○美味しい生活 | ナノ

憧れていた。ずっとずっと。絵本の中の、眺めているだけで芳しい香りのしそうな料理の数々に。美しく飾られた城の外観に。それらは当たり前にそこに存在していて、いつかわたしもそんな風になれるのだと、与えられるのだと信じて疑わなかった。いつか、大人になったら、なんて。

「馬鹿みたいだよね。大人になればなるほど、そういうものから遠ざかっていくばかりだっていうのに。」

積み上げている。何かを期待するみたいに。ある種恨みに似た感情を持って。積み上げた、シュー・ア・ラ・クレーム。

「………ねぇ。名前ちゃんそれ、たのしい?」

とん、とその塔をその長い指先で突きながらそう問いかける形のいい唇を目で追いかけた。吊戯は目を細めながらわたしと積み上げられたシュークリームとを交互に眺めるばかりだ。

「…別に。楽しくはないけど。でもね、こんな風にひとつひとつは空っぽのシュークリームでも、積み上げればそれなりの重さになるの。まるで、」

まるで、人間の頭みたいに。そう告げようとしてわたしは口を噤んだ。そんなわたしの言葉尻を継ぐように吊戯は小さく笑ってみせる。

「…名前ちゃんの頭みたいに空っぽなシュークリームでも?」
「……こらこら。あんまりはっきり言ったら可哀想でしょ、わたしが。」

その言葉に毒気を抜かれて、たちまち小さく笑みをこぼす。
大したものも詰まっていないのに、ひとつひとつにしっかりと重みがあって、積み上げれば互いの重さでひしめき合う、それはあまりに人間の頭に似ている気がした。そんなことをぼんやりと考えた。

「……昔、名前ちゃんと読んだ絵本の中にも出てきたよね、たくさんのシュークリーム。」
「…そうだっけ。よく覚えてるね。」

軽口をたたいていた筈の吊戯が不意に軽薄そうな笑みを隠して、遠い目をするものだから。反応がほんの少しだけ遅れる。

「………そうだよ。名前ちゃんのお気に入りの本。たくさんの美味しそうなご飯と、綺麗なお城。お姫様は王子様と結ばれて、幸せに暮らしました。そのラストシーンに出てくるんだ。お皿一面に敷き詰められたシュークリーム。」

吊戯の声に紐解かれるように、思い出が頭をもたげ始める。ああ、そうだったかもしれないな、なんて。あの頃は思わなかったのだ。まさかそんなシュークリームを人間の頭に見立てて憎む日が来るだなんて。物悲しくなる。いつしかこんなところまで来てしまったのだ。大好きだった御伽話ももう、思い出せないところまで。

「……だからオレ、シュークリームって幸せの象徴なんだって、ずっと思ってた。」

ぽろりと落ちるように呟いた吊戯の方をはっと見やる。それから堪らなく泣きたくなった。吊戯の語る「幸せ」という単語があまりにちぐはぐで。
触れようと思って指を伸ばした。けれどそれは憚られて思わず指を引っ込めれば、吊戯は力なく笑ってみせる。その瞬間、肌が粟立つような感覚に囚われたわたしはたまらなくなって思わずその頭を強く抱きしめていた。

「……あはは、どうしたの名前ちゃん。いつもならセクハラ!って言って、頼んでも触らせてくれないのに、」

からからと力なく笑いながら、茶化した言葉に反して吊戯もまたわたしに強く縋り付くのがわかった。
ああ、なんだ、簡単なことだった。どうしてわたしがわざわざこんな風に回りくどく、シュークリームを積み上げてみせていたのか。吊戯の頭をさらにきつく抱きしめながら、その髪にさらりと指を通す。顔を見られたくなかった。震えた声の理由を、悟られたくなかった。わたしの腕の中で大人しくしている君にはきっと、お見通しなんだろうけど。
何か言葉を紡ごうとして、けれど見つからなくて。思わず唇から嗚咽に似た空気が漏れる。それに呼応するように吊戯の腕の力が強まった。そこでようやくわたしは、呼吸が楽になるのがわかる。

「…わたし、気づいちゃったの。どんなに背伸びをしようと、大人になろうと、どんなに着飾ってみようと。わたしにはお城の美しい装飾も、美味しくて綺麗なご飯も、似合わない。」

言葉にすれば、それはたちまちに現実味を帯びていった。だっていくら目を閉じようと、くたびれたジーンズもTシャツも、美しいドレスにはならない。電球の切れかけた狭い部屋も、お城の一室になんてなるわけがない。それでもわたしがまだ、期待してしまうのは、その理由は、

「……でもね。吊戯とだから。君とだから、このつまらないアパートの一室はお城のようだったし、こんな栄養にもならないような大量のシュークリームだって、ご馳走だった。
それはね。紛れもなく吊戯と一緒だから、なんだよ。」

視界の端で、音もなくシュークリームの塔が崩れていくのが見えた。けれどもう構わなかった。それに呼応するように、わたしと吊戯の体はずるずると崩れていく。冷たい床にぺたりと座り込んで、2人瞳の奥を見つめ合う。見つめ合ってそうして、力なく笑った。もしかしてわたしたち、同じものを見ているつもりで、わかっているつもりで、その実違う方向を見つめているばかりなのかもしれないけれど。

「……シュークリーム、たくさんあるよ。たぶんね、胸焼けがするくらい。」
「…あは。名前ちゃんってたまにめちゃくちゃなことするよね。」

そうだ、御伽話には程遠い。崩れたシュークリームの塔は、絵本のラストシーンにも似合わない。
でもね、君がいてくれさえすれば、どんなにつまらないものだって、わたしにとっては黄金にだってなりうるの。
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