その人との初めての出会いは、十三の時に妹を引き連れながら行った麻布祭りの時だった。みんなが道を開けるガラの悪い連中の列の先頭には灰谷兄弟という二人が歩いていて、俺はそのカッコよさに憧れた。でも俺が目を奪われたのは、その二人だけじゃなかった。
その列の先頭、灰谷兄弟と肩を並べて歩く一人の女がいた。灰谷兄弟と歳も近そうで、その顔たちは二人ともどこか似通っていた。だから灰谷兄弟の妹だろう、とすぐに予想できた。その顔立ちや醸し出す雰囲気も相まってその人はすごく綺麗に見えて、堂々と歩く姿はまるでモデルみたいだった。その時、ふと彼女が目を逸らした。多分辺りを見渡しただけだと思う。でもほんの一瞬、その人と目を合わせた俺は、その瞬間に初恋を奪われていた。
あれから二年経った頃、東卍は周りのチームを吸収してデカくなっていた。横浜天竺さえも吸収し傘下に置き、新たな隊も出来上がり、天下もすぐ目の前だと仲間たちも大はしゃぎだ。横浜天竺にはあの灰谷兄弟も所属していて、なんの縁か知らないが同じチームとしてやって行くことになったのは驚いた。まあ、ただ俺が一方的に知って憧れていただけだから二人は知らないだろうけど。
そんな状況の中、ある日新しいメンバーたちの特攻服を作るための素材を買いに出掛けた時、たまたま灰谷兄弟を街中で見かけた。
「ん、灰谷?」
「お、三ツ谷じゃ〜ん」
思わず口に出した声に最初に反応したのは蘭で、俺を見るなり口角を上げてきた。そうして振り返ると隣にいた竜胆も俺の方に視線を向けて来て、意図せず街中で二人と会話をする羽目になった。それもこれも、いつもは六本木にいる灰谷兄弟がこんなところにいるからだ。
「珍しいな、こんなとこで会うなんて」
「ああ、コイツの付き添いでな」
「可愛いだろ〜、俺らの妹」
そう言って竜胆が顎で指し、蘭が見せびらかすように肩を抱いたのは――初恋の人だった。
俺の一目惚れ。その人にあの日以降会うことはなかった。灰谷兄弟と同じチームになってもその人の話題を出すことはしなかったし、昔にした初恋ってことで俺は俺の中でその恋心を片付けていた。しかし、それが何の因果か偶然出会ってしまった。その人はあの頃よりもっと綺麗な姿をしていて、六本木のカリスマなんて呼ばれる灰谷たちの妹と言われてもなんの違和感も無かった。
俺は内心驚いていた。なにせもう一度出会うとは思っていなかったのだ。でも彼女にとっては、俺は初めて会っただけの他人だ。俺が一方的に知って、勝手に惚れていたに過ぎない。それに、初恋の人とどうこうなりたいって欲もその時はなかった。だから俺は普段通りに接した。
「へえ、お前らちゃんと兄貴らしいことしてんのな。兄貴にとって妹って可愛いもんだし、兄妹仲良くしろよ」
自分も妹がいる身として、兄貴としてそんな他愛のないことを言った。でも三人の雰囲気や一緒に出掛けているところを見れば、そんなお節介を言わなくても良いことは分かっていた。でも少し欲が出たのか、俺はその人に向かって声を掛けていた。
「あ、もし兄貴たちに困ったことがあったら言えよ。シメてやるから」
「三ツ谷〜?」
「年下の癖に生意気」
そうすれば蘭はにこにこ笑いながら圧をかけ、竜胆はムッと唇を尖らせた。それにははっと笑って、じゃあ、とその時は別れるつもりでいた。でもそれができなかったのは、あまりにもその人が俺のことを凝視してきたからだ。それはもう穴が開きそうになるほど、ただただ黙ってこちらを見つめてくる。その意図が分からず、俺はなんとなく笑って首を傾げる。そうしてしばらくじっとこちらを見つめてくると、その人はカツカツとヒールの踵を鳴らしながら俺の目の前までやって来る。
「ん? え、あの……?」
そうして目の前に来たその人に思わず仰け反りそうになると、そのタイミングでなぜか両手で手を握られた。俺の手を両手で包み込み、胸上あたりでぎゅっとしてじっとこちらを見つめてくる。その状況が読み込めず、俺は戸惑う。そして突然――告げられた。
「――好きです。付き合ってください」
「……え」
* * *
あれから約数ヶ月。俺はなぜか初恋相手であるナマエさんから猛烈にアプローチをされていた。
どういうことかあの日、ナマエさんは俺と初対面のはずなのに突然告白してきたのだ。背後でそれを聞いていた時の灰谷兄弟の顔は度肝を抜かれていた。一方で俺に告白してきたナマエさんはなぜかうっとりとした顔でほんのり頬を赤く染めていて、どうしてこうなったのか俺には理解できなかった。突然のことに驚き過ぎて固まっているとナマエさんはぐいぐい来て「三ツ谷くんって言うの? 歳は? 彼女はいる? 連絡先交換しない?」などとまるで嵐のようだった。その後は灰谷兄弟に引き摺られて退散させられたのだが……なぜか次の東卍の集会に来たらそこにナマエさんがいた。
ナマエさんは集会場でも相変わらずぐいぐい来て、気圧された俺はいつの間にか連絡先を交換していた。正直驚きの連続でどんな会話をしたかも覚えてない。それとこれは後日灰谷兄弟から聞いたのだが、俺が東卍のメンバーだと知ったナマエさんが灰谷兄弟にそれはもうしつこいくらい集会に連れてけだのなんだのお願いされたらしい。あまりのしつこさと執念具合に二人が折れたのだと言う。
それからというもの、ナマエさんは毎回集会場に現れるようになった。それが約数ヶ月を現在は経過している。
「三ツ谷くん!」
「ナマエさん、また集会来たの?」
「だって三ツ谷くんに会えるの此処くらいなんだもん」
男ばかりの集会場に可愛らしい声が響く。それに振り向けば上機嫌な顔でいつものように駆け寄ってくるナマエさんがいた。それに苦笑しながらそう言えば、ナマエさんは不満そうに頬を膨らませて「メールも電話も全然だし」と俺を見つめてくる。電気機器が苦手な俺は携帯を上手く使いこなせていなかった。だから「あー……悪い」と、素直に謝る。そうするとナマエさんはじっと俺を見つめてからにこりと表情を柔らかくして「いいよ」と可愛らしく笑うのだ。
「それで? 今度こそ一緒にデート行ってくれる?」
「いや、俺にはお洒落なカフェとかも分かんないし……」
俺はそう言って今回もそのお誘いを断った。
ナマエさんにはいつもこうやってデートに誘われる。でも俺にはお洒落なカフェも可愛いお店も知らないし、ナマエさんが満足するような店に連れて行く金もない。加えて俺は年下だし、正直ナマエさんには釣り合わない気がした。するとナマエさんはきゅっと眉を吊り上げる。
「もう! いい加減私の好き≠ノ応えてくれてもいいんじゃない!? 他に好きな女でもいるわけ!?」
いや、アンタが俺の初恋相手だよ。ついに憤慨したナマエさんに心の中で呟く。実際に口に出して言うつもりはなかった。
不満を口にするナマエさんに、ごめんな、と苦笑いをしながら宥める。するとナマエさんは嫌味なのか本音なのか「あーあ、せめて三ツ谷くんがお兄ちゃんだったらいいのに……」なんて言い出してきた。その言葉に、俺は思わず口を出してしまった。
「それ、兄貴分として俺が好きってこと?」
「え?」
口から出た声は想像以上に冷めていて、そんな声を初めて聞いたナマエさんはきょとんと目を丸くしていた。つい口に出してしまったそれに俺は、しまった、と内心で反省する。それはナマエさんも同じだったようで、不安そうにしながら俺の様子を窺っていた。だからここで誤魔化すのが正解な気がする。でも、俺はそれができなかった。
「あ、そうそう。この間知り合いの男っぽい奴らに囲まれてんの見たけど、あんま自分を安売りするもんじゃねぇよ。アンタは綺麗で可愛いんだからさ、もっと自分を大切にしろよ」
言葉とは裏腹に声音と態度は冷たい。そのまま俺はナマエさんに目を向けることもせず背中を向けて踵を返した。
本当は、嬉しかった。初恋相手に好意を寄せられて嬉しくないはずがない。でも、好きになってくれたきっかけも曖昧で、それが本気なのかただの気まぐれなのかも分からなくて。俺は単純にナマエさんの好意を信じてやれなかったのだ。
「――好き」
背中で小さく呟かれた声を拾った。「ホントに、好きなのに……」そう零した声はナマエさんから聞いたことも無い消えてしまいそうな声で、でも俺は聞こえないふりをして足を進めた。
それから数週間、ナマエさんは集会に来なくなった。数ヵ月もの間絶やさずに毎回来ていたのに、それがぴったりと止んだ。いつも集会場で聞こえてくるナマエさんの明るい声とか小走りで駆け寄ってくる足音もしなくて、いつの間にか俺はナマエさんが集会に来るのを待っていた。
「あれ、今日もナマエさん来てねぇの?」
「ああ、なんか気分向かねぇんだって」
「へえ……」
今日もナマエさんの姿を見なくて、俺は灰谷兄弟に声を掛けていた。俺の質問に竜胆は、ああ、と頷いて応えてくれる。それに俺は曖昧に頷くだけで、そんな俺の様子を見て蘭がにやりと笑う。
「なに、三ツ谷? ついに俺らの可愛い妹をフッちゃったわけ?」
その言葉に俺は目を丸くする。フッた……つもりはないけど、でもそうなのかもしれない。そんな俺の態度を見て蘭は「あーあ、あんなに健気だったのに俺の妹可哀想〜」とにやにやしながら大袈裟な態度で言う。それに続いて竜胆も「でも兄貴の言う通り、アイツも結構マジだったかんなあ」と少し感心するように竜胆が呟くから、俺は黙り込むしかなかった。
毎回誘いも断っていたし、あんな態度も取ったし、とうとう本当に諦めたのかもしれない。ただの気まぐれだったのかもしれないし、俺が靡かないと分かって早々に手を引いたのかも。でも、そうなると、もうナマエさんは此処には来ないし、もう会えないのか。
黙り込んだ俺を二人が様子を窺うように見下ろしてくる。その気圧されそうな眼差しを俺は見つめ返して、いつの間にか口を開いていた。
「あ、のさ……折り入って頼みがあるんだけど……」
* * *
俺はその日、六本木に来ていた。そうして事前に灰谷から聞いていた時間帯にあるカフェの前まで来る。そのカフェは落ち着きのあるアンティークチックなカフェで穴場なのか混雑する時間帯なのに客はあまりいなかった。
俺はドアノブを引き、店内に入る。扉が開くとベルが鳴り店員が来るが、それを断って奥へ進む。すると奥の席にぼんやりと窓を眺めながら座っているナマエさんが居た。俺はその席に近づいて、まるで待ち合わせをしていたかのように向かいの席に座った。
「……えっ!? 三ツ谷くん!?」
「おう、久しぶり」
「え、あ……此処、六本木だけど……」
「ああ、お前に会うために来た」
目を丸くして驚くナマエさんに俺は淡々と答えた。そうしてナマエさんに会うために来た、と言えばナマエさんはきょとんと目を丸くして黙り込む。そのまま二人して見つめ合っていれば、最終的にはナマエさんが少し恥ずかしそうにして視線をおずおずと下ろす。俺はそれにフッと息を吐いて、改めてナマエさんに向き合った。
「俺のせい、だよな。集会来なくなったの」
「い、いや……別に三ツ谷くんのせいじゃないっていうか……私も、そんなに強くないっていうか……」
俺の言葉にナマエさんは慌てて首を横に振る。でも最後はだんだん声を小さくして、身体も小さく縮みこませた。その表情は少し気まずそうで、また視線を下に下ろしてしまう。
「悪い」
その姿を見て、正直に謝った。俺がナマエさんを追い込んだんだろうし、好意を伝えている相手に無下にされ続ければ誰だって傷つくに決まってる。だから俺は素直な気持ちを口にした。でもナマエさんは別の意味で受け取ったらしく、その言葉を聞いた瞬間きゅっと眉根を寄せて上目遣いにこちらを窺って来た。
「やっぱり……私じゃダメ……?」
「え? あ、いや! そういう意味じゃなくて……!」
落ち込むナマエさんの様子に俺はなにを勘違いしたのかを察して慌てて否定する。それにナマエさんは意図が分からず不思議そうに首を傾げる。ちゃんと言わないと伝わらない。それに俺ははあ、と息を吐いて顔を隠すように片手で顔を覆う。そうして少ししてから手を下ろし、俺はナマエさんを見上げるようにして気恥ずかしさと一緒に口を開いた。
「……もう俺のこと諦めちゃった?」
「え」
「俺は、ナマエさんに会えなくて寂しかったよ」
包み隠さずに本音を口にする。それを聞いていたナマエさんは理解ができずに目を丸くして固まっていた。そんなナマエさんに追い打ちをかけるように俺は続ける。
「もう俺に好きって言ってくれないの?」
そう困ったように笑えば、ナマエさんは理解が追い付いたのか、みるみるうちに顔を真っ赤にさせて口をぱくぱくとさせた。
好きって好意を伝えてくれることに俺は胡坐をかいていた。頭では本気か分からない、遊びかもしれない、なんて言って突っぱねていたけど、本当はそんなの関係なかったのだ。だから今度は俺からだ。
「押してダメなら引いてみろって、ホントなんだ……」
「……え?」
ふと、ナマエさんがそんなことを呟いた。それに思わず素っ頓狂な声が零れる。ちょっと待て。
「え……っと……?」
「お兄ちゃんたちからのアドバイスで……その……」
「……ッあー……マジかー……!」
それを聞いて、全てを理解した。そして頭を抱えてテーブルに突っ伏した。まあつまるところ、そう言う事なのだろう。灰谷たちが俺の様子を窺って、わざわざナマエさんの行きつけのカフェまで教えてくれたのはこう言う事だったのだ。やられた、と二人の顔を思い出して項垂れる。
そんな俺に申し訳なく思ったのかナマエさんも「ごめん……」と謝って来た。でも次に「でも、これでダメならホントに諦めようと思ってた……」と小さく呟かれて、俺は大きなため息と一緒に笑ってそれを投げ飛ばした。
「あー、はいはい、俺の負け。俺の負けだよ、まったく」
そう言ってテーブルに肘を付く。そうしてまだこちらの様子を窺ってくるナマエさんに俺は言ってやった。
「ちゃんと好きだよ」
そしたらまた顔を真っ赤にさせたから、俺はもう一度笑ってやった。
その列の先頭、灰谷兄弟と肩を並べて歩く一人の女がいた。灰谷兄弟と歳も近そうで、その顔たちは二人ともどこか似通っていた。だから灰谷兄弟の妹だろう、とすぐに予想できた。その顔立ちや醸し出す雰囲気も相まってその人はすごく綺麗に見えて、堂々と歩く姿はまるでモデルみたいだった。その時、ふと彼女が目を逸らした。多分辺りを見渡しただけだと思う。でもほんの一瞬、その人と目を合わせた俺は、その瞬間に初恋を奪われていた。
あれから二年経った頃、東卍は周りのチームを吸収してデカくなっていた。横浜天竺さえも吸収し傘下に置き、新たな隊も出来上がり、天下もすぐ目の前だと仲間たちも大はしゃぎだ。横浜天竺にはあの灰谷兄弟も所属していて、なんの縁か知らないが同じチームとしてやって行くことになったのは驚いた。まあ、ただ俺が一方的に知って憧れていただけだから二人は知らないだろうけど。
そんな状況の中、ある日新しいメンバーたちの特攻服を作るための素材を買いに出掛けた時、たまたま灰谷兄弟を街中で見かけた。
「ん、灰谷?」
「お、三ツ谷じゃ〜ん」
思わず口に出した声に最初に反応したのは蘭で、俺を見るなり口角を上げてきた。そうして振り返ると隣にいた竜胆も俺の方に視線を向けて来て、意図せず街中で二人と会話をする羽目になった。それもこれも、いつもは六本木にいる灰谷兄弟がこんなところにいるからだ。
「珍しいな、こんなとこで会うなんて」
「ああ、コイツの付き添いでな」
「可愛いだろ〜、俺らの妹」
そう言って竜胆が顎で指し、蘭が見せびらかすように肩を抱いたのは――初恋の人だった。
俺の一目惚れ。その人にあの日以降会うことはなかった。灰谷兄弟と同じチームになってもその人の話題を出すことはしなかったし、昔にした初恋ってことで俺は俺の中でその恋心を片付けていた。しかし、それが何の因果か偶然出会ってしまった。その人はあの頃よりもっと綺麗な姿をしていて、六本木のカリスマなんて呼ばれる灰谷たちの妹と言われてもなんの違和感も無かった。
俺は内心驚いていた。なにせもう一度出会うとは思っていなかったのだ。でも彼女にとっては、俺は初めて会っただけの他人だ。俺が一方的に知って、勝手に惚れていたに過ぎない。それに、初恋の人とどうこうなりたいって欲もその時はなかった。だから俺は普段通りに接した。
「へえ、お前らちゃんと兄貴らしいことしてんのな。兄貴にとって妹って可愛いもんだし、兄妹仲良くしろよ」
自分も妹がいる身として、兄貴としてそんな他愛のないことを言った。でも三人の雰囲気や一緒に出掛けているところを見れば、そんなお節介を言わなくても良いことは分かっていた。でも少し欲が出たのか、俺はその人に向かって声を掛けていた。
「あ、もし兄貴たちに困ったことがあったら言えよ。シメてやるから」
「三ツ谷〜?」
「年下の癖に生意気」
そうすれば蘭はにこにこ笑いながら圧をかけ、竜胆はムッと唇を尖らせた。それにははっと笑って、じゃあ、とその時は別れるつもりでいた。でもそれができなかったのは、あまりにもその人が俺のことを凝視してきたからだ。それはもう穴が開きそうになるほど、ただただ黙ってこちらを見つめてくる。その意図が分からず、俺はなんとなく笑って首を傾げる。そうしてしばらくじっとこちらを見つめてくると、その人はカツカツとヒールの踵を鳴らしながら俺の目の前までやって来る。
「ん? え、あの……?」
そうして目の前に来たその人に思わず仰け反りそうになると、そのタイミングでなぜか両手で手を握られた。俺の手を両手で包み込み、胸上あたりでぎゅっとしてじっとこちらを見つめてくる。その状況が読み込めず、俺は戸惑う。そして突然――告げられた。
「――好きです。付き合ってください」
「……え」
* * *
あれから約数ヶ月。俺はなぜか初恋相手であるナマエさんから猛烈にアプローチをされていた。
どういうことかあの日、ナマエさんは俺と初対面のはずなのに突然告白してきたのだ。背後でそれを聞いていた時の灰谷兄弟の顔は度肝を抜かれていた。一方で俺に告白してきたナマエさんはなぜかうっとりとした顔でほんのり頬を赤く染めていて、どうしてこうなったのか俺には理解できなかった。突然のことに驚き過ぎて固まっているとナマエさんはぐいぐい来て「三ツ谷くんって言うの? 歳は? 彼女はいる? 連絡先交換しない?」などとまるで嵐のようだった。その後は灰谷兄弟に引き摺られて退散させられたのだが……なぜか次の東卍の集会に来たらそこにナマエさんがいた。
ナマエさんは集会場でも相変わらずぐいぐい来て、気圧された俺はいつの間にか連絡先を交換していた。正直驚きの連続でどんな会話をしたかも覚えてない。それとこれは後日灰谷兄弟から聞いたのだが、俺が東卍のメンバーだと知ったナマエさんが灰谷兄弟にそれはもうしつこいくらい集会に連れてけだのなんだのお願いされたらしい。あまりのしつこさと執念具合に二人が折れたのだと言う。
それからというもの、ナマエさんは毎回集会場に現れるようになった。それが約数ヶ月を現在は経過している。
「三ツ谷くん!」
「ナマエさん、また集会来たの?」
「だって三ツ谷くんに会えるの此処くらいなんだもん」
男ばかりの集会場に可愛らしい声が響く。それに振り向けば上機嫌な顔でいつものように駆け寄ってくるナマエさんがいた。それに苦笑しながらそう言えば、ナマエさんは不満そうに頬を膨らませて「メールも電話も全然だし」と俺を見つめてくる。電気機器が苦手な俺は携帯を上手く使いこなせていなかった。だから「あー……悪い」と、素直に謝る。そうするとナマエさんはじっと俺を見つめてからにこりと表情を柔らかくして「いいよ」と可愛らしく笑うのだ。
「それで? 今度こそ一緒にデート行ってくれる?」
「いや、俺にはお洒落なカフェとかも分かんないし……」
俺はそう言って今回もそのお誘いを断った。
ナマエさんにはいつもこうやってデートに誘われる。でも俺にはお洒落なカフェも可愛いお店も知らないし、ナマエさんが満足するような店に連れて行く金もない。加えて俺は年下だし、正直ナマエさんには釣り合わない気がした。するとナマエさんはきゅっと眉を吊り上げる。
「もう! いい加減私の好き≠ノ応えてくれてもいいんじゃない!? 他に好きな女でもいるわけ!?」
いや、アンタが俺の初恋相手だよ。ついに憤慨したナマエさんに心の中で呟く。実際に口に出して言うつもりはなかった。
不満を口にするナマエさんに、ごめんな、と苦笑いをしながら宥める。するとナマエさんは嫌味なのか本音なのか「あーあ、せめて三ツ谷くんがお兄ちゃんだったらいいのに……」なんて言い出してきた。その言葉に、俺は思わず口を出してしまった。
「それ、兄貴分として俺が好きってこと?」
「え?」
口から出た声は想像以上に冷めていて、そんな声を初めて聞いたナマエさんはきょとんと目を丸くしていた。つい口に出してしまったそれに俺は、しまった、と内心で反省する。それはナマエさんも同じだったようで、不安そうにしながら俺の様子を窺っていた。だからここで誤魔化すのが正解な気がする。でも、俺はそれができなかった。
「あ、そうそう。この間知り合いの男っぽい奴らに囲まれてんの見たけど、あんま自分を安売りするもんじゃねぇよ。アンタは綺麗で可愛いんだからさ、もっと自分を大切にしろよ」
言葉とは裏腹に声音と態度は冷たい。そのまま俺はナマエさんに目を向けることもせず背中を向けて踵を返した。
本当は、嬉しかった。初恋相手に好意を寄せられて嬉しくないはずがない。でも、好きになってくれたきっかけも曖昧で、それが本気なのかただの気まぐれなのかも分からなくて。俺は単純にナマエさんの好意を信じてやれなかったのだ。
「――好き」
背中で小さく呟かれた声を拾った。「ホントに、好きなのに……」そう零した声はナマエさんから聞いたことも無い消えてしまいそうな声で、でも俺は聞こえないふりをして足を進めた。
それから数週間、ナマエさんは集会に来なくなった。数ヵ月もの間絶やさずに毎回来ていたのに、それがぴったりと止んだ。いつも集会場で聞こえてくるナマエさんの明るい声とか小走りで駆け寄ってくる足音もしなくて、いつの間にか俺はナマエさんが集会に来るのを待っていた。
「あれ、今日もナマエさん来てねぇの?」
「ああ、なんか気分向かねぇんだって」
「へえ……」
今日もナマエさんの姿を見なくて、俺は灰谷兄弟に声を掛けていた。俺の質問に竜胆は、ああ、と頷いて応えてくれる。それに俺は曖昧に頷くだけで、そんな俺の様子を見て蘭がにやりと笑う。
「なに、三ツ谷? ついに俺らの可愛い妹をフッちゃったわけ?」
その言葉に俺は目を丸くする。フッた……つもりはないけど、でもそうなのかもしれない。そんな俺の態度を見て蘭は「あーあ、あんなに健気だったのに俺の妹可哀想〜」とにやにやしながら大袈裟な態度で言う。それに続いて竜胆も「でも兄貴の言う通り、アイツも結構マジだったかんなあ」と少し感心するように竜胆が呟くから、俺は黙り込むしかなかった。
毎回誘いも断っていたし、あんな態度も取ったし、とうとう本当に諦めたのかもしれない。ただの気まぐれだったのかもしれないし、俺が靡かないと分かって早々に手を引いたのかも。でも、そうなると、もうナマエさんは此処には来ないし、もう会えないのか。
黙り込んだ俺を二人が様子を窺うように見下ろしてくる。その気圧されそうな眼差しを俺は見つめ返して、いつの間にか口を開いていた。
「あ、のさ……折り入って頼みがあるんだけど……」
* * *
俺はその日、六本木に来ていた。そうして事前に灰谷から聞いていた時間帯にあるカフェの前まで来る。そのカフェは落ち着きのあるアンティークチックなカフェで穴場なのか混雑する時間帯なのに客はあまりいなかった。
俺はドアノブを引き、店内に入る。扉が開くとベルが鳴り店員が来るが、それを断って奥へ進む。すると奥の席にぼんやりと窓を眺めながら座っているナマエさんが居た。俺はその席に近づいて、まるで待ち合わせをしていたかのように向かいの席に座った。
「……えっ!? 三ツ谷くん!?」
「おう、久しぶり」
「え、あ……此処、六本木だけど……」
「ああ、お前に会うために来た」
目を丸くして驚くナマエさんに俺は淡々と答えた。そうしてナマエさんに会うために来た、と言えばナマエさんはきょとんと目を丸くして黙り込む。そのまま二人して見つめ合っていれば、最終的にはナマエさんが少し恥ずかしそうにして視線をおずおずと下ろす。俺はそれにフッと息を吐いて、改めてナマエさんに向き合った。
「俺のせい、だよな。集会来なくなったの」
「い、いや……別に三ツ谷くんのせいじゃないっていうか……私も、そんなに強くないっていうか……」
俺の言葉にナマエさんは慌てて首を横に振る。でも最後はだんだん声を小さくして、身体も小さく縮みこませた。その表情は少し気まずそうで、また視線を下に下ろしてしまう。
「悪い」
その姿を見て、正直に謝った。俺がナマエさんを追い込んだんだろうし、好意を伝えている相手に無下にされ続ければ誰だって傷つくに決まってる。だから俺は素直な気持ちを口にした。でもナマエさんは別の意味で受け取ったらしく、その言葉を聞いた瞬間きゅっと眉根を寄せて上目遣いにこちらを窺って来た。
「やっぱり……私じゃダメ……?」
「え? あ、いや! そういう意味じゃなくて……!」
落ち込むナマエさんの様子に俺はなにを勘違いしたのかを察して慌てて否定する。それにナマエさんは意図が分からず不思議そうに首を傾げる。ちゃんと言わないと伝わらない。それに俺ははあ、と息を吐いて顔を隠すように片手で顔を覆う。そうして少ししてから手を下ろし、俺はナマエさんを見上げるようにして気恥ずかしさと一緒に口を開いた。
「……もう俺のこと諦めちゃった?」
「え」
「俺は、ナマエさんに会えなくて寂しかったよ」
包み隠さずに本音を口にする。それを聞いていたナマエさんは理解ができずに目を丸くして固まっていた。そんなナマエさんに追い打ちをかけるように俺は続ける。
「もう俺に好きって言ってくれないの?」
そう困ったように笑えば、ナマエさんは理解が追い付いたのか、みるみるうちに顔を真っ赤にさせて口をぱくぱくとさせた。
好きって好意を伝えてくれることに俺は胡坐をかいていた。頭では本気か分からない、遊びかもしれない、なんて言って突っぱねていたけど、本当はそんなの関係なかったのだ。だから今度は俺からだ。
「押してダメなら引いてみろって、ホントなんだ……」
「……え?」
ふと、ナマエさんがそんなことを呟いた。それに思わず素っ頓狂な声が零れる。ちょっと待て。
「え……っと……?」
「お兄ちゃんたちからのアドバイスで……その……」
「……ッあー……マジかー……!」
それを聞いて、全てを理解した。そして頭を抱えてテーブルに突っ伏した。まあつまるところ、そう言う事なのだろう。灰谷たちが俺の様子を窺って、わざわざナマエさんの行きつけのカフェまで教えてくれたのはこう言う事だったのだ。やられた、と二人の顔を思い出して項垂れる。
そんな俺に申し訳なく思ったのかナマエさんも「ごめん……」と謝って来た。でも次に「でも、これでダメならホントに諦めようと思ってた……」と小さく呟かれて、俺は大きなため息と一緒に笑ってそれを投げ飛ばした。
「あー、はいはい、俺の負け。俺の負けだよ、まったく」
そう言ってテーブルに肘を付く。そうしてまだこちらの様子を窺ってくるナマエさんに俺は言ってやった。
「ちゃんと好きだよ」
そしたらまた顔を真っ赤にさせたから、俺はもう一度笑ってやった。