(微シリアスです、ご注意)














「む…あ〜体が硬くなっちゃったな」

執務室の椅子の上でアスベルはペンを置き、一人硬くなった体を解す
目の前の机の上には二つの白が堂々と連なってその身を誇らしげにそびえ立たせている

「半分は終わったか」

依然として体を解す動作は継続しながら
二つの白の塔の高さが大体同じ高さである事を確認して息を吐き
ようやく半分か、と達成感を覚えつつげんなりする
さっきから机の上にそびえる二つの白は数々の小難しい文が書かれた紙の塔
俗に言う書類というものだ

世界の脅威を防いだ後アスベルは
父に対してのけじめとして、領主の長男として
亡き父の跡を、意思を継いで
ラント領主としてその身を持って奮闘していた
まだ自分が未熟である事は重々承知しているが
ラントを、故郷を守りたい気持ちは偽りなく真実で
「兄さんになら託せます」、と血を分けた弟の信頼を裏切りたくもなく
今こうして公務に勤しんでいる状況を嘆く事はない、ないのだが
それからというもの情けなど塵一つ分の譲歩すら許さぬぐらい容赦なく
立て続けに雪崩のように迫りくるデスクワークを前にすると
確固たる信念を持ってしても弱音の一つぐらい吐きたくなる

――親父は、こんなに大変な事を平然としてたんだな

椅子の背もたれに寄りかかり天井を仰ぎながら
アスベルは亡き父の事を思い返す
実際にその椅子に座る立場になった今だからわかる
まだ自分がわんぱくだった頃の父の重責
同時にラント領主としての周囲の重圧を受け、
今自分がやっているような書類の処理をこなしながらも
常時隠然としていた父がどれだけ凄かったか

――今の俺じゃ全然敵わないな

肩を竦め、自嘲気味の溜息をつく
遠い過去の父の姿がやけに大きく見える
だが敵わない、と思いながらもその姿に白旗を上げる事は決してしない、するつもりはない
今は無理だがいつかはその背に追いついてやると
自分はそんな器でないかもしれないと思いながらも密かに勇決しているのだから
そんな決意を思い返して自身を奮い立たせ、傍らに置いたペンを再び手にする
未処理の書類の束の最上部一枚を空いている手で掴み取り
内容に一通り目を通して、サインをする
終わった書類を処理済みの紙の束の最上部に乗せて
再び未処理の書類に手を伸ばす、そんな流れをまた繰り返し始めて間もない時
執務室のドアをノックする音が聞こえてきた、入室の許可を出すと
失礼いたします、と一礼をしてフレデリックがお茶を手に歩み寄ってきた

「お茶をお持ちいたしました」
「ああ、ありがとうフレデリック」

机の空いているスペースに受け皿を下にした紅茶の入ったカップがコトリと置かれた
淹れたてなのだろう、仄かな甘い香りと琥珀色の液体から立つ湯気がそれを主張している
礼を述べ、香りに誘われるようにペンを置いた手でその取っ手を掴み一口飲む
すると意外に喉が渇いていた事に気付き、そのままほとんど飲み干してしまった
それを汲み取ったのか、持ちあわせていたおかわり用の紅茶をまたカップに注ぐフレデリック
二度目の礼を述べ、アスベルはまた書類と向き合おうとするが、
ふと気になる事が思いだし彼に尋ねてみる事にした

「ソフィはどうしてるんだ?」

アスベルが紡いだ名は花の名を持つ少女、ソフィの名
ソフィは今屋敷に一緒に住んでいるのだ
アスベルが己の身にラムダを宿す事で
未来の安全こそ保障されてはいないがひとまず収束したラムダとの因縁
ラムダを葬る事が使命となっていたソフィの行き場所がないと思い
アスベルはソフィに屋敷に住むといい、と勧めたのだ
幼少期に一生面倒みる、と誓った矜持もあったが
やはり本当の所、側にいて欲しかったのかもしれない
自分でも気付かぬうちにソフィの存在が大きくなっていたのだと思う
ラムダとの戦いの後ソフィも生きて帰ってこれた事になによりも嬉しさを覚えていたからだ
だが、その反面ちょっと臆面に感じるところもある
もちろん良かれと思ってした行動に間違いはないのだが
ソフィをラントに縛り付けてしまったのではないか、最近になってふとそう考えるようになった
だから気になった、ソフィが何をしているのか、ちゃんと笑えているのか
成長してからどこかマイナス思考に陥りがちになったアスベル
どこか気鬱な雰囲気を醸し出す主を怪訝に思いながらもフレデリックは答えた

「庭で花の世話をしておられます、とても美しい庭にしてくださっていますよ」

庭の花壇に咲き乱れている花々はソフィが毎日一生懸命手入れをして咲かせた努力の結晶である
新しい花の種を植え、見た事のない花を咲かせてはいつも嬉しそうに顔を綻ばせているのだ
アスベルも見るたびに違う庭の花々を見るのは密かな楽しみになっている

「そうか、ありがとう」

しかし求めていたような答えではなかった
でもそれを表に出さず笑顔を作り、ずっと仕えてくれている老執事に礼を述べた
そもそも彼に聞くべきものではなかったのだ、お門違いも良い所だ
不自然じゃなかったかな、と懸念を抱いたが
失礼致します、といつもの朗らかな表情で退室した所を見る限り気付かれてはいないのだろう
再び自分以外に誰もいなくなってから、ふう、と溜息をまた一つ吐く、安堵と自嘲の意を込めて

「…やるか」

ペンを手に取り、書類の白い部分にまた黒を躍らせていく
さっきと変らぬ物にしか触れてないはずなのに、どこか重く感じた
しっかりしろ、と自分に叱責しながら作業を続ける手は止めなかった
それから数刻して作業は無事に滞りなく終了した
終えた事による達成感が少し心を軽くしてくれる
ぐっと伸びをすると体の節々が少し鳴った事にやや苦笑して、椅子から立ちあがり窓から庭を見てみると
庭に一際目立つ紫、ソフィの色が視界に映る
こちらに背を向けてるので表情はわからないが花の世話に勤しんでいる様子は見て取れた
ただひたすら花壇を一生懸命いじっているソフィをどこか微笑ましく見守る
しばらく見守り続けていたのだがふいに今までいじっていた一帯にある花の世話を終えたのか
ソフィが立ちあがり、またすぐ近くの別の一帯の花が咲き乱れる場所の前に座り込み同じような動作をし始めた
その行動を機にアスベルはそっと執務室を後にした、向かう先は庭

玄関のドアを開け放つ
ラントの済んだ空気が胸を満たす
ずっと室内に居た影響か一瞬だけ入ってきた太陽の光を眩しく感じた、すぐに目は慣れたが

「アスベル?」

ドアを開けた音を聞き取ったのだろう、
ソフィが花の世話をする手を一時的に止めてアスベルの方へ視線を向けている
それに笑みを浮かべて手を軽く上げて応対する

――ちゃんと、笑えてたかな

自分の内にある悩み
それを無理矢理深い所へ押し込めて作った笑みは見破られていないだろうか
そんな不安を覚えつつアスベルはソフィの元へ歩み寄る

「お仕事、終わったの?」
「…ん? ああ、終わったよ」

ばれていない事を願っていたのに、いつも通りのソフィの様子に
何故か肩透かしをくらった感覚を覚えてしまい咄嗟に言葉に詰まってしまった
なんとか自然に返答こそしたものの、こんなでは隠し事にならないではないか
それとも、気付いて欲しかったのだろうか、自分は

「今日もお花、綺麗に咲いてるよ」
「そうか、良かったな」

嬉しそうに花壇を見渡すソフィに倣いながらアスベルはどこか心が落ち着かないのを覚えた
さっきの実は気付いて欲しかったのかもしれない、という仮定が
正しいのだとしたら、もしこれが答えだというのなら

なんて、馬鹿馬鹿しいのだろう
声に出して問う事を恐れているのに、彼女に問いただされる事を願うなんて
矛盾も甚だしい、そして自分はどうしたいのだろうか、それすらもわからない

――なんで心って単純ではないのか

今まで生きてきて、一番の疑問
自分の気持ちは自分が一番わかるはずなのに自分の心が見えない
深層心理にある答えには幾重にも複雑な糸が絡まりその身を隠す
なのに解こうとすればするほど更に絡まる、なんとももどかしい

「アスベル、何か変」
「え?」

自分の中の答えを出したいと一人自身の心と格闘していた所に
ふいにソフィから変だと指摘され、突然の事に思わずソフィを凝視してしまう
無垢さを体現したような紫の瞳がアスベルの瞳を真っ直ぐに捉えている
いつもなら綺麗に思うその瞳が今だけは居心地の悪さをアスベルに覚えさせた
とても深いその色に自分の心が見透かされているような錯覚を与えるようで

「来た時から、どこか様子が変だよ?」
「…!」

最初から、気付かれていたのか
今更ながら背中に嫌な汗を掻き始めてきた、己が求めていたのかもしれないというのに
この動揺を隠し通せる自身がない
いや、そもそも見破られている時点で隠すも何もないのだ
隠す事が、もう出来ない、誤魔化しは、利かない

「…ソフィ」

震えそうになる声を今できる精一杯の精神で抑えつけて口火を切る
ただ黙ってこちらを見て、急かす事もなくただ待つという行動を選んでいるソフィ
それはこちらがちゃんと話してくれると信頼しての事だ
それに応えないなどできない、できるはずがない


「お前は、ラントに居て、幸せか?」
「うん」

ようやくの思いで告げた恐れていた質問、だがそれに対しての返答は
寸ほどの間もない即答、そしてその答えは肯定
嬉しい返答だったはずなのに何故だろうか
言いようもない焦燥感に駆られる

「本当にそうなのか? 世界はとても広い、なのにここに居ていいのか?」
「アスベル?」
「お前は、もう使命から解放されたというのに」

知らず知らずに口が勝手に爆発してしまった感情を曝け出してしまう
やめろ、とまだ微かに残る理性は止めようとするが、
弱々しい制止はまるでその役目を果たそうとしない
そして、ついに自分の恐れを何にも包まずに声に出してしまった

「俺はソフィに足枷をしてしまったんじゃないか?」

ラムダとの決戦前夜、死というものを理解していなかったソフィに
まだ生きてやりたい事がたくさんあるはずだと、そう説いた
世界は広くて、この旅でたくさんの光景を見てきたけど
まだまだ見てないものはたくさんある
まだ経験していない楽しい事がきっとある、と

だから、今にして思ったのだ
帰る場所がないソフィに、居場所を与えた自分の行動が
ソフィの枷になってしまったのではないかと
ようやく残酷な運命から解放されて得た自由を、奪ってしまったのではないかと

全てを吐き出した事でアスベルの心情が非常に空虚なものになる
どこか寒々しいような心持、目の前の少女から目を逸らしたくなる
だがそれだけはまだ残っている精神力が避けさせていた、逸らすな、背けるな、と
だがそんなアスベルの努力は非常に短いもので終焉を迎えた
ソフィが即座に、だがやんわりと首を横に振って否定の意を示したからだ

「そんなことない」

不思議だとアスベルは思った
足が見えない糸で縫いとめられたかのように動かなくなり
先ほどまでの居心地の悪さを微塵も感じなくなり
ただ、聞き入ってしまう、この少女のたった一言が、声が

「私は自分の意思でここにいたいと思ってる、アスベルと一緒にいられるし、ここでお花のお世話をするのがとても楽しい」

笑顔でそう告げるソフィに嘘は感じられなかった
淀みなく紡がれるその言葉も相まって真実味を更に帯びさせる

「それに、アスベル勘違いしてる」
「勘違い?」

思わず鸚鵡返しをしてしまう、なにか間違った事を言っただろうか
少し冷静になった、と思う頭を捻り自らが発した言葉を思い返そうとするが
アスベルが答えを探す間もなくソフィは答えを提示した

「私の使命はまだ終わってない、ラムダは今、アスベルの中にいる」

アスベルの中にラムダが宿っている証のアスベルの紫の瞳
それはラムダ存在の証

「確かに今までのラムダと違う、だけど私には見届ける義務があると思うの」

ラムダが無害な存在になったかもしれないとはいえ、それはあくまで可能性
ラムダがまだ存在している以上この先どうなるかなんて誰にもわからない
自分はラムダを消すために生まれ、ずっとラムダを追っていた
それが植えつけられた使命感によるものだったとしても
自分にはラムダの行く末を見守るべき立場にいるのではないか
そう、ソフィは述べた

「皆、自分に出来る事を一生懸命やっている、なのに私だけ何もしないなんて出来ない」

ソフィは目を閉じて何かを思い返すような仕草をする
おそらく今ここにいない仲間達の事だろう、アスベルもそっと思い返してみる
あの旅の後、仲間達は自分の道を歩み始めた
ヒューバートはストラタの軍人として軍務に勤しみ
シェリアは癒しの力を役立てるために奔走し
パスカルは新たな発明をするため日夜奮闘し
教官はフェンデルの代表として飛び回っている
自分にできる事を模索し、自ら道を切り開いているのだ、自分の道を

「私も出来る事をしたい、自分の義務を、果たしたいの」

いつのまにかソフィの開いた瞳に強い不揺の意思を感じられた
真っ直ぐにこちらを見るソフィという一人の「人」としての目に

「だからラムダの、アスベルの側に居たい、これは私の意思だから」

思わず息をのんだ、と同時に張っていた緊張の糸がするりと緩んだように感じた
自然と力を入れていた肩の力が抜けていくのを感じる

「――そうか」

格好を崩し、笑みを浮かべるアスベルにソフィも釣られるようにまた笑みを浮かべる
改めて近くの花壇を見ると昨日まで見なかった花が咲いているのを視界に捉え
アスベルはそっと身をかがめて、その花に触れてみる

「これ、今日咲いたのか?」
「うん、朝には咲いていた」

指で花弁を撫でるように優しく触れる
こんなに近くにあったのに、さっきまで見えていなかったものが今にしてようやく見えた
やっぱり、まだ未熟だな、とアスベルは思った
でもそれはさっきまでの自嘲の意ではなく今後への向上心
そんな最中、空いていた手が握られる感触

「どうした、ソフィ?」

視線を向けるとアスベルの手を握ってソフィが何かを感じるかのように目を閉じていた
これはあの時ラムダを自身に宿してから現実に引き戻された時のソフィの行動だ
しばし時をそのまま過ごした後

「…うん、今日も異常ないよ」
「はは、そっか」

にこやかに告げられるアスベルの内に眠るラムダへのソフィチェック
アスベルはラムダはもう世界に悪影響を及ぼしたりしないと思っている
なんの根拠も拠り所もない信頼だが、そう信じている
コーネルのラムダへの願いと思いが、しっかり伝わったと、そう思っているから

「…あ」

手を離したソフィが唐突に間の抜けたような声を発する
なんだろう、とソフィに握られた手を見ると細かな茶色、花壇の土が付着していた

――そういえば花の世話してる途中だったっけか

今更ながら思い出す当たり前の事実
二人して忘れていた事に思わずアスベルとソフィは顔を見合わせ、
寸刻置いてお互いに吹き出し笑いだしてしまった
庭の包む暖かな空気にその笑い声が溶けていく
さっきまでの陰鬱な空気はもうそこにはなかった

「よし、たまには手伝うかな」
「本当?」
「ああ、もちろん」



これからも、共に生きて、歩いていきたい

こうして笑いあえる事が


どうしようもなく嬉しくて楽しいのだから














あとがき

ちょっとシリアスものに挑戦した結果です
話の構成にかなり悩みましたが、
一度は書いてみたかったものです

アスベルが後ろ向きになっちゃいました(汗

アスベルは他人の事を省みすぎる優しい性格の余り
ふとした事で一人負の意識に片足突っ込んじゃって
抜け出せなくなっちゃうんじゃないか、
んでもって隠し事が下手なんじゃないかなーっと思うんです
優しい性格ってとてもいいと思うのですが
その反面不安定だと思います
自分が悩んでも他人に迷惑なのではと考え
自ら打ち明ける事ができない気がします
それが大事な人の事なら尚更


この二人には今後も一緒であって欲しいなあ、と思います
二人で共にある事が自然であって欲しいと切に願う

初めて書いたシリアス文ということで
おかしい所がふんだんに目立つと思われますが
目を瞑って頂けるとありがたいです(おい


お読みいただきありがとうございました!
(2010/5/25)
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