○美味しい生活 | ナノ

「吐…きなさい!そんなの!」

強い言葉と共に背中を叩かれる気配がした。途端にむせ返る。そうしてカラカラと、何か硬いものが床を転がる音。わたしの口から飛び出した色とりどりの宝石は崩れ落ちたわたしの隣で各々の光を反射していた。横目でそれを眺めながら再度、噎せこむ。そうして息も絶え絶えに振り返り、怖い顔でわたしを見ている美しい女を睨みつけた。

「……どうしてこんなものを飲み込んだの、」
「…………怒ってるの?」
「怒ってるわ、」

いつもならばあの仏頂面で、怒ってないわ。と涼しい顔をしてみせる彼女も、今回ばかりは大層ご立腹のように見えた。その言葉に、ぐっときつく唇を噛む。

許されたかった、毎日、誰も彼もに許されていたかったのだ、と気がついた。けれど、そんなの叶うわけもないのだ。わたしが必死で手繰り寄せた糸は、一本を掴めばまた別の糸がこぼれおちていってしまう。そうしてそれに耐えられなくなったわたしは、言い訳をすることに決めた。わたしに価値がないから、なのだと。それならばせめて、価値のあるもので体をいっぱいにすれば、ゆるされるのではないか、

「……ゆるされたい、の、世界中に」
「…………」
「……あなたにはわからないよ、きっと、」

わたしよりも美しく、強く、気高いものを体に宿している彼女にはきっとわからないだろう。わたしよりもずっとずっと長生きをする彼女の隣で、わたしは日に日に老いてゆくのだ。そうしていつか、わたしはこの人の隣で生き絶える。無様な姿を、最後にはきっと晒してしまう。いやだ、しにたくない、ともがくわたしの頬を、この人はどんな顔で撫でてくれるのだろう。

そんな、半ば絶望的な気持ちでその美しい目を見つめる。夜をかき混ぜたようなその目を見ているといつも、目が回りそうになる。それが怖くてようやく、彼女を睨んでいた視線を外した。その瞬間、手首をぐっと掴まれる感触がする。「立って、」彼女の言葉に反応できずにいれば「立つのよ、」と諭すような言い聞かせるような声色で言われてしまうので従う以外にない。




どのくらい時間が経ったのだろう。見慣れた自宅の食卓に座らされたと思えば、彼女は「少しまっていて、」と言ったきりキッチンへと姿を消した。その後ろ姿を見送れば、何故だか不意に孤独が深まるような気がした。見慣れた部屋の壁が、いつもより白い。秒針の音も不思議と大きく聞こえる。
ぼんやりと空中を見つめていたわたしは、耐えきれず食卓の椅子を引く。ぎぎぎ、と軋んだ音がした。さながら亡霊のように、重たい脚を引き摺りながらキッチンを目指す。そういえば、最後にちゃんとした食事を取ったのはいつだっただろう。
そっとキッチンを覗き込めば、こちらへと背を向けた彼女が何やら大きな鍋の中身を煮詰めているのが見える。その背中が、何故だか子供の頃に見た母親の記憶に重なって、鼻の奥がツンとした。

「…泣いているの?」

前を向いたまま、そう投げ掛けられた言葉に体の動きが止まる。わたしがいることなど、気がついていないと思っていたのだ。黙りこくっていれば、ゆっくりと振り返った彼女が優しく手招きをするので、わたしはまた亡霊のようによたよたとそちらへと歩みを進める。

「……昔、きっとあなたが生まれるよりもずっと前、私の昔の主人がよく作っていたわ。」

香りたつビーフストロガノフに、言葉を失う。香ばしいその香りが鼻に届くやいなや、わたしのお腹はぐうと間抜けな音を立てた。子供っぽい自分にほとほとあきれ返りながら、ゆっくりと後ずさろうとすれば、「味見をする?」と、湯気のあがる小皿を向けられてしまうので思わず受け取ってしまった。
彼女らしくざっくばらんに切られた肉片をスプーンで持ち上げる。口に運べば、口の中に広がる暖かさに思わず涙が溜まる。ゆっくりと咀嚼すれば、噛むほどに知らないスパイスの香りが口の中いっぱいに広がった。途端に、許されたような気持ちになる。すとんとわたしの体に落ちてゆく暖かい塊に、生きていてもいいのだと言われたような気持ちになる。空っぽの体に、意味のあるものが流れ込む。

「……何人も、いろいろな人間を見てきたの。彼等は確かに私よりもずっと早く死んでしまったけれど、でもこうして脈々とその血肉は私の中に受け継がれて、こうして今の貴方を救ったりするのだから、不思議なものね。」

淡々と、わたしの泣き顔を分析するかのように彼女がそう言ってのけるので、わたしは笑うべきなのか泣くべきなのかわからなくなってしまう。そんなわたしを知ってか知らずか、彼女は細い指でわたしの頬を撫でる。見知らぬ生物に触れるような、彼女自身、どうやって触ればいいのかをわかりかねているような所作だった。

「……何かを食べたり飲んだりしなければ、簡単に死んでしまうし、こんな簡単なもので泣き出したり、救われたりするなんて、人間って本当に不思議でお馬鹿さんね。」
「………あなたは、人間のことが嫌い?」

わたしの返答に、彼女が目を丸くする。そうして数秒の後に、優しく細められた目が慈しむようにわたしを見た。

「……そうね。わたしにはあなたの行動は大抵いつもよくわからないわ。でも不思議と、とても可愛くて、愛おしいと思うの。守ってあげなくちゃ、可愛がってあげなくちゃ、とも。目を離すと宝石を飲み込んじゃうような、放っておけない子は特に、ね。」

鍋の中で、とろりと渦を巻くビーフストロガノフは、幸福な香りを携えている。それはまるで、宝石を溶かして混ぜ込んだかのような。魔法のようで、けれど案外単純な仕組みを携えているのだ。彼女がわたしを図りかねているのと同じように、わたしもまだ、この美しい女を掌握することができずにいる。どんな人生を送って、それを終えて、そうして二度目の人生で何を見てきたのか。彼女が使う魔法のような優しさの理由を、全て理解するにはわたしの人生はきっと短すぎるけれど。

「………ねえ、好きな食べ物の話、しようよ。」
「………………そうね。私たち、そういうものをすっ飛ばしてきたわね。」

本当はずっと、あなたとそういう話をしたかっただけのような、そんな気がする。そういえばわたしたち、お互いの好きな食べ物も知らない。ねえ、それなら少しずつ紐解いてゆこうよ。そうしたらきっとわたし、もう宝石なんて飲み込まなくても、世界の正しさを理解できるような、そんな気がしているから。
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