嘘ならいい

いつもと変わらない学校の帰り道。俺は家の方向が一緒である柳先輩と帰路についていた。
夏とはいえ、部活後の空はもうすっかり日も落ちて暗くなっている。そんな道の上を他愛の無い話をしながら歩いている時のことだった。

いつも通り一日の出来事や思ったこと、真田副部長への愚痴なんかを柳先輩に漏らしていたその時、俺の全く想像もしていなかった言葉が頭上から落とされたのだ。

「……お前には、もう付き合っていられないな」

溜息交じりの呆れた声色。それはもう俺にとったら爆弾所ではない威力な訳で。
それを言ったのが隣を歩いている先輩だと思いたくなくて俺は柳先輩に手を伸ばそうと―――。



「柳先ぱ…!!って、あれ…?」

視界に入ってきたのは、今まで隣を歩いていたはずの柳先輩でも歩いていた町並みでもなく見慣れた自室の天井だった。
動かない頭を精一杯使って状況を理解する。つまりさっきのは夢で、現実ではなくて…いわば嘘な訳で。

「よかった…!!」

そう頭が把握した瞬間、俺の心中は安心で満たされた。よかった、愛想をつかされたわけじゃない…全部夢なのだ。

…そう夢。

そこまで考えて俺は再び不安に駆られた。もし本当に柳先輩に愛想をつかされて捨てられてしまったらどうしよう。自分にはそうさせてしまう原因が山のようにあるのだから。

外がまだ暗いせいなのか、俺のいつものポジティブな神経はどこへやら。完全にネガティブ思考に入ってしまっていた。
時計を見ればまだ4時を少し回った所で。いつもならこんな時間に目覚めるなんて事はあり得ないのだが、夢見が悪かったのだからしょうがない。明日、いや今日か?とりあえず学校はあるので寝るに越したことは無いと再び布団に包まり寝る準備をした。
しかしいつまでたっても夢の中に入ることは出来ず、結局そのまま学校に向かうことになるのだった。


翌朝、いつもより3割り増しで寝不足であった俺は朝練に遅刻してしまった。
既にボールを打つ音が響いているコートに入れば額に青筋を浮かべた真田副部長がいて、練習に入る前に永遠お小言を言われることになってしまったのだが、ぶっちゃけた話頭はまだ完全に覚醒はしていなくて副部長の説教など全くと言っていいほど頭に入ってこなかった。しかし、そんな俺の脳みそが次の瞬間にはフル活動する事になる。

「弦一郎、朝からそんなに大声を出すものではないぞ」

「む、蓮二か。しかしだな…」

いつもなら飛びつく程嬉しいはずなのに今日だけは違った。一番会いたくない人だ。
どうしようと戸惑っていると、そんな俺の様子に気がついたのか柳先輩が近づいてくる。

「…おはよう赤也」

柳先輩は俺を見て不思議そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
今は何を聞かれても困る、そっとしておいて欲しい、そう感じてしまっていた俺はそんな彼の対応に少し安心して、なんとか「おはようございますっ」と返すことができた。
それに軽く相槌を打った後、柳先輩は真田副部長との会話を再開してしまったので強制的に副部長のお説教はここで終わることになる。それに対して副部長は何か言いたげだったが話しが重要なものだったのか何も言われることはなかった。


この日から数日はと言えばもう最悪だった。
廊下や階段で柳先輩とすれ違おうにもどうも話しかける事なんて出来なくて、そそくさと視線を逸らしては逃げるの繰り返し。

なんせ気まずいのだ。
別にあの人のことが嫌いだとか嫌だとかそんなのでは断じてない。
寧ろそんなのありえない。今だってあの人に嫌われてしまうなんて嫌な夢を見たからちょっと動揺しちまってるだけで本心は甘えたくて仕方ないのだから。

「はあ…」

今日も残すは部活だけという時間帯。
ここ数日の出来事を振り返って俺は溜息を吐いた。

何をやっているのだろうか、俺は

きっと柳先輩には不自然に映ったであろう最近の俺の態度。
そう理解しながらも動けないでいる自分。

どうすればいいものかと考えながら俺は部室の扉をくぐった。

「ちーっス…」

「やっと来たのかよぃ!」

「え、何すか丸井先輩…」

入った部屋の中では焦ったような丸井先輩の姿があって俺は驚く。
この人がここまで慌てているなんて何かあったのかもしれないと俺は尋ねた。

「お前ここ最近柳のこと避けてただろぃ!」

そんな俺に返って来た言葉は意外なもので、気付いてたんすかと以外に周りをよく見ている相手に驚きながらも続いた言葉に目を見開く事になった。

「柳倒れちまったぞ…!」

…え?

脳の処理が追いつかない。
倒れた?誰が?柳先輩が…?

そこまで繰り返して、後ろで丸井先輩が呼ぶのも構わずに俺は保健室に急いだ。

「柳先輩…!」

なんて俺は馬鹿なんだ。
自分が勝手に見た夢を理由に勝手に距離置いて、先輩を苦しめてた。

自分勝手にも程がある。

ようやく見えた目的の部屋の扉をがらがらと開ける。
そこには眠っている柳先輩と幸村部長の姿があった。

「ああ、赤也か…」

「部長…」

突然開いたドアに振り返った部長と目が合う。お互いに暫く何も言わなかった。

「あの、柳先輩は…」

それに耐えられなくなって口を開く。
呆れたように溜息をつき、彼は苦笑しながら言った。

「寝不足に加えてあんまり食べれてなかったみたいだよ」

全く立海のレギュラーが自己管理出来ないなんて笑えないよね、と言葉とは逆に優しく柳先輩を見る。

「わかってるんだろ、赤也」

俺の方へ向けられた表情は少し怒りが見えた。無理も無いだろう。
きっとこの人も彼がこうなった原因が俺にあると気付いている。

「すんません…」

言い訳なんて出来なくてただそう謝った。
そんな俺を見て「後は頼んだよ」と残して幸村部長は部屋を出て行く。
残された俺は未だ眠っている柳先輩の隣に置かれている椅子へと腰をおろした。

「柳先輩…」

恐る恐る掛け布団から出ていた手に触れてみる。
最後にこの手に触れたのはいつだったけとか考えながらも、その手の冷たさに心が痛んだ。

「ん…あか、や…?」

目が覚めたのか上から少し擦れた声が聞こえた。

「柳先輩…!」

ばっと顔を上げて彼を見ると、彼は驚いていた表情を浮かべている。

「赤也、なんで、部活は…」

「すみませんでした!!」

戸惑っている先輩の言葉を後回しにして、俺は真っ先に謝罪の言葉を口にした。
それを不思議そうに聞きながらも、柳先輩は俺の頭に手を置く。そのまま撫でられて俺は居たたまれない気持ちになった。
あれだけ俺は避けていたというのに、この人が倒れるまで悩んでいた原因は自分であろうに、この人はこんな時までどこまでも優しい。
俺は目頭が熱くなるのを感じた。

「ごめんなさい、柳せんぱい、ごめんなさい…ッ」

「いいんだ、赤也」

本当は柳先輩の方が泣きたい気持ちだったはずなのに抱きしめられる。
そんなこの人の行動にまた熱いものが溢れてきて俺は暫く泣いた。



この後「何かあったのか?」と訊ねられた俺は、素直に先日見た夢の話をして「馬鹿だな」と先輩に笑われてしまったが、それがとても幸せな事に感じられてまだ部活は終わっていないのに彼が寝ていたベッドで一緒に眠ったのだった。

様子を見に来た真田副部長に怒鳴られたのは言うまでもない。

END

ちょっと不安になった赤也が書きたかったとです

H23.09.23

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