さよなら私の日常 | ナノ

時すでに遅し
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全速力で走っていた実里は校門の辺りで後ろから追っ手が来ないことを確認すると足を止めた。今日は一体どれだけ走ればいいのか、そんなどうでもいい疑問を抱きながら千里は乱れていた呼吸を整える。
幾分楽になり、余裕の出来た頭が何か先程と違うことに気がついた。
そう、持っていたはずの手荷物を持っていなかったのだ。あの、この世界できっとただ唯一自分の私物であろうテニスバックを。
実里は真っ青になった。お先真っ暗とは正にこの事である。
こんな勝手のわからない世界でこれからどうしたらいいのか…。実里が校門にもたれ掛かりうな垂れていた、その時だ。年配の男の声が聞こえた。

「君が九条実里さんかね?」

少し遠慮がちに呼ばれた名前に顔を上げ相手を確認する。
そこに立っていたのはいかにもな中年男性だった。怪しい、そう思いながら頷いた警戒している実里に男はおっとりした声で続ける。

「待っていたよ、転入手続きは済んでいるから今日は制服の採寸をしていきなさい」

にっこり笑ってそう告げる男に眼を見開いた。は?この男は今何を言った?転入?制服?全くもって話が見えない。

「え?ちょっと待って何の話ですか…?」

あまりの事におどおどしながらそう聞いてしまったが、男はそれを特に気にも留めずただきょとんとしていた。
何だろう、可笑しな事を聞いてしまったのだろうか。
実里は自分の軽率な発言がいけなかったのだろうかと少し反省したが、それでも今のこの状況を知るためには訂正するわけにもいかず男をじっと見つめた。
男はといえばそんな実里の心情を察してか否か、再度先程までと同様の笑みを浮かべる。

「何って転入の話だよ。つい先日試験を受けただろう?」

男は確認するように話していたがそんなこと実里が知るはずも無い。
話を合わせるために頷くと男もうんうんと頷きながら続ける。

「それに見事合格してくれていたからね、明日からここに通ってもらうことになったんだ。その準備のために今日は来てくれたんだろう?」

いや、違います。突然連れ込まれたんです。
…なんて言えればどんなに楽だったことだろう。しかし実際にそんなこと言えるはずも無く、結局実里は「そうでしたね、あはは」と返すことしか出来なかった。

「採寸には保健室を使ってくれればいい、保健医の先生が待っているはずだから」

「あ、はい…ありがとうございます」

そう言いながらぺこりと軽く頭を下げる。男は「構わんよ」と最後の最後まで笑顔を忘れていなかった。

男と別れてもう一度校門をくぐり保健室を探す。
職員室さえ見つければ何とかなるだろうと思ったのが間違いだった。

「…この学校広すぎやしませんか」

無駄に長い廊下を歩いていた実里は溜息を付きながらそう呟いた。
ここはどこだ、それは冗談でもなんでもなく心の底から出てきた疑問だった。
階段を上った訳でもないのに保健室どころか職員室も見つからない。

「バックも探さないといけないのに…うう」

もうこのまま目当ての場所へは辿り着けないのではと不安で目頭が熱くなった。そのままその場にしゃがみこむ。なんだかもう面倒だ、試合もバックも保健室だって。
全て放り出してしまおうか、そう考えていた時、後ろから声をかけられた。

「おい、大丈夫か?」

今この場にいるのはきっと自分と今声を出した人の二人だけなので素直に振り返って顔を上げる。
視界には少し長めの前髪をした長身の男子が立っていた。
実里の顔を見て首を傾げた男子は少し安堵の色を浮かべながらも「気分でも悪いのか?」と再度訊ねてきた。
それに実里は首を横に振る。

「いや大丈夫、気分は悪くないよ」

泣き顔なんて人に見られたくないと溜まっていたものを手で払う。そんな実里に「そうか、ならいい」と男子は背中を向けて歩き出した。
そこまできて実里は慌てて走りより「ちょっと待って!」と男子の腕を掴む。
男子は一瞬迷惑そうな顔をしたが「なんだ」と止まってくれた。

「今私保健室探しているんだけど、迷っちゃってどこかわかんないの。申し訳ないんだけど連れて行ってくれないかな?」

「…仕方ない」

面倒な事を頼んでしまったが、以外にも男子は了承してくれた。おお!さっきは冷たい印象受けたけどいいやつかもしれない!と実里の中で名前も知らない男子の株が上がった。しかし廊下でしゃがんでいる人物に声をかけてくれる時点で大分いい人だと思われるがこの際そこは追求しないことにしよう。

「本当?!いやあいくら探しても見つからなかったんだー助かった!ありがとう!」

「何、気にするな」

そこからその男子としゃべりながら保健室に向かった。
道中、「先程お前がいたのは特別棟だから保健室どころか職員室もないぞ」という言葉を聞いていたたまれない気持ちになったのは内緒にしよう。
やがて「保健室」と書かれたプレートのぶら下がっている部屋が目に入ってきた。
迷っていた分ちょっとした感動を覚えた実里だったが、扉をノックして極自然にその部屋に入っていってしまう男子の後を慌てて追いかける。

「え、っちょここまででいいのに…!」

男子の後に続いて部屋に入った。
そこには校門で話した中年男性の言うとおり女性の保健医が何着かの制服を準備して待っていてくれていた。

「あらあらやっと来たのね。今日はもう来ないんじゃないかって心配しちゃったわ」

保健医がくすくすと笑いながらそう実里に言った。それは責めたりするようなものではなくからかいが大半のものだ。

「ここがあまりにも広くって…」

ふてくされたようにそう返せば「ああそれで…」と先に入っていた男子に目をやった。
つられて実里も男子に目を向ける。

「柳くんに頼んだってわけね、ふふ。あなたナイス人選だわ」

「へ?」

保健医のセリフの内容よりも出てきた名前に驚いた。
え、柳ってあの柳?糸目の?そう考えながら男子を見るも記憶の中にあるその人物と重ならなかった。だって目の前の男子は前髪ぱっつんではない。
そんな少しばかり失礼な事を考えつつ相手の反応を待った。

「先生、ただの偶然ですよ。じゃあ俺はこれで失礼します」

柳と呼ばれた男子はそれだけ返すとそのまま部屋を出て行ってしまった。
後に残った実里と保険医。先に口を開いたのは保健医だった。

「偶然とはいえよかったわね、テニス部の柳くんなら確実に連れてきてくれるものね」

…あの前髪の長い男子、保健医の言う「柳くん」が実里の知っている「柳」とイコールで結ばれた。違和感が残るが確かにあんな髪型をどこかで見た覚えはあったので、これは間違いないのだろう。

「はあ…」

保健医にはそれだけを返して採寸を終わらせた。
あまりしっかりしたことはしていないのだが、運よくその場にあった制服が実里にぴったりだったのでそれを着ることになったのだった。ところで気になっているのだがこの制服代はどこから出ているのだろうか、そんなこと気にするだけ無駄かもしれないがこの先この世界で生きていく為には重要な事だ。

「ちょうどいいのがあってよかったわ。ああ、そういえば手紙を預かっているわよ」

後片付けをしている保健医が制服の入った箱と共に手紙を差し出した。それを受け取りながらも首を傾げる、差出人不明…。

「そろそろ暗くなるから早く帰りなさいね」

大体の片付けが終わった保健医は笑いながらほらと出口を指差した。
それに頷きつつ実里は「ありがとうございました」と保健室を後にしたのだった。


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