憧憬の妹を好きになってしまった件について
 その人に出会ったのは、場地さんに助けられたあの日。場地さんに連れられて部屋に上がり込み、ボロボロの姿のまま二人でペヤングを半分個にして食べていた時だった。

 ガタン、と音がしたかと思えば無遠慮に開け放たれた扉。その音に惹かれるまま扉に視線を向ければ、同じ中学の制服を着た女子がいた。女子は黒髪で釣り目をしていて、少しきつい顔をした美人で、どことなく場地さんの面影がそこにあった。オレはその女子を見上げたまま固まっていた。そんなオレをじっと見下ろした後、今度は場地さんに視線を向ける。


「圭介、この人、誰?」


 第一声はそれだった。そして場地さんを呼び捨てで呼ぶ女子にオレはまたもや押し黙って緊張の面持ちのまま女子を見上げていた。


「オレのダチの千冬。此処のアパートの別棟に住んでんだってよ」
「へえ」


 場地さんの説明にその女子は特別興味を示すことも無く相槌を打ち、そうして再度オレを見下ろしてくる。その表情が読めなくて、品定めされているのか、警戒されているのか、はたまた嫌われているのか、オレには分からず内心どきどきとする。すると、そんなオレの内心など知らずに、場地さんは続けた。


「千冬、コイツはオレの妹のナマエ。オマエと同い年だぜ」
「えっ!?」


 場地さんの妹だというのに少し驚いた。ひょっとしたら場地さんの彼女かと思ったのだ。でも考えてみればどことなく似ているし、兄妹の方がしっくりと来る。そしてどうやらその女子――ナマエさんは、オレと同い年らしい。ならきっと中学の何処かですれ違っていたに違いない。

 場地さんの妹だと知り同い年だと知ってもオレの緊張は解けず、オレはかしこまって頭を下げた。


「は、初めまして!」
「はい、初めまして。というか、それ食べる前に先に手当てでもしたら?」


 オレの言葉に頷くと、ナマエさんはそう言って呆れたようにオレたちを見てきた。そうして、仕方がないなあ、とため息を吐いて腰に手を当てるとそのまま救急箱を持ってきてくれて手当てをしてくれた。

 怪我でボロボロなのはオレだけだから必然的にオレだけが手当てをされた。女子に手当てなんかされるのは初めてだし、距離も近いし手が触れるから、オレは心臓が飛び出るんじゃないかってくらいどきどきしてた。でもナマエさんはそんなオレのことなんてそっちのけで慣れた手つきで手当てを進める。その手があまりに丁寧だったことを、オレは今でも覚えてる。





   * * *





 場地さんの後を付き纏って、東京卍會にも入隊して、学校でもチームでも一緒、加えて同じアパートの住人ということで場地さんとの交流が長くなると、ナマエさんと関わることも増えた。ナマエさんはさっぱりとした性格の女子だったせいか案外緊張はすぐに解けて、飼ってる猫の話とか少女漫画の話とかで仲良くなって、今ではお互い呼び捨てで呼び合うような仲にまでなった。学校ではクラスが違うし、ナマエは女友達と一緒に居るからあまり関りは無いが、教科書の貸し借りをしたり廊下でたまたますれ違ったら少し離す程度には交流していた。

 でも意外なことに場地さんが居るとその頻度が減った。オレには兄妹が居ないからよく分からないが、学校ではなるべく場地さんに関わらないようにしているようだった。仲が悪いわけではないしどうして避けるのかが気になって、場地さんのいないところでさりげなく聞いたことがある。


「そういや、なんで場地さんのこと名前で呼んでんの? 兄貴だろ?」
「留年して同じ学年の兄貴をお兄ちゃん≠ネんて呼びたくないよ」


 そう言ったナマエにオレは「なるほど……」と苦笑いした。確かに中学生で留年をした兄を持つ妹として複雑な心境かもしれない。ましてやそれが自分が通っている学校と同じでしかも同じ学年だったら、オレでも少し嫌かもしれない。

 それと、その時ナマエが言ったお兄ちゃん≠ニいう単語が気になってオレは聞き返した。嫌味を含めて言っただけかもしれないが、兄である場地さんを圭介≠ニいつも呼び捨てにしていたから、気になったのだ。そしたらナマエはどこかバツが悪そうな顔をして、それでいて少し恥ずかしそうな表情を浮かべた。話に聞くと、昔から場地さんのことをお兄ちゃん≠ニ呼んでいたらしい。でも場地さんが留年して同じ学年になったから名前で呼ぶようにしたらしい。それにまたオレは苦笑した。


「千冬は圭介のこと大好きだよね」
「そりゃあ尊敬してるし、強いしかっけぇじゃん」
「ふぅん、口より手が出るような喧嘩っ早いのに?」
「でもかっけぇじゃん。妹として誇らしくねぇの?」
「自分の兄貴をかっこいいとは思わないかなあ」


 仲が悪いわけではないけど、やっぱり身内になるとそこまでの印象はないらしい。オレだったら兄貴が場地さんだったらすげぇ嬉しいけどなあ、なんて思っていると、ふいにナマエがフッと大人びた顔で笑んだ。


「……でも、仲間思いでいい奴だとは思ってる」


 そう言ったナマエの顔は大人顔負けで、空を見つめるナマエはきっと兄である場地さんの背中を見ていたに違いない。





 別の日、黒い特攻服を着て夜中に場地さんと東卍の集会場に向かっているとき、場地さんがふと口を開いた。


「千冬、最近ナマエはどうだ?」
「普通に元気ッスよ。昨日も一緒に少女漫画読んでました」
「オマエら好きだなあ、それ」


 オレの返答に場地さんはけらけら笑っていた。オレはどうして改まって聞いてくるのか不思議に思って「気になんならナマエに直接聞けばいいんじゃないッスか?」と口を挟んだ。すると場地さんは気まずそうに眉間にしわを寄せて「あー……アイツ、最近のオレには素っ気ねぇかんなあ……」と、なんというか反抗期の娘を持つ父親みたいなことを言い出す。でもその素気なさがどの理由から来ているのか知っているオレはただそれに苦笑するしかできない。でも、何度も言うが仲が悪いわけではないのだから、いつかなんとかなるだろう。その時はそう思ってた。


「ま、オマエらが仲良くやってんならいいわ。アイツ、ああいう性格してっから結構誤解されることあってよ」


 そう言った場地さんは遠くを見つめる。その仕草が以前のナマエと重なって、こうやって本人が居ないところで言い合うのは兄妹なんだなあ、って思った。ちゃんと兄妹としてお互いを大事に思い合ってる。それがオレには綺麗に見えた。


「アイツのことよろしくな、千冬」


 そうして笑った場地さんの笑顔が、頭から離れなくなった。





   * * *






 しばらくして、場地さんが亡くなった。

 肉親である場地さんの母親は息子を若くして失くしてしばらく泣き腫らしていた。オレの母親も泣いてくれた。でも皆、誰一人として責め立てることはしなかった。まったく馬鹿なことを、と場地さんの性格を思ってそんなことを零し、慕っていた場地さんを目の前で失くしたオレを気遣ってもくれた。それはナマエも同じだった。

 ナマエはその時は泣かなかった。オレから話を聞いた後は呆然としていて、でも理解が追い付くときゅっと眉根を寄せながら「圭介は馬鹿だから、ほんと、仕方ないね」と無理に笑いながら言っていた。オレは何も言ってやれなかった。その後は葬式の準備とかで慌ただしくしていて、傷心の母親に代わってナマエが積極的に動いていた。そうして無事に葬式が終わり、オレを含めてそれぞれが前を向き始めた頃、ナマエが場地さんの事を聞いてきた。

 聞いてきた内容はナマエの知らない場地さんのことだった。自分が見てこなかった学校での場地さん、東卍の一番隊隊長としての場地さん、そして最後の瞬間の場地さん。オレは話すことがナマエにできる誠意だと思って、たくさん場地さんの話を包み隠さずにした。最初は家族を奪ってしまった罪悪感とか懺悔の気持ちが大きかったけど、普段通りの態度で話を聞くナマエに救われて、いつの間にか二人で場地さんの思い出を語り合っていた。

 よかった。ナマエ、ちゃんと笑えてる。話ながらオレはそっと安堵していた。ここ最近忙しかったのもあってナマエに会えていなかったから心配していたのだ。でもそれはすぐに打ち壊された。

 ぽつり、零れたそれにオレは息を呑んだ。はらはらと零れるそれに呆気にとられながら、オレはナマエに再び目を向けた。ナマエは笑っていた。口元にを浮かべて、どうして自分が今更泣き出しているのか分からないようで、それでとうとう嗚咽を零しながら泣き出した。それを見て、オレは馬鹿だ、と自分が情けなくなった。大丈夫なわけない。今まできっと見て見ぬふりをしていただけなんだ。そうして今戻って来た日常にようやく現実を実感したところなんだ。

 泣いているナマエをオレは躊躇わずにそっと肩を抱いて寄り添った。それが多分この場で今出来ることなんだ、と心の中で思って、黙ったまま寄り添った。その時、ふいに場地さんの言葉を思い出していた。

 ――アイツのことよろしくな、千冬。

 ああ、この人だけは、ちゃんと守って行こう。オレはそう誓った。





 それからは以前に増してナマエの事を気に掛けた。最初はあまりに過干渉をし過ぎて怒られたり、そばに居ようとするオレに呆れたりしていたけど、なんだかんだ隣にいることを許してくれて、いつの間にか昔から連れ添っている幼馴染みたいにいつも一緒に居た。でも一緒に居るのに、ナマエとの距離はどんどん離れて行くような感覚がした。

 オレに遠慮がちになったし、前みたいに自分からオレに声を掛けてくれることが無くなった。加えてナマエの笑顔を見ることも少なくなった。なんというか、無理に笑ってるっていうか、困ったように笑うことが多くなっていた。その変化に気づきながらもオレはどうすることもできずにずるずる引き摺って、いつの間にか高校生になっていた。

 相変わらず高校生になってもナマエとは一緒に居て、高校も同じところに通った。これに関してはたまたまだった。周りからはいつも一緒に居るから恋人だと勘違いされたり、幼馴染と思われたりしたが、あいにくどれも違う。でも、じゃあ何なんだよ、って言われても、オレは口を噤むしかできなかった。それが少し、歯痒い。

 そうしていつも通りに過ごしていたある日。夕暮れ時に二人で下校をしていた時、ふと半歩後ろを歩いていたナマエが立ち止まった。それにつられてオレの足も止まる。


「ナマエ?」


 振り返って立ち止まったナマエを窺った。ナマエは最近よく浮かべている、どこか思い詰めたような表情をして俯いていた。それになんて声を掛けようか迷っていた時、おもむろにナマエが口を開いた。


「もういいよ、千冬」
「――? いいって……なにがだよ」


 ナマエの言葉の意味が理解できずに、オレは聞き返した。でもオレの心臓はどくんと大きく高鳴って、何故か息辛くなった。そんなオレに気づかずナマエは続ける。


「お兄ちゃんのこと気にして、私のそばにいてくれなくても、もういいよ」


 そう言ったナマエの言葉に、オレはさっと全身の体温が無くなっていく感覚がした。付けがまわってきたんだ、と言われている気がした。


「私は、ひとりで平気だよ。千冬が居なくても」


 そうして顔を上げたナマエは、困ったように眉根を下げながら精一杯笑って見せた。それを見て、オレはぐっと唇を噛んだ。

 ナマエはそんなオレのことなど知らずに、もう終わったのだ、とでも言うように歩き出す。そしてオレに目もくれず隣を通り過ぎて行った。それにオレは後ろ髪を引かれるように振り返って力任せにナマエの手首を掴んでいた。


「――オレはッ!!」


 強く手首を掴みながらオレは叫ぶように言った。目の前のナマエはそんなオレに目を見開いてる。でも関係なかった。此処で伝えないと、此処で言わないと、絶対ダメだ。


「オレがオマエのそばにいてぇから此処にいる! そこに場地さんは関係ねぇッ!!」


 ナマエの目が大きく見開かれる。オレは続けた。


「テメェの好きな女を守りてぇから! そばにいてぇから一緒にいんだよ!!」


 ただただ真っ直ぐ見つめながら、オレは叫んだ。

 場地さんに託されようが託されまいが関係なかった。本当はずっとナマエの事が好きだった。だから一緒に居たかった。それで場地さんのため≠セと勘違いして許してくれるナマエに甘えて、ここまで来た。でも本当はそんなの関係なくって。ただ、好きな人と一緒に居たいだけだった。

 オレの言葉に呆気にとられたナマエがフッと笑みを零した。おかしそうにきゅっと眉根を寄せながら笑う。


「……なに、それ。恥ずかしい台詞」
「なっ!? オマエ……!」
「ふふ」
「――!」


 でも次の瞬間、久しぶりにナマエの砕けた笑顔を見た。そしたらなんかもうどうでよく思えて、オレはくすくすと笑うナマエをじっと見つめてた。ああ、もっと早く言っておけばよかった。

 ひとしきり笑うと、ナマエは改めてオレに向き直った。その視線が真っ直ぐに向けられ、オレは恥ずかしい気持ちを抑えて見つめ返す。


「告白と受け取っていいの?」
「お、おう」
「ふぅん……」


 下から覗き込みながら、笑みを浮かべて疑わしそうに見つめてくるナマエ。そうしてフッと笑むと、今度はナマエに手を取られた。突然繋がれた手にびっくりしていると、ナマエは悪戯っ子みたいに笑いながらくいっと手を引っ張ってくる。そうしてあの頃みたいな態度で言うのだ。


「デート行こうよ、今から」


 そしたらいつの間にかその手を握り返していて、オレたちは二人で歩き出していた。
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