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旅行へ行こうか


その音に最初に気が付いたのは弦一郎だった。

「誰か来たようだが…」

「んー?」

弦一郎の言葉に振り返るように精市が窓にへと視線を送る。

「ふふ、誰か来たようだね。蓮二行っとく?」

何かを察したような精市がからかうように笑う。精市の意図を読み取るのは容易だった。くすりと笑って返す俺に、この状況についてきていない弦一郎だけが首を傾げている。
ここで弦一郎に説明するよりも、まずは玄関先で俺を待っているだろう少年をここに連れて来た方が早いだろう。そろそろ赤也が家に来る時間だ。
楽しそうにしている精市と、わけが分からないといった様子の弦一郎に行って来るとメモを見せて部屋を出た。
背中から聞こえて来る声に耳を傾けながらも階段を降りた。恐らく弦一郎が「なんだと言うのだ」と精市に訊ねている事だろう。

階段を降りきって玄関の扉を開けば不安そうな表情の赤也の姿がそこにあった。
…少し二人と話し過ぎたか。
何時もより降りて来るのに時間がかかった為に不安にさせてしまったらしい。
赤也の隣に静かに佇んでいる盲導犬が困ったように此方を見ている。ああ、お前はいい犬なのだな。
名前も知らない彼に心の中で謝って、赤也の頭に手を乗せた。
途端ぱあっと明るくなる表情に吹いてしまいそうになるのを堪える。この子は本当に素直だ。

「柳さん!柳さんこんにちはっス!」

もう習慣にまでなっていそうな程、赤也は毎日俺の家に来る。

「いらっしゃい」と口で伝えられない変わりにその腕を引いた。

「今日は何かあったんスか?降りて来るの遅かったから…」

やはり気になっていたのだろう、そう訊ねてくる赤也に精市と弦一郎が来ているのだと伝える術がなかったので取り敢えずは黙って部屋まで移動させてもらうことになる。
部屋の前まで来れば中から精市や弦一郎の声がするだろうと考えていたのだ。しかし扉の前まで来ても中からは何も聞こえない。
不思議に思いながらも部屋に入れば、部屋の隅にいる顔の前で指を立てている精市の姿が確認出来た。その横には渋々佇んでいる弦一郎の姿。成る程、理解した。

「柳さん?」

一向に足を進めない俺に疑問を抱いたのだろう。こてんと首をかしげている純粋な赤也には悪いが精市の悪戯に少し加担してやろう。

そう考えてとりあえず不自然にならないように何時ものように手を引いた。
1つ違う事と言えば何時もならクッションの置いてある所へ誘導するのだが今日は部屋の隅、つまり精市の近くにへと誘導した事か。
そうとは知らずに赤也はその場に腰を下ろす。
床と接した所でやっと違和感に気付いたようだ。

「え、ちょ、柳さ」

「わっ!!」

「ひょげやああああ?!!」

赤也は見えていないというのに俺の腰にへと抱き付いてきた。まさに本能、と言ったところか。
面白い程いい反応だぞ、赤也。

そんな赤也の反応を見て精市は爆笑、弦一郎は苦笑いを浮かべていた。

「『ひょげやあああ』って!ふふ、あはははは!」

「その声幸村先輩っスね?!いきなりは酷いっスよ!ちょっと!聞いてるんスか!」

「いや、だってお前…っはは」

「もう!」

顔を真っ赤にして怒る赤也の手は俺の服の裾を握っている。その手が少し震えているところを見ると、どうやらかなり怖かったらしい。これは悪ふざけが過ぎたかもしれんな。

「ふふ、ごめんごめん…いらっしゃい赤也」

「…うぃっす…てか何で幸村先輩がここに…柳さんが降りてくるの遅かった原因ってアンタっスよね」

「おや、随分勘がいいじゃないか」

「普通気付きますって!」

ぷんぷんと頬を膨らませた赤也は俺に引っ付いたまま抗議していた。
その光景はとても微笑ましかったのだが、ここで問題が1つ。

「…おい」

完全に俺達の輪から離れてしまっていた弦一郎が気まずそうに此方を向いていた。
そうだ、確か弦一郎と赤也は初対面なのだ。
弦一郎の声に再び赤也の肩が跳ねる。突然知らない者の声が聞こえたのだから当然と言うべきか。

「…あ、の…柳さ」

「む、やはり戸惑わせてしまったか…」

俺ではどうやっても説明出来ないと言うのに、この場で精市ではなく俺を頼って来るとは。しかし悪い気はしない。
俺は赤也と弦一郎の手を繋がせることにした。つまり握手だ。
赤也ならこれで俺と精市以外の"三人目"の存在を確認出来るだろう。
弦一郎にはノートに書いて伝えるしかあるまい、それで十分だ。これで無理なら精市に任せよう。

「…アンタ誰だよ」

「何?」

前言撤回。
どうしてそう威嚇態勢なのだ。もっと気を許すことはできんのか。





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