「とりっくおあとりーとー!」
間の抜けた声と共に、重い塊がのしかかってきたのを感じ、名前は眉を顰めた。その声に覚えがあったこと、ひらりと視界に映る男の着ている服が明らかに仕事の際に着用する服ではなかったためである。
「…何をしてるんですか吊戯さん、」
「ははは、見てわからない?ハロウィンだよ!」
楽しそうに、本当に楽しそうに笑顔を浮かべながらくるくるとマントをたなびかせ、がおーっと牙を見せる上司は、どうみても自分よりも年上には見えない。
吸血鬼の仮装だとしたら、相当趣味が悪いなと思いながら、念のために問いかける。
「……一応聞かせてください、それは何の真似ですか?」
「見てわからないの?狼男だよ!ほら、俺キャラ守る男だからさあ、」
名字に「狼」だなんて、大層な獣を飼っておきながら、この男は人畜無害そうな顔でそう告げた。言いながらフードを被ると、彼の頭の上に二つの耳が登場する。似合っているところがこれまた憎らしいのだ。
「だからほら名字ちゃん、トリックオアトリート!」
「…吊戯さんの場合、トリックオアマネーでしょ…」
げんなりとした表情を崩さずにそう告げると、はっはーわかってるじゃない、と何故だか彼は得意げにそう告げる。
「そこまでわかってくれてるなら、諭吉さんの1枚や2枚用意してくれててもいいのに、」
「嫌ですよ。はい、これ、」
ポケットの中を漁り、彼のためにあらかじめ用意しておいたチョコレートを投げつける。
「…なにこれ、」
「お札チョコです。吊戯さんにぴったりでしょう?小さい頃よく食べませんでした?吊戯さんくらいお金が好きなら、」
そこまで言って、はたと口を噤んだ。はたして、彼の幼い頃の思い出の中に、こういうチョコレートを食べるだなんて安らかな記憶があったのだろうか。こんな、ずっとじめじめした地下に住み続けるこの男に。
「…俺、チョコは好きなんだ、ありがとうね名字ちゃん、」
こちらが口を噤んだことに気がついたらしい吊戯は、一瞬だけたじろぎ、しかしすぐに体勢を建て直した。へらりと笑う顔はいつも通りで、その動作はたまらなく名前を苛つかせる。
ずい、と距離を詰めると、どうしたの、という声が降ってきた。見上げれば、ほんの少し困った顔をした吊戯と目が合い、名前はたまらなく泣き出したい気持ちになる。
「吊戯さん、トリックオアトリート、」
「え?見ての通り俺はもらう専門だから君にあげられるものなんて「それならいいです、悪戯するので、」
詰めた距離をさらにゼロにしようとすると、吊戯は一瞬だけこちらを払いのけようとする動作を見せた。だが、その手はあまりに弱々しく、名前の唇は簡単に彼の胸元に辿り着いてしまった。
マントの下に隠すように着込んだ、白いつるりとした仕事服の感触すら腹ただしかった。
「…名字ちゃん、それは何の真似?」
「…見てわからないですか。魔女です。知ってますか吊戯さん。魔女は若い男の心臓を食べるんですよ、」
服の上からではわからない。口づけるだけではわからない。
どれほど冷たい音が鳴るのだろう。どれほどの早さで動いているんだろう。
仕方がないじゃないか、この男の心臓に触れたい、そう思ってしまったのだから。
「…ええ〜、名字ちゃんみたいに可愛い子に食べられるなら、心臓1個くらいあげてもいいかなあ、」
誤摩化して欲しくない。わたしにだけは本物を見せて欲しい。そうしてくれたら、そうしてくれたなら、わたしは一生をあなたのために生きたって構わないのに。
そんな自分本位な欲を、熱を持て余している。それがほんの少しでもこの男に伝わればいいのに。
そう思いながら、柄にもなく熱のこもった指先で、吊戯の腕を引く。彼はほんの少しだけ驚いた顔をした。
2017 HAPPY HALLOWEEN!! presented by Matsuno
だから、そう、とりあえずは今夜、あなたと一緒に食事をして、美味しいお酒を飲んで、下らない話がしたい。
それでわたしの胸でぐっすりと眠ればいいよ。
[mokuji]
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