○美味しい生活 | ナノ

「……ひっ、」

 思わず上擦った声が出た。それもそうだ、社員寮の自室前に男が倒れていれば変な声も出る。むしろ絶叫しなかった私を褒めて欲しい。さっき買い出しで寮を出た時にはこんなところに男は倒れていなかったはずだし、どうやら私がコンビニに行っている十数分の間にこの男は私の部屋の前で行き倒れたらしい。

「……なにしてるの、吊戯……」

 取り敢えずつついてみると、うつ伏せになって倒れていた吊戯がとつぜんがばっと状態を起こした。私はそれにまた細い悲鳴を上げ、床に尻餅をつく。

「……あれ、名前ちゃん?」
「…………びっくりする、からさぁ、」
「うわ〜、ごめんね! 流石に三徹はクるよね〜、うっかり寝ちゃってた」
「……ピンポイントに私の部屋の前で?」

 じとりと睨んでみせると吊戯は少しも悪びれる様子なくへらりと笑う。

「……名前ちゃん、いつも晩御飯このくらいの時間だよね?」
「物乞いは帰って」
「え〜〜そんなこと言わないでよオレ今月ロクなもの食べてないんだよ!? 最後に食べたものなんてミカンの皮だし、それも昨日だし」
「相変わらずどんな食生活してるのあんたは……」

 思わず重たいため息が出た。大した睡眠も取らず食生活も最悪なのにその滑らかな肌とさらさらの髪はどういうことなのだと詰め寄りたくもなるが、目の前の栄養素を一ミリも気にかけていない男の食生活が心配になるのも確かで。

「……まぁ、入れば」
「わ〜い、名前ちゃん優しい〜〜」
「言っとくけど大したものないからね」
「やったーコタツある!!」
「聞いて」

 部屋の扉を開けるなりほとんど放り投げるように脱がれた靴をきちんと整え、コンビニのビニール袋をぶら下げながら私も部屋に入った。吊戯は一目散に炬燵に飛び込み、頭だけを出してこちらを見ている。向こうから聞こえてくるぐるるる、という音は恐らくあの男の腹の虫の鳴き声だろう。

「……言っても、明日食べようと思ってた今日の残り物のサラダとおかずしかないけど」
「え、こんなに貰っていいの!?」
「まぁ、残り物だしべつに全部食べていいけど……あ、朝食用にさっき食パンも買ったからこれも食べていいよ」
「うわ〜神様仏様名前様〜〜!」

 お得意の土下座を披露する吊戯に半ば呆れながらキッチンから持ってきたサラダとおかずを並べ、箸を渡せば吊戯はいただきま〜す、と嬉しそうに食べ始めた。何でも美味しそうに食べるなぁと頬杖をつきながら見つめていれば、目が合うなり子供のような笑みを浮かべられ、それがあまりにも邪気がない笑顔だったので思わず目を細める。……まあ、食べ方も子供のように汚いけれど。私は肉を箸で突き刺して食べようとする吊戯を窘めながら、ふとキッチンのあるものの存在を思い出した。

 いそいそとキッチンに入れば、お玉ごと蓋をしてそのままになっている片手鍋がちょんとコンロに乗っていた。食後の締めにコーンポタージュを飲んでいたのだ。スーパーで売っているような紙パックの、やたらと甘いコーンポタージュ。なんとなく飲みたくなって買ったのだが、やはり一人では少し多い。

 蓋を開け、お玉を持ち上げてみれば表面に張っていた薄い膜がお玉に吸い寄せられるように貼り付く。膜も張っているしもう冷めてしまっただろうか、と鍋肌に触れてみればステンレスからじんわりとゆるい熱が伝わった。……やっぱり、温め直した方が良さそうだ。別に何でもあの男は喜ぶだろうけれど、どうせなら温かいものを食べて欲しい。あんな食生活だったら代謝だって悪いに決まってるし、あのいつもやたらと冷えている体も温めてほしいし。ちち、と音を立てながら火をつけ、すこし冷えて重くなったポタージュを膜ごとかき混ぜる。しばらくぐるぐると混ぜていれば、徐々に温まったポタージュからふわりと甘い匂いが立ち上ってきた。かちりと火を止め、スープ用の器にとろりとしたコーンポタージュを注ぐ。

「なんかいーにおいする!」
「食い付きはや」
「ふっ、やだなぁ名前ちゃん、C3の猟犬なんだから嗅覚も犬並に決まってるでしょ〜?」

 そう得意げな顔で言う吊戯はどちらかというと、猟犬というよりご飯を前にした小型犬のようだった。背後にパタパタと左右に揺れる尻尾が見える気がするな、とくすくす笑いながら皿にあけたコーンポタージュを持って行ってやれば、吊戯の瞳はより一層輝きを増す。

「わ〜コーンスープだ!」
「まだ熱いから気を付けてね」
「はいはーい、いただきま〜す! あっつ!!」
「話聞いてた?」

 舌を出して熱がる吊戯に水を渡し、ついでに自分の分のポタージュもよそって、食卓──もとい、炬燵に置く。

「あれ、名前ちゃんも飲むの?」
「……吊戯が飲んでるの見たら飲みたくなった」

 ──本当はただなんとなく、一緒に食卓を囲みたかっただけなのだが。……そんなことを口にした暁には散々弄り倒されるだけなので黙っておく。機嫌良くコーンポタージュを飲む吊戯に少し口角を緩めながら、私も木製のスプーンを口に近付けた。

「……ねぇ、コレ粒なくない?」
「コーンポタージュはコーンスープと違って裏ごしされてるから、粒はないよ」
「ええ〜、そうなんだ……」
「なに、スープの方が良かった?」

 やたらと気落ちした様子の吊戯に首を傾げれば、なんでもあのコーンの粒々がお腹を満たす、らしい。……やっぱり残り物では足りなかったか。

「……あ、まだお腹すいてるならパンも食べて。せっかくコーンポタージュもあることだし」
「わ〜い、食べる食べる〜!」
「あ、もしかしてポタージュにつけて食べる? なら焼くけど」
「えっ」
「えっ?」

 コンビニのビニール袋から六枚切りの食パンを取り出しながら言えば、吊戯はなにかありえないものを見るような目で私を見た。

「え、何……?」
「……名前ちゃん、まさかコンポタにつけるパンを焼くつもり……?」
「え、そうだけど」
「名前ちゃん…………焼きパン派の者だったんだね……」
「は?」

 焼きパン? なにそれ、と首を傾げれば、吊戯はやれやれと首を振った。

「コンポタには生パンしかありえないよ……」
「…………、あぁ〜、なんか一時期あったねそんな争い」
「オレは生のつけパン派だからそのままいただくよ」
「べつに好きなように食べればいいんじゃない……私はトーストしてひたパンにするのが好きだけど」
「ちょっとちょっと〜、名前ちゃん興味無いふりしといてめちゃくちゃこだわりあるじゃん!」

 言いながら、吊戯はその細い指で食パンを割いて、たっぷりのコーンポタージュの海にくぐらせる。そしてそれをやたらと美味しそうに頬張るものだから、夕食を済ませたばかりだというのに私も食べようかと思ってしまったくらいだ。──ものを食べている時の吊戯は、本当に子供のように笑う。それに温かいような、少し切ないような気持ちになりながら、また私も一口、ポタージュを口に含んだ。




「ご馳走様〜!」

 最後の一滴まで残さず飲み干した吊戯は満足したようにお腹を押さえていた。それに小さく笑みを零しながら、二人分の食器と、パンの残りを片付けに行く。ふと冷蔵庫を開けてみれば珍しくジュースがあったので、ついでに持っていこうかとグラス片手にキッチンを出た。

「吊戯、ジュースあるけど飲……、って、寝てるし」

 吊戯は炬燵の天板に頬をつけながらすぅすぅと寝息を立てている。私が片付けを始めてから数分も経ってないのに、と苦笑しかけたが、そういえばこの男は倒れるほど寝ていなかったことを思い出した。私は一つため息をついてから、音を立てないようにグラスをしまい、クローゼットから毛布を引っ張り出す。そうして、そうっと、慎重に吊戯の肩に掛けた。吊戯は依然として寝息を立てたままで、そのあどけない寝顔に思わず頬が緩む。

 ──どうか、吊戯がやさしくて温かい夢を見ていますように。そんなことを考えながら、そっと吊戯の頭を一度撫でた。
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