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あたしの細胞あげる(笹塚)




「…あの、」
「何?」
「…………いえ、なんでもありません、」

正面の机に座り込み、じ…とこちらを見つめ続ける上司相手に、何も思わない部下がいるだろうか。
血走った目で残業をこなしている名前を、笹塚衛士は何をするでもなく見つめ続けていた。
何をしているのだろう、と思ったのも束の間、彼が入院中絶対安静を極めたという話を思い出す。ただじっと休憩しているだけで、特に深い意味はないのかもしれない。そう結論づけた名前は、彼を置物と思い込み、自分の仕事に集中しようとした。だが、そんな決意を揺るがすように、笹塚はあ、と声をあげる。

「…名字ってずっと、何かに似てると思ってたけどあれだ、笛吹だ、」

突然の上司の言葉に、名前はぽかんと口をあけた。

「…笛吹さんってあの?笹塚さんと同期の?」
「ん、そうだよ。知ってるんだな名字でも、」
「あ、当たり前じゃないですか……っていうか似てないですよ…あんなすごい人と…」

思わず仕事を捌く手が止まる。意味のわからない上司の言葉を図り損ねていると、手止まってるけど大丈夫?などと言ってのける。誰のせいですか!という台詞は心の中だけに留め、名前は仕事の手を再開する。

「…似てるよ。見た目と好みがあってないとことか、」
「…は?」
「名字ってクールキャラで通してる癖に、1人の時はいちごオレとか飲んでるじゃん、」

言いながら、デスクの上のピンクのパックをとん、と指で弾く笹塚。

「…いいじゃないですか別にそんなの、大きなお世話です…」

けなされた、と感じた名前はふてくされたように眉を寄せた。そんな彼女の視線をものともせず、彼は続ける。

「あと、言動と思考が合ってないとこも似てる、」
「え?」

本格的に意味がわからなくなってきた彼の発言に、再度ぽかんと口があいてしまう。あいも変わらずそんなことにお構いなし、とでも言いたげな笹塚は、じっとこちらを見据えている。思わず何も言い返せなくなる。

「なんで目の前で暇そうな上司が見てるのに相談しないの?そんなんじゃ徹夜するハメになるだろ、新人の癖に。本当は手伝って欲しいだろ?」
「…だって、自分の仕事ですから………」

いくら暇そうとは言えど、相談などできるわけがないじゃないか。よくわからない、という意味を込めて彼を見返すと、笹塚は無表情のまま頭を掻いた。

「…そういう自立心旺盛な態度が評価されるのは学生までなんだよ…警察っていう組織の一員である以上、お前はもっと周りを頼ることを覚えなきゃなんねえんだ、わかるか?」

普段寡黙な上司の、饒舌な様子に困惑した。だがそれと同時に、彼もまた困惑していることがわかった。無表情だから、なかなか真意は読めないけれど。

「…あの、」
「何?」
「……この資料の見方、よくわからないんですけど教えていただいてもいいですか?」
「見して、」

さっと資料を奪われる。
その間際、よくできましたとでも言いたげにぽんぽんと頭を叩かれる。





「…そういえばそろそろ終電なくなるけど、大丈夫なの?」

笹塚の言葉にはっと顔を上げる。時計を見れば、今しがた終電が出た時刻である。
思わず情けない顔で笹塚を見ると、彼は相変わらず真意の読めない無表情のまま首をぽきりと鳴らす。

「…名字が送って欲しいなら、送っていくけど、」
「エッ!」

くるりと車のキーを回す仕草に、思わず声を上げた。

「…大丈夫ですよ、タクシーでかえれますから、」
「………さっき俺、ちゃんと周りを頼れって教えたよな?」

無表情なりに、彼がげんなりとしているのが見てとれた。その様子に、あっ!と眉を下げると、彼はまた無表情のまま告げる。

「…名字が送って欲しいなら送っていくけど?」

彼はおそらく、敢えてこちらに判断を仰いでいる。この上司は、自分に誰かを頼るということを教えようとしてくれている。
夜も更けていた。そんな彼に告げる言葉は、決まっていた。

「…あの、お腹もすいたので、送っていただくついでにラーメン食べませんか?」
「…」

黙り込んでしまった彼に、さすがに図々しかっただろうかと思い至り、慌てて、奢りますので…と小声で付け足すと、彼はやっと笑った。今日初めて見た笑顔である。

「…奢ってください、って言えたら上出来だったな、」

言いながら、また彼の掌が降ってくる。その仕草が思いがけず優しくて、名前は泣き出したい衝動に駆られた。
わからなかったのだ、こんな風に手解きしてもらわなければ。知らなかったのだ、誰かの頼り方を。

「ほら、行くよ、」

その言葉に大きく頷いた。誰かに身を委ねる夜も、悪くない、上出来だ。

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