スーリはタハミーネの隣に座っていた。そして、目の前には先ほどの男。
「そなた、名は」
「ギーヴと申します、王妃様。旅の楽士でございます」
王妃の問いかけに答え、ギーヴが顔をあげた。
「琵琶を弾きます。笛も歌も詩も舞いもいたします。ついでに申し上げておれば、弓も剣も槍もそこらの兵よりうまく使います」
整った顔立ち。
男にしては整い過ぎているその容姿に、大抵の女は見惚れてしまうであろう。
しかし、スーリはそう言ったことに興味もなく、ましてや今はそんな気にもなれず、ただただシャプールの事とアルスラーンたちのことで憂いていた。
一方、ギーヴは顔を上げるとタハミーネの隣にいるスーリ見つめていた。
多くの女を見てきたギーヴでさえも、思わず息をのみスーリに見惚れてしまった。
美しい顔立ち。それをさらに引き立てる、その瞳。
微笑めば女であっても惚れるであろう。
しかし、今は何処か浮かなく、憂いている。
だが影がありそれはそれで美しい。
恍惚に染まるギーヴを無視し、タハミーネは言葉を続けた。
「そなたの弓の腕は私たちも西の塔から見せてもらいました。忠実なシャプールを苦しみから救ってくれて礼を言います」
「おそれいります」
「おそれながら申し上げます王妃様!!」
王妃と楽士の会話に、侍女が大声で割り込んできた。皆が驚いて彼女を見つめる。
「私はその者を存じ上げております!とんでもない男です! 信じてはいけません!! サギ師です!!」
「どういうことですか?」
「『自分はシースターン侯国の王子で修行のため一人で諸国を旅しているーー』、つい先夜あなたは私にそう言ったではありませんか!!」
シースターン…古い国だ。
「言った」
「それが今王妃様に自分は楽士だと! 王子というのは嘘だったのですね!?」
「そう身も蓋もない言い方をするものではないぞ。あれは俺の夢でおぬしはその夢を一夜俺と共有したのだ」
悪びれる様子もなく、ギーヴは更に、せっかくのうるわしい夢を醜い現実の剣で切り裂くなどおろかしい、など詩めいた言葉を紡ぐ。
「それよりも私めが不思議でならぬのは世の女性たちがいかに『王子』という言葉に弱いか、でございます。どれほど誠実な恋人がいても女はそれを捨てて王子と称する得体の知れぬ流浪のものに身を寄せてしまう。まこと浮薄なる女には浮薄なる夢がふさわしいようでございます」
ギーヴは侍女を挑発するような言葉を放ち続ける。
タハミーネはようやく終わったらしい楽士の言い訳に、息をついた。
「そなたの能弁はよくわかりました。すでに弓の技も見せてもらっております。この上は本来のそなたの職業について技を見せてもらうべきでしょうね」
その言葉に、琵琶が楽士の前に運ばれてきた。ギーヴはさて、と言いながらそれを受け取った。
「では今この瞬間も王都を守るため戦っておられる勇者たちのためにひとつ……カイホスロー武勲詩抄を捧げましょう」
カイ・ホスロー武勲詩抄。
スーリは瞳を閉じ、その音色と声に耳を傾けた。
荒涼たるマザンダラーンの野に、
カイ・ホスローの王旗ひるがえれば、
邪悪なる蛇王ザッハークの軍勢は逃げまどいぬ、
春雷に怯えたる羊の群れのごとくに
鉄をも両断せる宝剣ルクナバードは
太陽のかけらを鍛えたるなり。
愛馬ラクシュナには見えざる翼あり。
世界の覇王にふさわしき名馬ならん
天空に太陽はふたつなく
地上に国王はただひとり
たぐいなき勇者カイ・ホスロー
剣もて彼の天命を継ぐ者は誰ぞ
スーリは思いをはせていた。そのためか、話の内容など耳に入ってはおらぬ。
「見事でありました」
タハミーネの声に、ギーヴは我に返り、頭を下げる。
目の前には、袋が二つ運ばれてくる。
「弓の技に百枚、音楽に百枚合わせて金貨二百枚を褒美にとらせます」
その言葉に、ギーヴは五百枚はくれるものと思っていたのに、と内心ごちた。
「そなたが私の侍女を偽った罪の分は差し引いてありますからね」
タハミーネにそう言われて、平伏する。
なるほど、と思いつつ、次に頭を上げると、ギーヴに王都にいる間は王宮に滞在してもよいと指示を出したタハミーネが退室しようと腰を上げた。
それに続き、侍女たちが後についていく。
憂いていたスーリは遅れがちに腰を上げ、退室をした。
ひそかにそれを見つめ、妖美に笑うギーヴに気付かぬまま。
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