大将の妹を好きになってしまった件について
 少年院から出て少しした頃。少年院の外で再びイザナたちに会った時、イザナが連れていた同じ髪色をした小柄な女に目を惹いた。


「イザナ。そいつ、誰?」


 そう言って女を見下ろしながらイザナに聞いた。女は俺の視線に怖気づいたのか、イザナの後ろにさっと隠れて袖を握っている。そうやってイザナのテリトリーに入る女に感心していると、イザナは短く答えた。


「俺の妹」
「ふぅん……?」


 言われてみれば瞳なんかもイザナと全く同じ色をしているし、イザナの面影がそこに在った。見れば見るほどそっくりで、イザナのような雰囲気は無いが、妹なんだなあって分かった。

 あまりに俺がじっと妹を見下ろしているからか、イザナはその視線に気づくと面倒そうに顔を顰めながらさりげなく妹を庇うようにそっと腕を出した。


「手ぇ出したら殺すからな、蘭」
「いやいや、大丈夫だって。ねえ?」


 イザナの態度に関心しながらへらへら笑ってそう答えた。そうして同意を求めるように女の顔を覗き込む。でも女は警戒心を出してイザナの後ろに隠れるばかりだ。それがなんだか猫みたいで俺は笑った。そんな俺をイザナが怪訝な眼差しを向けてくる。

 この時は、ただそれだけ。イザナの妹だし、イザナも大切にしてるみたいだし、まあ気に掛けておくか、くらいの感覚。流石にイザナの妹に手を出すような真似は考えなかったし、本当にこの時はそれだけだった。

 それからは、本当に時々会うくらいの顔見知りになった。イザナの後をいつもついて回るような子でも無かったし、危ないところにはイザナも連れてこなかったから、ナマエちゃんと会うことはほとんどない。それでも偶然会ったりすることは時々あって、その時はなんとなく声を掛けていた。最初は警戒をして余所余所しいナマエちゃんだったけど、何度か話して行けばそれも薄れて行って、ちっとも笑わなかったのに時々ふふっと笑みを零すようになっていた。

 普通に可愛いと思った。でも女として意識してるってより、イザナの妹っていうのが強くて、妹分とは言わないが、まあそんなふうに意識してた。だからなるべく優しくするように努めたし、イザナの妹だからヘンなことしないように気を付けた。そしたらもともと妹属性なところがあったせいか、俺に懐いて来るようになった。他の女だったら嫌だけどイザナの妹だし、ナマエちゃんはそういう他の女とは違って単純に俺≠ニいう存在に懐いていた。だからまあ嫌な気はしなかったし、そこそこ可愛がってた。

 ナマエちゃんは素直な子だった。こちらが与えればそれを返そうとして来るような、そんないい子。そこにはどんな見栄も企みもない、愛情深い優しさがある。そして親しい人間にだけは甘えてくる、可愛い子。それだけでイザナが大切にしてたんだなって分かった。だから俺も大事にしようって思った。

 あくまで兄≠ニいう立場からナマエちゃんを見て、接していた。でもナマエちゃんと関わるたび、その居心地の良さを知る。そうしているうちに俺は知らない間にどんどん嵌って行って、気付いたら自分でも嫌と言うほどナマエちゃんが好きだと自覚する羽目に至った。そして曖昧な関係を、俺は数年続けている。





   * * *





「はあ……やば、服決まんねぇ……」
「……」


 クローゼットをひっくり返す勢いで何枚もの服を並べては着て、鏡を見ては唸って服を脱ぎ、また違う服を探す。それをかれこれ一時間ほど繰り返していた。自分の部屋やリビングそして洗面所など行き来しては服が決まらないとぼやく兄の姿を竜胆はソファに座った状態で黙って見守る。これには余計にツッコまない方が良いとすでに学習していた。そうして蘭がこんな状態になるのは決まってイザナの妹であるナマエ関連だともすでに学習済みだ。

 蘭は一人でファッションショーの如く何度もコーディネートを繰り返し、鏡に映る自分を見ながら独り言を呟く。


「やば、マジでどうしよう。これ派手すぎっか? あいつ目立つの嫌いだしな……でも地味過ぎんのはなあ……」


 そうして自分が来ている服を持ち上げながら、これも違う、あれも違う、と唸る。気づけばあちこちに服やら小物やらが散らばっていたが、竜胆は黙ってやり過ごす。


「髪……は今回下ろしてくか。あいつ俺の髪好きだからなあ」


 今度はヘアメイクをどうするか悩むと、突然自慢話……というか惚気話を呟いてくる。聞かせたいのかツッコまれたいのか知らないが、まあとにかく面倒ごとに関わるのはご免だ、と竜胆は早く終わることを祈りながら必死に開いた雑誌を見下ろしていた。だが今回はツッコまれたかったらしい蘭が不機嫌な声で投げかけてくる。


「おい、聞いてんのか、竜胆」


 それにビクリと肩を揺らし、ぱっと顔を上げる。


「えっ。あ、なに?」
「はあ? 聞いとけよ、今からデートなんだぞこっちは」


 そう言って蘭は顔を顰めてこちらを睨んでくる。いや知らねぇよ、と思ってもぐっとそれを呑み込んで受け流す。そうして当たり障りなく「あー……キマってると思うけど」と言ってやる。以前にこっちも面倒になって「どれも一緒じゃない?」とか適当な事言ったらひどい目に遭った。だからそこそこの感想を入れる。すると蘭は「ま、当然だよなあ」と上機嫌に決めポーズをする。なら聞いてくんなよ、とは思っても言わない。


「……やべ、三十分前なる。そろそろ行くか」


 ようやく身支度を終えた蘭は時計を見るなりそう呟く。そうしていそいそと玄関に向かい、靴までバッチリ決めた状態で家を出て行った。時間にルーズで遅刻なんて当たり前、ドタキャンも当然の蘭からは想像もつかない行動だ。でもこれにももう見慣れている竜胆は何も言わず、ようやく出掛けて行った蘭を見送って一つため息を落とした。


「……つーか、いい加減付き合えよ」





   * * *





 待ち合わせ場所にまだナマエちゃんがいないことにほっと息を吐き、俺はいつナマエちゃんが来ても良いように準備しながら壁に背中を預ける。いつもの感じだとナマエちゃんは待ち合わせの十分前くらいには着くだろう。それを見越して今回も早く出ておいたのだ。

 こうしてナマエちゃんと二人で出掛けることはもう何度もしている。今では定期的に出掛けるほどにもなった。でもこの事実を知っているのは俺たち本人と竜胆しか知らない。大将にバレたら殺される。だから絶対にデートは横浜以外。あとイザナが立ち入りそうな場所は全却下だ。

 しかし我ながらよく続いてるなあ、と思う。ナマエちゃんとの関係が、ではなく、この曖昧な関係が、だ。正直早くナマエちゃんと恋人っていう口実が欲しい。でもそしたら大将に絶対バレるし、ナマエちゃんも絶対俺のこと好きって分かってるけど、もし勘違いで兄≠ニして好きなだけ、なんて言われたら立ち直れない。しかしいい加減この関係もどうにかしたい。

 デートに行くたびこんなことを思うが、毎回何もしないで終わる。そして今回もそうなのだろう、とちょっと落ち込み気味にため息を吐く。


「ら、蘭!」


 その時、待ちに待っていた声が俺の名前を呼んだ。ぱっと顔を上げれば、俺の姿を見つけてぱたぱたと駆け寄ってくるナマエちゃんを見つける。そんなナマエちゃんに笑いかけながら手を上げる。


「ごめん、今日も待たせた……」
「いーよ、待ってねぇから」


 二十分は待っていたが大したことじゃねぇし、いつものように言ってやる。でも毎回俺が先に来ていることが悔しいのか気に食わないナマエちゃんは少しムッとする。それを誤魔化すように頭を撫でてやれば、目を閉じて素直に受け入れられる。そういうところが可愛くて仕方がない。


「今日も可愛いじゃん。うん、似合ってる」


 そのまま頭を撫でていた手を滑らせて、髪に指を絡めながらそっと人房持ち上げ、するりと手放す。毎回俺のためにお洒落をして頑張って着飾ってくるナマエちゃんが可愛い。それを素直に言えば、ナマエちゃんは照れ臭そうに視線を落とした。俺はフッと笑みを零して、片腕を差し出す。


「そんじゃあ、行こうか」
「うん」


 慣れた様子で俺の腕にそっと腕を絡ませるナマエちゃん。そうして二人で歩き出す姿は恋人そのものだが、残念だが恋人未満だ。でもこうして俺に委ねてくれるのが素直に嬉しい。最初は警戒心丸出しの猫みたいだったのに、と内心でくすりと笑った。


「今回は大将になんて言って来たの?」
「いつもと一緒。友達と出掛けてくるって」
「ふぅん、友達ねぇ?」
「う、嘘じゃないもん」


 含んだ言い方をわざとすれば、ナマエちゃんは少し頬を染めて慌てる。そんなナマエちゃんに俺はそっと笑みを零した。

 大将にはもちろん内緒のデートに、ナマエちゃんは毎回大将に言い訳をして来てくれる。まあその言い訳は毎回同じだし、広義にすればまあ間違ってないんだと思うからナマエちゃんの言う通り嘘ではないんだけど、まあ複雑だ。あと本当にそろそろ大将にバレそうで怖い。

 俺たちは予定していたテラスのカフェに入って、前々からナマエちゃんが食べたいと言っていたパンケーキを昼食にした。美味しそうに頬張る姿は年相応かそれ以下で、コーヒーを飲みながらそれを眺めた。その後は散歩も兼ねてそこら辺の店を巡りながら歩いた。その時歩道側を歩いていたナマエちゃんの向かいから横に並ぶ男が歩いて来て、俺はナマエちゃんの腰に腕を回してぶつからないようにそっと抱き寄せた。そうして二人が通り過ぎてからいつものように腕を差し出すが、絡めてくる気配がない様子に俺はナマエちゃんに視線を向けた。するとナマエちゃんはじっと俺を見上げていた。


「ん、どうかした?」
「ううん、いつも優しいなあって」
「お前だからな」
「……」


 何を今さらなことを言ってんだか。そう内心で呟きながら言ってやれば、ナマエちゃんは目を丸くして頬を染めた。そうしてそれを誤魔化すようにまた俺の腕に腕を絡めてくる。

 仕切り直してまた歩き出そうとした時、ぽつり、空から雫が落ちてきた。それが肌に触れて、弾ける。


「……あ、雨」


 ナマエちゃんがそう言って空を見上げると、いつの間にか空はどんよりとして曇っていた。これは一降りきそうだ、なんて思った矢先に雨脚は強くなってきて、このままじゃずぶ濡れだ。


「うわ、取り敢えずこっち」


 俺は急いでナマエちゃんの手を引いて雨宿りができそうな天上の下に逃げ込んだ。それなりに早く退散したが、雨の方が早くて髪も服もそれなりに濡れて、肌に滴が伝った。片手で髪を掻き上げて濡れた髪を払う。そしてふと隣を見れば、ナマエちゃんも結構濡れていることに気づいた。俺は上着を脱いでそれをそっとナマエちゃんにかけてやる。濡れてはいるけど、無いよりはマシだろう。


「あ、ありがとう……」
「ん、冷えるから羽織っててな」


 頭を撫でるついでに肌に張り付いた髪を払ってやる。そうして二人で目の前の光景をぼんやりと見つめた。


「にしても、雨降るとは思わなかったわ」
「通り雨かな?」


 多分な、と続ける。でも雨は強くなる一方で止む気配が無い。流石に通り過ぎねぇか、なんて思っていると隣でナマエちゃんが小さくくしゃみをした。結構濡れたし、このままだと身体を冷やすから風邪も引くだろう。雨が止むのを待っているのは無理だ、と俺は即座に判断する。


「仕方ねぇから、今日は中止にするか」
「えっ」
「俺はいいけど、濡れたままだと風邪引くだろ」
「私なら平気だよ、そんなに濡れてないし」
「ダーメ、俺が嫌なの。それに雨だと足場が悪くなるし、今日はここまでな」


 大丈夫だと言い張るナマエちゃんを優しく宥めて、今日のデートはお開きだと言いやる。流石に家にあげたら大将に殺されるからなあ。

 肩を落とすナマエちゃんに、俺は「また今度な?」と言ってもう一度頭を撫でた。下ろすときに手の甲で名残惜しい気持ちでナマエちゃんの頬に触れる。すると肌が案外冷えていて、俺はすぐにポケットから携帯を取り出した。


「ちょっと待ってて、今タクシー呼ぶから……」


 そうしてタクシーを呼ぼうとした時、それを引き留めるようにきゅっと服の袖を控えめに引っ張られた。それに俺は動きを止めて、目を丸くしてナマエちゃんを見下ろす。


「……ナマエちゃん?」


 身長差もあって俯きがちなナマエちゃんの顔を窺うことが出来ない。そうして腰をかがめて顔を覗き込もうとした時、ナマエちゃんの口が開いた。


「……だ」
「え?」
「やだ」


 最初は控えめだった声が、二度目ははっきりとした声で言った。同時に俺を見上げてくる顔は赤く染まっていて、服を掴んだ手に力が入っていた。


「もう少し、一緒にいたい……」


 顔を赤くしたまま恥ずかしそうに顎を引く。でも俺の服を掴む手は離されることが無く、甘えるようにくいっと引っ張っていた。それにきゅっと口を噤んで、俺は堪らずナマエちゃんをき抱いていた。


「――!」
「あー……ちょっと待って、ほんと……」


 小さい身体を腕の中に閉じ込めながら肩口で小さく呟いた。声は情けなかったし、今の俺は絶対見せられない顔をしている。顔がにやけているのが分かる。だから見られないようにそっと胸に後頭部を押し付けて、ナマエちゃんを抱きしめた。

 腕の中にいるナマエちゃんは最初は驚いて身体を強張らせていたが、徐々に肩の力を抜いて俺に委ねてくる。最後には甘えるように自分から控えめに擦り寄ってくるものだから、俺は我慢するのが大変だった。だから誤魔化すように言った。


「あー……大将に怒られそう……」
「ニィを引きあいに出すのやめてよ」
「んー……」


 俺の言葉が気に食わなかったのか、ちょっと不満そうな声がする。それに俺は曖昧な返答をする。

 ふう、と息を吐いて抱きしめていたナマエちゃんをそっと身体を離す。ナマエちゃんの頬はほんのりと赤くて、真っ直ぐと俺を見上げていた。俺はそっとそれに目を細めて、ナマエちゃんの腕を撫でた。そうして小さな手を撫でて、指を絡めて、きゅっと小さな手を包み込むように優しく力を籠める。腕を絡めることはあったけど、こうして指を絡めて手を繋ぐのは初めてだった。


「じゃあ後ちょっと、な?」
「……ん」


 内緒話をするみたいに小さく顔を寄せて囁けば、ナマエちゃんはそっと頷いた。そうしてきゅっと手を握り返して、冷えた身体を温めるようにぴったりと身体を寄せてくる。そうやって二人で寄り添いながら、雨が降る光景をしばらく眺めた。


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