答えのない方程式



手にしたノートのページを気まぐれにめくりながら、ただひたすらに校舎の裏やら校舎内やら中庭やらを駆け回る。息が乱れているせいか、ノートの中身は全く頭に入ってこなかった。いや、静止していたところで理解できるような内容でもないのだけれど。

このノートの正体は、柳先輩のデータ帳だ。テニスコート付近でノート片手に後輩たちの練習を見守る先輩を、背後から強襲して拝借してきたのだ。
盗ったノートに理由はない。ただの気まぐれ、ほんの少しの好奇心。


気付けば周囲はすっかりオレンジ色に染まっていて、1人、また1人と校門から姿を消していく。
その波に逆らうように、わたしは1人体育倉庫の裏へとたどり着いた。



走り回ったせいか、無駄に胸が苦しくって思わず壁に手をつく。ぜえぜえと自分の呼吸がひどくうるさいが、それを気にしてる余裕もなく。
手をついた古い壁から伝わる温度が、夕焼けを行き交う秋風が、わたしの熱をさらっていく。…秋ももうすぐ終わりそうだ、ほんのちょっとだけ肌寒い。



「はー…ふー、疲れた、」



やっと呼吸が落ち着いてきた。次はどこに逃げよう、と壁から手を離そうとしたその時。

壁についた手に、ひやりとぬくもりが重なった。



「…名前がここに来る確率は、92.7%だ」



頭上から聞こえる声に、重ねられた大きな手のひらに、荒い呼吸も胸の苦しさも全部まとめて吹っ飛んだ。まさか。書き込んだデータは、全部ここにあるというのに。



「やなぎ、先輩…」

「名前がどういうつもりでノートを盗ったのかを知りたかったのだが、無駄だったようだな」

「…まさか。わざと取らせたんですか、これ」

「それ以外にどう見えたんだ」



はめられた。最初からずっとわたしがどう逃げ回るのかも、最後にここに来ることも全部わかってて、先輩はここで待ってたんだ。わたしの行動の理由を、知るため。ただそれだけのために。



「…で?どうしてノートを盗った」

「それこそ先輩の得意分野の計算で求めて下さいよー、正解したら豪華商品を贈呈しますぜ!」

「名前」



いつものあまり表情が出ない顔が、異常に怖い。
怒ってる?あきれてる?全然わからない。わからないけど、怯むなわたし。怖がったらそこで試合終了だ!

敵前逃亡は悪いことじゃない、逃げるのも立派な勇気だ。とりあえず逃げようとしたら、重ねた手に力がこもってそれすらも阻まれた。くそ、逃走失敗。
部活で学校に残っていた生徒たちの声も、だんだん遠のいていく。喧騒から切り離された空間、ここには私と先輩の、2人だけ。

覚悟を決めろ、今しか…ない。



「…データ帳が無くっても、先輩は何でもわかっちゃうんですね」

「ああ、計算できない事象などは存在しないから…っ、!?」



背の高い先輩の襟元をひっつかんで、強引に引き寄せる。首が締まったのか、先輩が上げた苦しそうな声と、細かい字がぎっしり書かれたノートが地面に落ちる音とが重なった。

何か言おうとする先輩の言葉を全部飲み込んで、もっと強く引きつける。よっぽどびっくりしているのか、抵抗は予想外なくらいに無かった。


ゆっくり離した唇をぺろりと舐めると、ほんのり甘酸っぱいスポーツドリンクの味。
つい、と視線を上げると珍しく顔を赤らめた先輩が見える。今日は運がついてる日なのかもしれない、神様今だけありがとう。

出来るだけしっかり先輩の目を見て、出来るだけ自然に口元を釣り上げる。きっとわたしも顔真っ赤なんだろうな、とか考えながら、最後に一言。



「ねえ先輩、今の確率は何%ですか?」



答えのない方程式

(恋する乙女のパワーは、そんなちっぽけな数字じゃ計りきれんのです!)

END


桜花さまのサイトでキリバンを踏んだのでリクエスト来てしまいました^///^
無理難題に答えてくれる優しい桜花さま

ありがとうございました!



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