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シュガートリック(臨也)




「甘いものが食べたい…」


名字名前が死にそうな顔をして家に転がり込んできたのが2時間前、勝手に上がり込んでそのままソファーで寝息を立て始めたのが1時間半前、起き上がってテレビを見始めたのが10分前のこと。そして、冒頭の台詞を呟いたのがたった今のことである。
呟いたきり、黙り込んでしまった彼女を不審がり、臨也は彼女の顔を覗き込んだ。瞬間、がばりと彼女が顔をあげる。

「臨也さん、何か甘いものを食べにいきましょう、」
「やだ、」

即答すると、途端に彼女は眉を寄せる。
その様子にうっと臨也は言葉に詰まるが、そんな素振りを微塵も感じさせないように努めながら彼女へ畳み掛ける。

「今何時だかわかってる?夜の10時だよ?もうすぐどこのカフェも閉まると思うけど、」
「駅構内のドトールはたしか終電くらいまであいてましたよね?そこなら大丈夫です!」
「…」

こっちは新宿の情報屋である。そのくらいの情報、知っててあたりまえだ。

「確かにあいてるよ?だけど俺は行かないからね、」
「……」
「…大体どうして俺を巻き込むの?カフェくらいひとりでいってきなよ、」
「…えっと、あの、臨也さんと一緒じゃないと駄目なんです…」
「…」

今にも死んでしまいそうな顔をして、彼女は弱々しくつぶやく。さながら小動物である。
その様子に、臨也はひとつ溜息をついた。仕方ない、といつもの黒いファー付きコートを羽織ると、名前は些か驚いた様子で臨也を見据えている。

「…こんな時間からあんなに混んだドトール行くなんて馬鹿じゃないの、ついてきなよ、」
「え?」
「俺のことなんだと思ってるの?新宿の情報屋だよ?」

今更自分に良心が残っているなんて、ほとほも呆れ返る話ではあるが、彼女を相手にするとどうも調子が狂う。こんなにも弱り切った彼女なら、尚更。
情報力の無駄遣い…と名前が呟いたのが聞こえた。


新宿駅から少し離れたこの自営業のカフェが、この時間も営業しており、人がまばらなことを臨也は知っていた。
はい、とクリームのたっぷりのった抹茶ラテを彼女の眼前に置くと、彼女の目に些か生気が戻ったように見える。

「臨也さん、これ…」
「抹茶ラテ、名前抹茶好きでしょ?」
「はい…そうじゃなくて、お金、」
「…そんなの後でいいから早く飲みなよ、」

このまま押し問答になってしまっては無駄だと思ったのか、はたまた甘味の誘惑に耐えきれなくなったのか、臨也の言葉に、名前はこくりと頷く。そして、一口啜った。

「美味しい…」

ぼんやりとした彼女の頬に血色が戻る。続いて、彼女はスプーンで生クリームを一匙掬った。

「美味しい…美味しいです、臨也さん。ラテは味が濃くて、生クリームは甘過ぎなくて、とても美味しいです…」
「…相変わらずボキャブラリーが貧相だねえ。まあ、気持ちは伝わってくるけど、」

つられて臨也はアイスコーヒーを啜る。何か物足りないと思い、黙々とラテを啜る彼女のマグからそっと生クリームを掬い上げ、コーヒーに落とすと白い塊はゆっくりと沈んでいった。

「………実は、久しぶりに味のあるものを飲んだんです、」

その様をゆっくりと瞬きをしながら見ていた名前が静かに呟いた。

「最近、周囲の物事や、自分のことが信じられなくなって。死んだように日々を送っていたら、段々ご飯が美味しくなくなってきちゃって。この数日間、殆ど水だけで過ごしてきたんです、」
「へえ、図太い名前にも精神的に参るってことがあるんだね、なんだか興味深いよ、」

臨也の言葉に、彼女は自嘲的に笑った。ほんとですよね、と呟いた弱々しい表情にどきりとする。

「でも今日、臨也さんの家に行って、臨也さんのソファーでぐったりと眠ったらなんだか急にお腹がすいてきちゃって、」
「それでカフェって…お腹がすいてたならもっとちゃんとしたところに連れてってあげたのに、」
「いいんです。空腹と幸福が相まって…なんだかとっても、甘いものが美味しく感じられると思ったから、」

生きてきた中で、一番美味しかったですよ。と名前はにっこりと笑う。
こういう瞬間だ、と臨也は思った。
この女の恐ろしいところは、自分が今まで積み上げてきた何もかもを、全て犠牲にしてもいいかもしれないと思わせる、こういう瞬間だと臨也は時折思う。

「…ふうん、やっぱり名前って馬鹿だね、」

毒を吐きながらアイスコーヒーを掻き回した。死んだような生クリームが、まだべっとりと底に残っていた。

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