗らかな表情のまま説明を重ねる

「長い間同じ姿勢でいたりすると筋肉が張ってしまい、硬くなってしまうのですよ、今日は休憩をほとんど挟まずに一心に仕事に取り組んでいらしたようなので、それが原因でしょうな」
「アスベル、休まなかったの?」
「はい、もう今日の分の執務を全て終わらせる程に」

話が続く内、フレデリックにもやや心配の色が現れる
話によれば今日こなさなければならない執務は常よりやや多かったとの事で
この時間までに終わらせるのは無理か否かのかなり険しい境目となるはずなのだ
休憩も兼ねてお茶を持っていった所、主から今日の分は終わらせた、と報告を受けて内心大いに仰天し、
その後ちょっと休んでくる、と足早に部屋を後にする主を呆然と見送ったのがついさっきの事
執務室の机に残された今日の執務――ほんの少し乱雑に積まれた書類を整えようとした時、
ふと視界に入った書類に走らせたのだろう主の字が幾分早まっているように思えた

それは、まるで何かに焦るように――

「やはり、そうだったのでしょうな…」

気付けば口が勝手に動いていた、同時に思い起こすは今日の早朝の出来事

「…何が?」

目の前の少女に問われ、勝手に言葉を紡いでしまった口を閉ざし、
取り繕うとした言葉は発せられることなく水が蒸発するように消滅した
何故かはわからない、でも、

「…実は今朝、アスベル様は――」

主の事を心から慕うこの少女に委ねてみたいと願ったのだろう

フレデリックから告げられた事にソフィはやや足早に手の洗浄をするため洗面所へと向かっていった
向かっていくソフィの背にフレデリックは、よろしくお願いします、と小さく呟いた


アスベルは寝室の自分が愛用しているベッドに座り込んでいた
視線は日の光が煌々と入ってくる窓へと向けられているが、その目は窓の外を見ていない
遠くなってしまった存在を追うような目だが、
その瞳には密かな意思が込められたもので、決して生気を失したものではなかった
そしてふと口を開き、発したのは

「――」

部屋に全く響かない声、いやもう口だけで呟いたというに等しい、とっても短い言葉
静寂で満たされた空間で、ただ遠くを見続けていた時

コンコンッとアスベルの寝室の扉をノックする音が響く
何の音もしなかった空間にそれは力強く響いた事でアスベルは我に返り、扉の向こうへと声をかけた

「誰だ?」
「私、アスベル、少し良い?」
「ソフィか、うん、いいよ」

許可が下りるとすぐに扉が開き、ソフィが入ってきた
寝室のベッドに腰かけていたアスベルを見つけるのに時間は取らなかった
すぐにソフィの目はアスベルへと固定された

「どうしたんだ?」

にこやかに応対する、すると即座にソフィから一言

「アスベル、肩凝ってるでしょ?」
「うっ」

咄嗟にギクリという仕草を隠せず、肩が跳ねてしまった
その仕草に、フレデリックの言う通りだったと思いながら
ソフィはつかつかと、アスベルが腰かけてるベッドに近づき
彼の背後を取れる場所へとベッドに乗り上げた
それと同時にアスベルの両肩に置かれるソフィの両手

「ソフィ、何をする気だ?」
「肩揉み、する」
「え、いいよ、悪いし」
「駄目、放っておくと良くないってフレデリックが言ってた」
「フレデリックが…うーん、でも…」

困惑気味に背後を振りかえると、拒むのは許さないと真剣な瞳が語っている
こう見えて、なかなかにこの少女は頑固者で言い出したら聞かない、アスベル自身人の事が言える身ではないが
だが人の事が言えないからこそ、悟るものもある

「…わかった、頼むよ」

要するに逆らうだけ無駄だという事だ
何よりも厚意である事に違いはない、故に無碍にしてやるのも彼には難しい事だった

「うん、じゃあいくね」

だが、忘れていた
この少女は意外に、頑固な面があること以外にも

――グリッ

見た目に反し、結構、力がある事を

「〜!!」

声にならない叫びをあげたアスベル
実際叫びそうになったが、ソフィに気を遣わせたくない一心から声を懸命に押し殺した、
騎士学校の訓練など軽く飛び越えてしまいそうなほどの努力を重ねて、それを成し遂げる事が出来た
だが、多少蹲ってしまったのは痛みを感じてしまった人の性というもので

「どうしたの?」
「あーえっと…もう少し加減してくれないか?」

さすがに体で示してしまった意思は隠し通す事は出来なかった
力が強すぎた、とソフィが察するには十分で、
アスベルは幾分慌てて大丈夫だから、と少し落ち込むソフィを宥めるのだった

それからまた力の調節加減うんぬんの話はあったものの、無事に理想的な力加減を見つけ、掴む事が出来た
心地よいリズムで両肩にかかる力にアスベルは顔を綻ばせた

「アスベル、気持ちいい?」
「ああ、心地いいよ」

よかった、とソフィも顔を綻ばせながら動作を継続する

「うっかり仕事に熱中しちゃったよ、気をつけないとな」

はは、と笑いながらアスベルは零した
だがその刹那、背後にいるソフィが
その言葉で途端に真面目な表情になったのにアスベルは気付くはずもなく

「違うよね、アスベル」

凛とした響きを持ってした言葉でようやくソフィの様子が変わった事に気付いた
突然の事に思わず背後を振り返ってソフィの表情も視界に入る

「え、何が…」
「フレデリックに聞いたの、アスベル、今朝」

動作を中断し、続いて紡ぐ、ここに訪れた本当の目的を果たすために

「肖像画に描かれたお父さんの事を、じっと見てたって」

アスベルは思わず息を飲んだ、まさか目撃されていたとは思わなかったからだ
今朝、いつもよりかなり早く目が覚めてしまい、ひとまず寝室を後にしたら
当然ながら朝早すぎて、寝室を出た先は誰もいない無音の空間だったのだから

早く起き過ぎた、と改めて自覚しつつ、もう寝る気も失せてしまったので
外の空気でも吸うか、と階段を下りようとした矢先に、それは視界に飛び込んできた
幼き頃の自分達兄弟の姿と共に描かれた両親との――家族の絵
先ほどまで自分の意思で動かしていた足が何かに導かれるように動き始め、気付いたら肖像画の前に立っていた
幼い自分、血を分けた幼い弟、母、そして父の顔を視線で捉えた瞬間、視線は縫いつけたようにそこで固定された

人の死というものはすごく不思議なものだ
もうこの世には生きていないというのに、近しい人物にはこうして絵に描かれた顔を見るだけでも
今を生きている人の脳裏にその姿を鮮明に思い出させる力がある
幼い時、何かと小言を言ってくる父を疎ましく思っていた
その当時、見たくもないとすら思う事もあるほどだった、その姿を
疎ましいと思ったフィルターなどまるで無い様に鮮明に思い起こさせる、まるで忘れまいとするように
以前、母によって自分達兄弟に父の日記を見せられた
そこには自分たちの行く末をどれだけ案じていたか、どれだけ想ってくれていたかが記されていた
しかし今になって知っても、遅かった、死に別れた人に伝えることなどできない
なんでちゃんと言ってくれなかったと父に対して悲しい怒りを抱くも
それはやがて自分への怒りへとすり替わった、何故わかり合おうとしなかったのかと

もし、幼い自分が当時の弟のように聞きわけがよかったなら
もし、あの時ちゃんと家を継いでいたなら
もし、騎士学校に通ってる時、一度でも家に帰ってたら

数え切れないほどの「もし」が頭を駆け巡った
だが、「もしも」の話は全て過去においての過ぎ去った選択肢
選びなおす事などできない、過去に遡るなど到底できやしない、それでも

――親父…!

原因が全て自分へと帰結する仮定が泡のようにいくつもいくつも生まれた
無駄だとわかってても止められなかった、止めることすら傲慢だと思った

狂おしいほどの自分への怒りはやがて、一つの気持ちに収まった


「『償いたい』って、そう思ったんだ」

アスベルの口から発せられた言葉がソフィへと届く
肖像画の父の姿を見てから、屋敷内で見る物全てに父の姿を探してしまった
これまでにも幾度か肖像画の父を目にする毎に自分の有り様を見つめ直したものだが
今回に限ってはそれがとても顕著に表れた

今日の執務をこなそうと、執務室に入って目に入った執務室の机と椅子が、
その中でも一際その色が強かった、見た瞬間心の中で何かが撥ねたのを感じた
執務室の椅子に腰かけていた父の姿は、幼い時にまた小言を零されたあの日が最後だ
体が少し震えそうになるのを押さえながらいつものように腰かけると
到底償いきれない、そう思いながらも心は焦燥感に駆られた
何かにとり憑かれたように、ただ一心に執務をこなした、時間なんてどうでもよくなった
償いたい、その気持ちだけが確かに心にあった、それ以外など無に等しかった

執務を終えてからは心は焦燥感に代わり虚無感に囚われた
慣れない事をした所為で痛む肩に顔を顰めつつ寝室に一人となってから、
少しは償えただろうかと思うもとてもそうは思えず

「――親父…」

呟いた言葉すらも無に等しくなりそうな響きとなって霧散し、消えた


「俺の考えた『償い』は、一日も早く、親父のような立派な領主になる事だ」

自分の膝に置いた手に自然と力が入る、僅かに掴んだ服に少しだけ皺が寄る

「もちろんすぐには無理だとわかっている、親父の領主としての立ち振る舞いは一瞬で身につけられない」

でも、それでも、焦らずにはいられなかった
まだとても遠く、手を伸ばしても到底届かない父の後ろ姿に追いつこうと躍起にならないでいられなかった


「――だったら、アスベルも焦る事ないと思うよ」

再び、グッとアスベルの両肩に力が入った
えっ、というように背中越しにソフィを振りかえる

「アスベルのお父さんだって、今のアスベルのような時があったんじゃないかな」
「親父に?」
「うん、すぐに身に付かないってアスベルは言った、アスベルのお父さんだってそうだったと思う」

確かに、先ほど自分で述べたように必要な能力は時間をおいて少しずつ確実に身につけるものだ
だけど、だからといってのんびりしてて良い理由にはならない
そう思って口を開こうとした時にはソフィがまた新たな切り口で話をし始めていた

「それに、焦ると良くない事もたくさんあるよ?」
「例えば?」
「…アスベル、体壊した」
「…的確に突いてくるな、ソフィ」

肩痛めた程度の話だが焦った事が原因なのは事実で、己の体に異常を来たしたのも同様である
己の体は大切にするべき、これはかつて旅を共にした者全員がわかりきっていた事だ
そしてそれに関連する上でもう一つやってはいけない事

「あと、私やフレデリックに心配かけた」
「それは…」

人の身とは、決してその人自身だけの身ではないのだ
今回のアスベルのように、無茶をすれば周りに心配をかけてしまう

「アスベルの気持ちはわかる、だけど無茶は…」
「…ああ、わかってる、馬鹿だな俺は」

反論内容はもうその形を保っていなかった
今はただ自分の短慮に嘆くばかりだった

「あと、これはフレデリックが言っていた事なんだけど」
「フレデリックが?」

うん、と頷いてソフィは先ほどの話を復唱する

さっきソフィが述べたようにアスベルの父だって
領主たる風格や振る舞いを一朝一夕で身に付けたわけではない
長い時間をかけて、少しずつ確実に身に付けていったものである事
だから本当に父のような領主になりたいのであれば
同じように、焦らず一つ一つ身につけていって欲しい
焦り急いでしまうと大切なものを見落としがちになり、父が歩んだ道をどこかで歩み損ねるかもしれない
父と同じ軌跡を歩むというのなら、その軌跡を見落とさないように、と

「そうだな…俺も急いだ結果、周りが見えてなかった」

ソフィを介して伝えられた老執事の言葉
長く仕えてくれてくれていて、かつ長い人生を歩んできた年長者故の言葉の重み

領主とは民あってこそだ、単独でただ奔走すればいいという立場ではない
人の上に立つ立場というのは周りの声を真摯に受け止める事が何よりも必要であるのだから


「アスベル、今日も新しい花が咲いたよ」

だいぶ肩が楽になり、ソフィに感謝を述べ解放してもらった時
ソフィが唐突に庭の花壇に新たな花が増えた事が告げられた

「え、そうなのか、見にいってもいいかな?」
「うん、いいよ、でも」

ほんの少し、悪戯っぽい笑みを浮かべながらソフィはこう付け加えた

「どれが新しい花なのかは教えてあげない、探してみて」

周りが見えていなかったアスベルに、じっくり見渡してもらおうと
本当にちょっとした罰の意を込めて、
少し挑戦的なソフィからの思ってもみなかった反撃に面白そうに笑みを返して

「そうきたか、よし、すぐに見つけてやるからな」



ベッドから双方立ちあがり、庭へと歩みを進め始める


ささやかな探し物を、するために













あとがき

領主になった直後とか、いざその立場の実際の重みを知ったことで
色々考えるところも多かったんじゃないかなと思った所から生じたものです
多分焦ったりするところもあったんじゃないかと

サブイベントの父の日記は感動的でした
日記の内容が…もう(泣
サブイベントの中でも一番好きです、
言葉にしないと伝わらない事って、ありますよね

お読みいただきありがとうございました!
(2010/8/26)
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -