境界線の先





学校に着いた時には既にコートの方から声が聞こえていた。どうやら間に合わなかったらしい。

こっそり部室に回り扉を開けば予想外の姿があった。

「はい、そうですね。此方としてもその方が助かります、ええ」

それはファイルを捲りながら何処かへ電話を掛けている柳先輩の姿で。

まさかここで会うとは思ってもみなかったので固まっていると、柳先輩は俺に気付いたらしい。電話先に「それでお願いします、では」と告げた後、そのまま電話を切った。
俺に向き直った柳先輩はやや呆れ顔だ。

「またお前は寝坊したのか?」

仕方ない奴だと言われるがここで俺は有ることに気が付く。
柳先輩の声は優しいのだ。
それは彼が元々そういう性格なのもあるがそれを除いたとしても。言うならあの日、向こうに行った最初の教室で「一緒に帰ろう」と言われたあの時のような…。

『案外上手く行くかもしれないぞ?』

あの柳先輩の言葉はあながち嘘では無いのかもしれない。

少しでも自分に自信を持たせる為に良いように良いようにと考える。
頑張れ俺、きっと大丈夫、大丈夫だから。

「柳先輩」

遅刻したことを謝るのも忘れて、必死に勇気を振り絞る。
先程小言を言った柳先輩も、大してその事を気にしていないのか嫌な顔もせずに俺の言葉に耳を傾けてくれた。

「俺、アンタの事が好きなんですよ。恋愛対象として」

…言ってしまった。

一度口にすれば簡単なもんで、自分が思ってたよりもすらすらと思いを伝える事が出来た。
それでも相手の反応が怖い事に変わりは無い。
じっと顔を見ている事なんて出来なくて、視線を足元へと固定した。

心臓の音がうるさい。
俺は身体全体で柳先輩の言葉を待っているのだ。それが拒絶だったとしても、だ。

流れる沈黙。
その時間があまりにも長く感じられて、俺は「あれ?」と思った。
そりゃ、返事が待ち遠しくて今の俺は10秒も待てないような心境だけど、それを差し引いてもこの静寂は長い。

もしかして聞こえていなかったのだろうかとちらりと柳先輩の方を見て、俺は自分の目を疑うことになった。

そこには口元を押さえて顔を逸らしている柳先輩の姿があったのだから。
髪の隙間から覗いている耳はりんごのように真っ赤だった。

きょとんとしてしまった俺は「柳先輩…?」と名前を呼ぶのが精一杯だったが、これではいけないと声を絞りだす。

「あの、返事…もらってもいいっスか…?」

ここで引いてしまっては頑張りが水の泡だ。
じっと柳先輩の返事を待っていると、彼が小さく頷くのがわかった。

嬉しさが爆発してしまい、その勢いのまま飛び付けば困ったように、それでも嬉しそうに柳先輩が笑ってくれて。

そのまま部活に遅れているという事実も忘れて、俺達は暫くその状態のまま過ごした。柳先輩と触れている場所がとても温かい。
これが幸せって奴なのかなと満たされた心で考える。


はじめからこう言えば良かった。
伝えれば良かった。
悩む必要など無かったのだ。

違う世界の彼らからは随分遅れてしまったけれど、その分の時間はこれからで満たせばいい。


勇気を出して踏み込んだ先。
その世界はこんなにも色付いているのだから―。

END